113 、上京五日目.10
五文字の言葉「◯◯◯◯◯」は、「トウキョウ」であった。
守叔父さんは、西郷さんの像を見上げ、そして、
「コノヒト、
トウキョウノヒト
ダヨネ!?」
(この人、
東京の人
だよね!?)
と言ったのである。
その言葉は、何度も何度も脳裏にリフレインした。
鹿児島を代表する偉人の「西郷隆盛」を「東京の人」と間違うことはあり得るのだろうか?
いや、あり得ない! 私同様、叔父も鹿児島出身なのだから!
そのあり得ない言葉は、すさまじい破壊力の言葉となり、衝撃で私の心をズタズタにしてしまった。
自然と涙腺が緩み、「諦め」の心境となった。
守叔父さんは、「”まとも”では無い。」と判断するしかない諦めである。
今に至るまで、この数日間、葛藤が続いていた。
守叔父さんは、「”まとも”である。」と「”まとも”では無いかもしれない。」との間でゆれていた。
守叔父さんと会った初日は、「少し変だな!」 と思ったくらいであった。
二日目以降、徐々に「変」な事に気付くことが増えていった。
そして、今、西郷隆盛が分からないことを理由に、守叔父さんが「”まとも”では無い。」と判断したのである。
ほんの数分前までは、自然の流れで、病院へ連れて行ければ良いと考えており、危機感は少なかった。
なぜならば守叔父さんは一人で日常生活を過ごす事ができているように感じたからだ。
掃除、洗濯、朝昼夕の食事などの生活全般はともかく、交通量の多い都会において、クルマをスイスイと運転する事ができている。
そのため、病院へ連れて行くことを「ためらう自分」と「積極的に連れて行こうとする自分」の両者がせめぎ合っていた。
しかし、守叔父さんの「コノヒト、トウキョウノヒトダヨネ!」という言葉を聞いた事により、「ためらう自分」が消え去ったのであった。
そして、その時が「”全力”で守叔父さんを病院へ連れて行く事。」を覚悟した瞬間となった。
(つづく)
余談、後日、google mapにて上野公園をバーチャル散歩すると、「西郷隆盛像」は、「この地を象徴する著名な武士の銅像」と説明されていることに気がついた。
この説明文は、二通りに読めるかもしれない。
1.西郷隆盛は、著名な武士である。 その銅像は、この地の象徴である。
2.西郷隆盛は、著名な武士であり、この地の象徴である。 その銅像。
仮に、2.ならば、守叔父さんのいうところの「東京の人」でも、間違いはないのかもしれない。
余談、以上。