2023年2月22日水曜日

「泣けない人」一周年を迎えて

「泣けない人」一周年を迎えて



本ノンフィクションの投稿開始は、昨年(2022)の2月16日(水)でしたので、一周年を迎えることになりました。

この一年、たくさんの方々にお読みいただいたことに感謝いたします。また、 ☺いいね をたくさんいただけたことは、本件に関する色々なトラブルを解決するための原動力となりました。重ねて感謝いたします。
 




この一周年というタイミングにおいて、とあるニュースに接することとなりましたので、ネタバレを覚悟で、今後のストーリーの概要を紹介します。

まず、とあるニュースとは、米国俳優のブルース・ウィリス氏の公表された病気についてです。

端的には、認知症と表現されていますが、認知症には、いくつかのタイプに分類されており、よく聞くものとして「アルツハイマー型認知症」があります。


同氏の認知症は、「前頭側頭型(ぜんとうそくとうがた)認知症」であることが公表されました。認知症の中でもマイナーなもので10%程度であり、原因不明であり、不治の病とされています。

また、『家族が公表した声明文には、公表した理由について「メディアの注目が集まり、より多くの認知と研究が必要なこの病気に光が当たることを願っています」と書かれてあります。』FNNプライムオンラインより引用。
 https://www.fnn.jp/articles/-/488845
 




私もブルース・ウィリス氏のご家族と同じように、叔父がこの病気を発症していることを目の当たりにして、この病気に光が当たることを願い、「泣けない人」を執筆しはじめました。

当初は、叔父の日々の様子をYoutubeで公開することも考えましたが、プライバシーの保護の観点からあきらめることにし、本ブログによる公開となりました。
 




投稿から一年経った現在においても、稚拙な文章にも関わらず、多くの方々にお読みいただき、また、☺いいね をたくさんいただいていることに感謝しております。 

投稿当初は、☺いいね をお返しさせていただいておりましたが、現状、お返しできていないこと申し訳ございません。
 




私の経験した事をそのまま伝える事に徹しているために、ストーリーの展開が非常に遅いものとなっております。

叔父の現状を心配されている人々も多いと思います。 叔父本人は、現在、福祉施設において手厚い介護を受けており、日々、楽しそうに過ごしております。

しかしながら、以前の叔父を取り巻く問題については解決に至らず、現在進行形です。

症状が進んだ状態で、認知症であることが判明したため、叔父本人からの情報では、周囲の人々の名前などを聞き出すことすらも困難でした。そのため、それらの人々とどの様な人間関係を築いてきたのかについても、把握することが難しいこととなりました。今でも、まだまだ、不明な点が多く残っています。

それらの問題を解決しようと多くの人々に相談し、そして、ご助言、ご指導を頂いている状況です。

区役所の福祉関係の様々な部署の方々にも多くのお手伝いをいただきました。

年金事務所の方々にも、色々とお世話になりました。

警視庁および神奈川県警のたくさんの警察官の皆様にもお世話になりました。

叔父の子供たちをはじめ、叔父の兄弟姉妹およびその家族である親戚同士も、色々と協力し合うことによって現在に至っています。
 




本ノンフィクションは、個人のプライベートを晒すこととなり、生々しい内容のため、親族の中には、この文章を公開することに反対する者もおりました。しかし、叔父と同じような境遇にある人、そして、その人の周囲にいる人々において、少しでも役に立つことがあるのではないかと考え、寄稿しはじめた次第です。

この後のストーリーの中では、私がどの様にして叔父を蝕んだ病気を明らかにしていくのかを表現していきます。

それらを通して、この病気を正しく理解し、そして、より良き対応のできる世の中に変わっていく事を希望しています。治療薬などが開発されることを祈念しています。

認知症という病気は、高齢化人口の増加において、避けられない病気の一つかもしれません。明日は我が身で、自分も認知症を患う可能性もありますし・・・。
 




病気に気付き、そして、どの様にして病院へ同行するか。そのためには、いろいろなアドバイスを必要としました。 そして、現状に至る(福祉施設への入所。)ために、様々な困難がありました。それらの障害を一つ、一つクリアすることは大変なものでした。

甥っ子である私にとって、訳の分からないことが多い状態から、その病気を理解するまでに時間を要したこと、その事を、じっくりと文章にしていきますので、もうしばらくお付き合いいただければ幸いです。

この病気を正しく理解するためには、叔父の発する言葉を理解することが大切だと感じています。そのため、叔父の発する言葉の一言、一言を正確に表現することに注力してきました。

当初(叔父と会ってからの数日間)は、その言動をほとんど理解できない状況でした。

特に、初日の会話のほとんどは、リアルタイムでは理解できるものではありませんでした。二日目、三日目と会話を重ね、少しずつ、叔父の会話のパターンを理解することによって、言いたいことが少しずつ分かるようになりました。

