2024年1月31日水曜日

「泣けない人」その90

 


90 、上京四日目.1


目覚まし時計をセットせずに就寝したため、のんびりとした新しい朝を迎えた。

昨夜のめぐみ叔母さんとの会話のおかげで、精神的に一つの区切りが付いたようで、ぐっすりと寝ることができた。

緊張感が抜けてきたのだろうか、昨朝より二時間遅れの7時前の起床となった。 

スマホの画面で現在の時刻を確認すると、めぐみ叔母さんからのメッセージが4つも届いていた。

 昨夜の就寝後1時間位に届いたようだが、全く気づかなかった。

メッセージの内容は、昨夜、私がめぐみ叔母さん宛に送信した写真に対しての質問、感想であった。

二枚の写真を送信していた。一枚目は守叔父さんの自宅外観写真、二枚目は守叔父さんから見せてもらった女性の写真である。

朝の挨拶とともに、まとめてメッセージを送ることにした。
 

「めぐみ叔母さま
こんにちは、おはようございます(^_^)/
鉄筋コンクリート製の低層タイプ。家賃12万と言われれば、妥当な金額だと思います。
引き戸(スライディングドア)は、二つずつありますね!
なので、2Kまたは、1LDKの間取りかな?と想像しています。
守おじさんから見せてもらった写真(紙)をスマホで再撮影したものです。
写真そのものは、私に見せるために準備していたのか?車の中にずっと積載していた物な
のかは区別できてません。ただ、撮影日が6年前のものなので、
車内にずっと積んでいると、若干の色褪せがあっても良いと思うのですが、
綺麗な発色のものであったので、僕に見せるために持ってきたのかも
知れませんね。もし、もと彼女さんの写真を見せたいなら、今日も別のもの見せてくれる
かもしれませんね。
では、朝食の買い出しにチョット出てきます。」
2021/12/2(木) 6:57


メッセージを送信すると空腹を感じた。

「一晩寝かせたカレー」は美味しいと言うけれど、朝食として食べる気分とはならなかったので、朝食の買いだしに出かけた。
 




コンビニで調達した朝食を済ませたのち、シャワーを浴びて着替えをして外出の準備を済ませた。

守叔父さんからの連絡は何時にくるだろう?

昨朝は、守叔父さんの家への朝駆けに失敗し、無駄に近所を歩き回ることになった。

今朝は同じ事を繰り返したくなかったので、宿で待機することにした。

部屋でボ〜っとしながら待つのは退屈なので、宿の外階段を使って、最上階へ上がってみる事にし、守叔父さんからの連絡が入ったら、いつでも出かけられるような状態で待つことにした。

最上階ならば、飛行機が見られるかもしれないと思ったからだ。 

最上階は遠くまで視界が開けており、東京スカイツリーも確認できた。 空を見わたすと昨日同様、ほとんど雲のない晴天であった。

羽田空港の方向を見ると予想通り飛行機が飛んでいるのを見つけることができた。 

 



カメラを向けて撮影しはじめてすぐに、メッセージ着信音が鳴った。
 

「終りました。
10時にはおっけいです。」
2021/12/2(木) 9:04



すでに、守叔父さんは仕事を終えたようである。 

 

「早いです❕
待ってます☀」
2021/12/2(木) 9:12


 

「ありがとう☺」 
2021/12/2(木) 9:13



昨日の様にならないよう、待ち合わせ場所が宿であることの確認のため、居場所を伝えることにした。

 

「今、ホテルの最上階で飛行機を見てます!
ちょっと小さいけど(^_^)/」
2021/12/2(木) 9:16




 

「OK」のスタンプ(絵文字)
2021/12/2(木) 9:20 


 



9時50分ごろ、宿の玄関へ行き、クルマの到着を待つことにした。

待ち始めてすぐに、通りの向こうから守叔父さんのクルマが現れた。

助手席側のパワーウィンドウが下がり、「おはよう!」との声と共にニコニコした守叔父さんの笑顔が見えた。

私は、「お邪魔します!」と声を掛けながら、ドアを開けてクルマに乗り込んだ。

今日は、どこへ行くのだろう? 

昨日、守叔父さんは羽田空港を指差しながら「コンド、イコウヨ!」と言っていた。今日、羽田空港へ行くのだろうか?

どこに行くのか説明の無い状態で、クルマはゆっくりと発進した。

羽田空港の方角は東であるが、クルマは現在のところ西方へ進んでいる。

第一京浜(国道15号線)に突き当たると、左折して南方へ進んだ。

右手前方に京急蒲田駅が見えた。駅前をそのまま通り過ぎて、少し進むと大きな交差点があった。(環状八号線:東京都道311号と交わる交差点)

その交差点は、南北方向に地下バイパスがあり、そこへ進めば信号機がなくて進めるようになっていた。

羽田空港を目指すならば、地下バイパスには進まず、この交差点を左折すればよい。

守叔父さんは、左折することなく直進してその地下バイパスの方へクルマを進めた。 行き先は羽田空港ではなさそうだ。

地下バイパスへ入るとすぐに、渋滞のためクルマが止まった。

バイパス内では、直前のクルマが小型乗用車であったため、前方の視界は広く、遠くまで一望でき、クルマがたくさん並んでいるのが見えた。

 