そのため、文章にするためには、ボイスレコーダーに録音された音声を、何度も何度も聞き返して、文字起こしをしています。

ボイスレコーダーの使い方が適切でなかったためか、周囲の雑音・ノイズも多く含まれていました。マイクの位置が適切でなかったため、自分の声ははっきりと録音されているのに比べ、叔父の声は小さく、ノイズ除去、音量調整にも苦労しつつの作業となっています。
 




何度となく、ボイスレコーダーを聞き直すことによって、一年経った今でも、当時は理解できなかったことが新たに理解できることもあります。

未だに残された問題を解決するためにも必要な作業となっています。重ねて、もうしばらく、お付き合いいただければ幸いです

よろしくお願いします。
2023/2/22,バンバンジー
 

2023年2月15日水曜日

「泣けない人」その52

 


52 、上京二日目.26


守叔父さんが、次の飛行機の離陸準備の状況を言わないな・・・。と思っていたら、予告無しに、

 

「イキマスカ!」
(行きますか!)



と言い出し、駐車場に向かって歩き始めた。 前もって、残りの滞在時間を教えて貰えれば、それに合わせた撮影ができたのだが・・・。 マイペースな守叔父さんである。

たしかに、「頭上を飛行機が通り過ぎると、すでに、次の飛行機が滑走路の端で離陸の準備をする。」といったローテーションが続いたので、いつ、その場を離れて帰路につくのか、タイミングの取りづらい状況であった。

 後ろ髪を曳かれる感じではあったけれど、「おすすめの撮影ポイント」で、それなりに、飛行機の撮影ができたので満足であった。 そして、守叔父さんの後を追った。 

 





海岸と駐車場の中間点位に、飲料水の自動販売機とアイスクリームの自動販売機が並んでいた。 守叔父さんは、その自動販売機の手前で止まり、振り返って、

 

「ナニカ タベル?」
(何か食べる?)



と聞いてきた。 ”食べる”と言うから、アイスクリームの自販機かな?とも思ったが、小銭を準備して投入しようとしているのは、飲み物の自販機の方であった。

イトーヨーカドー店内の自動販売機にて痩身お茶を買ってから、まだ1時間も経ってないのに、またもや、飲み物を”タベモノ”として勧めてきたのであった。

 「要らないよ!」と返事したものの、守叔父さんは、胸元からお財布をだし、自販機へ小銭を投入して購入するよう勧めてくれた。 トクホ(特定保健用食品)認定の飲み物があったら、ボタンを押そうと思い、商品を見わたした。 今回も痩身お茶を見つけたので、ボタンを押すことにした。

 宿に戻って、ゆっくり飲ませて貰おうと思い、ありがたく頂いた。

自販機横のお手洗いに立ち寄り、用を済ませた後、駐車場へ向かい、クルマに乗った。 

乗車後の守叔父さんは、

 

「ホテルニ イケバ ヨイ?」
(ホテルに行けば良い?)



と聞いてきたので、「お願いします!」と答えた。 まだ、午後一時、時間が早いので、守叔父さんとこの後も、もう少し話しができるかな?とも思ったけれど、素直に守叔父さんの言うことに従うことにした。 

 





一つの目的である飛行機の撮影を終え、あとは宿に戻るだけ。

そのため、車外の様子をじっくり見る余裕ができた。平和島や大井埠頭には大型のトラックがたくさん走り、道路脇にもたくさん停車していた。

さすが東京の物流の一つの心臓地域だな・・・。と思ったので、「すんげー、トラックいっぱい! トラックだらけだ! 東京の(物流の)心臓だね!」と守叔父さんへ伝えた。すると、守叔父さんは、

 

「デモネ、イマハ、ソンナニ クルマガ、
ハシッテ ナインデスヨ。
オレガ、 マエ、ヤッタトキハ
ニヒャクマントカ。」

(でもね、今は、そんなにクルマガ、
走ってないんですよ。
俺が、前、やったときは二百万とか。)



と言ったあとに笑い出した。笑いの後に続けて、

 

「ニヒャクマン!
ソレデ、ジャア、チャッチャカ ヤルッテ イッテ、
イチネングライデ、シガツデ、カードカエセッテ、カエサナイッテ。
ホンデ ギンコウイッタンデスヨ
ニヒャクハチジュウマン クライ アルカナ ト オモッタラ
ヨンジュウマンシカナイ、
エェーッテ、 ヒドイヨネ
アレハ ワイル オンナダ。
ソンデ、オレントコロニ、ゼンブ ショルイ オクルケド
デンワコナイ バカナオンナダ」

(二百万!
それで、じゃあ、ちゃっちゃかやるっていって、
一年位で、四月で、カード返せって、返さないって。
ほんで、銀行行ったんですよ。
二百八十万くらいあるかな?と思ったら、四十万しかない。
えぇーって、ひどいよね。
あれは、悪い女だ。
そんで、俺のところに、全部書類送るけど、
電話来ない、バカ女だ。」



と言った。 

私の言葉「すんげー、トラックいっぱい! トラックだらけだ! 東京の心臓だね!」をきっかけに、話が逸れていったのだが、本当に、二百万円以上のお金を女性に騙し取られてしまったのだろうか? 

(つづく)
 

2023年2月8日水曜日

「泣けない人」その51

 


51 、上京二日目.25

城南島海浜公園の駐車場から海の方へ歩いている最中に、突然、松木の陰から飛行機が飛び出てきた。その飛行機は、そのまま、まっすぐ私の方に近づいてきて、ちょうど私の頭の真上を飛行機が通過していった!!!

ちょうど、公園の真上が飛行機の航路のようだ!!! なるほど、おすすめの撮影ポイントの一つであることが理解できた。

慌ててカメラを向けシャッターを切ったが、その写真は全くピントの合っていないぼけたものであった。なぜか、オートフォーカスの設定が”切”になっていたようだった。

 


オートフォーカスの設定を”入”に切り替えファインダーを覗き、動作確認のためにシャッターボタンを半押した。すると、だいぶ先の方をマイペースで歩いている守叔父さんにピントが合った。

そのまま、シャッターボタンを全押ししたので、城南島海浜公園できちんと撮影された写真の一枚目は、守叔父さんのバックショットとなった。

 




防風林の松の木を過ぎると、視界が広がり、左手に東京湾、右手に羽田空港が広がっていた。 そして、ちょうど飛行機が離陸し始めているのが遠くに見えた。

守叔父さんは、先にその飛行機を見つけたらしく、その飛行機を指差しながら、振り返り、今、飛び立ったらしいことを必死にアピールして私に伝えているようだった。

私は、カメラを飛行機に向け、何度となくシャッターを切った。 その機体は、旅客機と比べ小さいもので、私自身、初めて撮影する型式の飛行機であった。プライベートジェットなのだろうか・・・?

 



さすがは、羽田国際空港、東京の空の玄関口! いきなり鹿児島空港では見られない飛行機に遭遇できた!


守叔父さんは、非常に目が良いようで、離陸待ちの飛行機が滑走路の端に停まっているのが見えているみたいだ。

 

「クル!、クル!、モウスグ クル!」
(来る!、来る!、もうすぐ 来る!)



そして、その飛行機が加速し始めると、

 

「キタ!、キタ!、キターーー!」
(来た!、来た!、来たーーー!)



と教えてくれた。そして、一機、また一機と飛行機が離陸する度に、同じ事を繰り返した。




「叔父ちゃん、コンタクトも何もしてないんだよね! 裸眼なんだよね! ”目”がいいね!」と言うと、守叔父さんは、

 

「オレ、オサケモ ノマナイシ 
メガネモ ノマナイシ!」
(俺、お酒も飲まないし、
眼鏡も飲まないし!)



と言った後、少し笑い、そして、

 

「メガネハ キエマセン!」
(眼鏡は、消えません!)



と言った。 私は、ファインダーを覗きながら飛行機に集中しながらの会話だったため、そのヘンテコな会話には、適当に相づちをうっただけでスルーし、「僕自身は、去年、網膜剥離で片目が見えにくくなったんだ。」と伝えた、すると、守叔父さんは、

 

「ハッ、ハッ、ハッ!」
(はっ、はっ、はっ!)



っと、笑いはじめた。

私が網膜剥離になったことで、笑いをとったことになる。 網膜剥離の何が面白かったのだろう?

 





流行り病により国際線は少ないだろうが、国内線のANAやJALの機体をはじめ、色々な航空会社の飛行機が、次から次へと離陸し、頭上を飛び過ぎて行った。

撮影を始めてから30分ほど経った頃には、既に十機以上の飛行機を撮影していた。

(つづく)
 

2023年2月1日水曜日

「泣けない人」その50

 


50 、上京二日目.24

守叔父さんの運転するクルマは、第一京浜を南へ向かって進んでいる。

守叔父さんの運転は、食事の後も快調だった。 言葉をうまく操れないような守叔父さんではあるが、クルマは上手く操っている。地図を見て、その場所が何処であるかを理解し、その場所に向けて進んで行ける!

言葉をうまく使えない原因は、認知症なのだろうか? それとも、他の病気なのだろうか・・・? それとも、守叔父さんは健康そのもので、意図して何らかの遊び心で、私をからかい続けているのだろうか・・・?