「混んでるね!」


と私が伝えると、守叔父さんが、前方を見ながら、

 

「ア・ル・イ・テ・ル」



と言った。私は、その言葉に対して、

 

「歩いてる?」



と心の中で、復唱していた。 そして、周囲に「人」がいるかどうかを確認した。

しかし、守叔父さんの視線方向の先や、クルマの周囲など、前後左右をみわたしたものの、私の視界の範囲には、「歩いている人」は見つけられなかった。

立体交差の地下バイパスであり、自動車やバイク以外は通行できないところであるため、路肩に歩道はなかった。

登り坂の先は見えていない状態であり、限られた視界の中での話である。

守叔父さんには、私には見えないものが見えているのだろうか・・・?

幽霊か人魂か何らかのものが歩いているのだろうか・・・?

少し、背中がゾクゾクするのを感じた。

そして、ほどなくして、前のクルマが動き出し渋滞が解消した。 

守叔父さんは、クルマを進めながら、

 

「ホ・ラッ!」



と言った。

何に対して、「ホ・ラッ!」と言ったのだろう・・・?

「俺の言った通りだろう!」といった感じの優越感の漂った言葉であった。

「ア・ル・イ・テ・ル」「ホ・ラッ!」に何らかの関係がありそうだが、その時には分からなかった。

(つづく)
 

2024年1月24日水曜日

「泣けない人」その89

 


89 、上京三日目.31

カレーそのものは無事に完成した。 米飯は、買い物の際にレトルトご飯を購入していた。

レトルトご飯を食べるのは何年ぶりだろう? 20年近く食べたことはなかったと思う。

以前は緊急保存食用として購入し、炊飯が面倒な時に食べていた時もあったが、常食する事はなかった。

色々な物が時代と共に変化し、進化している。

食品メーカーにおいても、日々、他社としのぎを削りあうために、商品改良に余念はないだろう。

美味しくなっていることを期待しながら、レンジで温めることになった。

「チン」の音が聞こえ、レンジ扉を開くと、炊きたての米飯の甘い香りがほのかに漂った。

 





のんびりと食事をとり、缶ビールやワインを飲んで一息した。

カレーは、市販のルーさえあれば、誰でも美味しく作ることができるだろうが、今回のものは思いのほか美味しく出来上がっていた。 

チョット贅沢してワインで煮込んだのは正解だったと思う。

レトルトパウチの米飯も美味しかった。 

 





食後、ボ〜っとしながらテレビを見ていると、めぐみ叔母さんからのLINEが入った。

 

「今日はお疲れ様でした。」
2021/12/01 21:34


予想通りの連絡であった。米国西海岸の時刻とともにあいさつのメッセージを返信した。

 

「6時過ぎ おはようございます。」
2021/12/01 21:35

 

「お早いですね」
2021/12/01 21:36

 

「この後、チョット長文だけど、
豊治叔父様に送信したメールを送ります。」
2021/12/01 21:37


豊治叔父さんとのやり取りの文面(参照 「泣けない人」その86)をコピー&ペーストしてめぐみ叔母さんへ送信した。

しばらくして、めぐみ叔母さんから返事が届いた。

 

「甘さんの観察力凄いね。 守さんの状態が
手に取るようにわかるし、
お二人の推測やお医者様に診てもらうこと賛成です❗」
2021/12/01 21:53 



豊治叔父さんとのやりとりをうまく理解してくれたようだった。 

めぐみ叔母さんも病院へ連れていく事に賛同してくれて良かったと感じた。

そして、「手に取るようにわかる」との表現は最高の賛辞だと思い嬉しくなった。

午後10時前、早寝するためには、メッセージだけで報告を終わらすこともできたけど、ほめられるとやる気が出てきたので、口頭でも伝えようと思い、めぐみ叔母さんへLINE電話を掛けることにした。

 





状況の説明を細かく話していると、時間は進むのが早く、気付くと1時間半を超える会話となっていた。

私の報告は、めぐみ叔母さんが、以前、守叔父さんと電話で会話した際に、「変だな」「おかしいな」と感じた事をうまくリンクできたようで、納得して貰えたようだった。

そのため、めぐみ叔母さんからのリクエストは、守叔父さんの身体・健康に関することと、現在の住まいの状況について調べることに変わりはなかった。

電話を切った後、いくつかのLINEメッセージをやり取りしているうちに、日付が変わっていた。

明日に備え、寝ることにしよう!