会話の際のチンプンカンプンな言葉とは異なり、その運転は的確で、安心感もあり、乗り心地が良かった。 

”クルマの運転の上手さ” と ”会話の上手さ”とは、あきらかに雲泥の差があった。 もしも、私をからかって”会話の下手さ”を演じているとするならば、クルマの運転も同様にぎこちなく振る舞うことも考えられるが、そのようなことは一切ない。

目的地に向かって、周囲のクルマの流れに添って、ゆったりとかつ、スイスイと進ませる運転技術能力は、認知症の人にも可能なのだろうか?

私の心には、守叔父さんの発する意味不明な言葉に対する戸惑いとは別に、車の運転の上手さと会話の下手さとのギャップに対しても戸惑いが芽生えはじめた。 

 





ほどなく、平和島口の交差点に差し掛かり、第一京浜を左折した。

平和島に入ってすぐに、 守叔父さんが、左手に見える大きな建物を指差しながら、

 

「ココモネー、ナンカモー、
イッパイ イロンナノガ アルヨ、 ココ!」
(ここもねー、なんかもー、
いっぱい、色んなのが有るよ、ここ!)



と言った。「何が有るの?、競艇場?」と聞き返すと、

 

「イヤイヤ、キョウテイ ジャ ナイヨ
コレ、コレ
イッパイ アルヨ
ナンデモアル。
オンセン アル。
タベモノモ タクサンアル。」

(いやいや、競艇じゃないよ、
これ、これ、
いっぱい有るよ!
何でもある。
温泉ある。
食べ物もたくさんある。)



と言い出した。

イトーヨーカドーで、温泉に行ってくると言っていたが、温泉は無さそうだった。この眼前の建物には本当に温泉があるのだろうか?

建物の壁面にはテナントのロゴや店名等の看板がたくさん掛けられていた。 守叔父さんの言う通り、各種店舗が入っていることは理解できた。もしかすると、スーパー銭湯のような施設があるのかもしれない。

それらの看板を丁寧に見ていると、「ドン・キホーテ」や「業務スーパー」とともに「天然温泉 平和島」という看板も見つかった。温泉があるのは本当だった。 もしかしたら、イトーヨーカドーにも温泉があったのだろうか・・・?

「天然温泉があるんだね! なんでも、ありそうだね!」と伝えた。守叔父さんは、私の声には反応せず、何かに気が付いた様子で、遠くの空を指差し、

 

「ヒコウキ!」
(飛行機!)



と言った。 私は、守叔父さんの指差す方向を見たものの、そこには大型トラックが並走し、その陰に隠れているのか、飛行機を見つけることができなかった。

現在地(平和島)と羽田空港とは数km程度しか離れていないので、いつ何時、飛行機が見えてもおかしくはない。 また、すぐに飛行機は飛んでくるだろう! 

次の飛来に備え、リュックから望遠レンズを装着した一眼レフカメラを取り出した。

守叔父さんは、そのカメラに気が付くと、

 

「スゴイ!」
(凄い!)



と驚嘆の表情にかわっていた。

私の使用しているカメラやレンズは、プロのカメラマンが使用するような高級なものではない。それでも、望遠レンズを装着すると、それなりに大きな物となる。守叔父さんにとっては、その大きさに驚いたのだろう。

そして、また、飛行機を見つけたらしく、指先を前方の空に向け、

 

「ホラ、ホラ、アソコ!」
(ほら、ほら、あそこ!)



と、飛行機を見つけた事を喜んでいるようだった。

私も、その飛行機にカメラを向けたが、ファインダー内に飛行機を収める前に建物の陰に入ったようで撮影できなかった。さすがに、走行中のクルマの中から飛行機を撮影するのは難しい。

4機ほどの飛行機を見つけては、カメラを向けたが、結局、一枚も撮影できないまま、目的地の城南島海浜公園に到着した。

城南島海浜公園には、有料駐車場が併設されていた。 どこにクルマを止めればよいか悩む必要がなくて良かった。駐車場の周囲は、防風林の松木が生い茂っており、海側の視界はほとんどなかった。

守叔父さんが、
 

「マエ、キタコトガアル!」
(前、来たことがある!)


と言い出した。

 

「リリィチャント ナンドモ ココ キタ!」
(リリィちゃんと何度も、ココ来た!)



と言い、海や飛行機を彼女と一緒に見に来たことがある場所のようであった。

守叔父さんは、駐車場にクルマをとめるやいなや、その懐かしさを求めているのか、海岸線の方を目指して早歩きで歩み始めた。 

その歩みは、思いのほか早かった。 私が公園の周囲の様子をみたり、カメラのチェックをしながら歩いていると、あっという間に、だいぶ離れた所まで歩いていっていた。

(つづく)