伝えたいことはほとんど伝えることができたので、安心して床につくことができた。

(つづく)
 

2024年1月17日水曜日

「泣けない人」その88

 


88 、上京三日目.30

カレーの煮込み具合を確認している時に、豊治叔父さんからメッセージが戻ってきた。

 

「やはり、認知症状や心身症(外圧、
ストレス)など心療内科に連れて行
って調べて貰う事が重要だと思いま
す。MRI検査はそこから回して貰う
ことを勧めます。仕事を休ませて診
て貰うことを考えて下さい。」

2021/12/01 17:54



私の伝えたかった真意は、豊治叔父さんに伝わったようだった。

予期していた通り、病院へ連れていくことの要望であった。

伝えたい事が伝わった事に安堵しつつも、今度はそのリクエストをどの様に達成するかを悩むことになった。

 





守叔父さん本人に対して、突然、「病院へ行きましょう!」と言ったところで、素直に「はい!病院へ行こう!」とはならないだろう。

きっかけ、理由が必要だろう。

もちろん、認知力の低下に関しての自覚症状がなければ、行く事を拒否するだろう。

もしも、病院嫌いならば、なおさら、連れていく事は難しいだろう。

プラセンタによるアンチエイジング治療はどの様なものなのだろうか? 

注射ならば病院での治療であろうから、病院嫌いではないかもしれない。

とはいえ、病院へ連れていくためには、どの様にすれば良いだろうかと悩むことになった。

連れていくタイミングも考えなければならないだろう。
守叔父さんが定期的に健康診断を受けているかどうかもまだ分からないし・・・。 

守叔父さんの家の内部の状況を把握し、健康診断関係の書類などがあれば、その健康診断の結果次第では説得できるかもしれないと考えた。

 





そして、私は以前、豊治叔父さんから聞いた話を思い出していた。

豊治叔父さんが、守叔父さんから聞いた話で、その内容は、


「守叔父さんは、数年前、病院へ行くと【認知症にされる】から病院へは行かなかった。」


というものであった。

【認知症にされる】という言葉をどの様に理解すれば良いのか、当時は分からなかった。

お医者さんが、故意に認知症を発症させることがあるだろうか? もしくは、正常な人に対して、「認知症」と間違った診断をくだすのだろうか?

当時、病院へ行くのを勧めたのは会社を共同経営していた安西さんであったようだ。

そして、昨日、今日、守叔父さんは、私に対して、何度も「安西さんにお金を騙し取られた」と言っていた。 

安西さんと医者が組んで、守叔父さんを「認知症」にしたのだろうか・・・?

本当に、そんな事があるのだろうか?

「守叔父さんは、数年前、病院へ行くと【認知症にされる】から病院へは行かなかった。」

という言葉が真実ならば、なおさら、認知症の外来病院へ連れていく事には多難があるだろう。

 





安西さんに直接会って、守叔父さんの事を聞くことにより、その真偽に近づける可能性はあるが、本当の事ならば、それらは犯罪であり、犯罪者に近づくことになる。


当然のように、豊治叔父さんは、安易に安西さんに会うことは承知しないだろう。

お金を騙し取られたというはっきりした証拠が有れば、安西さんへのアプローチは、それなりに考えなければならないだろう。

逆に証拠がないとすれば、安西さんに少しでも早く会って、守叔父さんの状況を聞いた方が良いだろうと考える。

しかし、「ないことを証明する」ことは難しい。

「あることを証明する」には、一つでも見つければ「あることを証明できる」が、「ない」ことは、探し続け、探し尽くした結果として「ない」ならば、その証明ができるが、探し方がおろそかになれば、証明したことにならない。

お金を騙し取られたかどうかを調べるには、守叔父さんの身の回りの金銭の流れを過去にさかのぼって調べなければならない。それらを調べるにあたって、共同経営者の安西さんの協力が必要な事も言うまでもない。

騙した側の安西さんが本当の話をするだろうか? つまり、そこにジレンマがあるため、「ないことの証明」は容易ではないという事になる。

などと、色々と頭に浮かんできた。

難しく考えれば考えるほど、難しくなるのかもしれない。

煮込み中のカレーの様子をみると、良い感じであったので、一旦、考えるのをやめて、夕食にすることにした。

(つづく)
 

2024年1月10日水曜日

「こ・ど・ば・んって何?」 新たに気付いたこと

 

能登半島地震で被災された皆様に

心よりお見舞い申し上げますとともに

一日も早い復興をお祈り申し上げます

 

 

 


二年前(2021/12/01上京三日目)、浮島町公園を目指して走行中の車内において、守叔父さんが発した言葉について


二年経った今、ボイスレコーダーを聞き直して、新たに気付いたことがあります。

当時、聞き逃していた四文字の言葉「◯・◯・◯・◯」

前置き無く、突然「◯・◯・◯・◯って、何?」と守叔父さんが言ったために、その時はその「◯・◯・◯・◯」が聞き取れませんでした。

多摩川沿いの「ヨドバシカメラ 新ヨドバシカメラ アッセンブリーセンター川崎」の近くを走行中に、建物を見ながら守叔父さんが発した言葉でした。

続けて、守叔父さんがその後、「◯・◯・◯・◯ カメラ」と言ったため、「ヨ・ド・バ・シ カメラだね!」と私は相槌をうったのを覚えています。

つまり、「◯・◯・◯・◯」🟰「ヨ・ド・バ・シ」であった訳です。

しかし、ボイスレコーダーに残っていた言葉は「ヨ・ド・バ・シ」ではありませんでした。

聞き取りにくい音声ではあったのですが、その言葉を何度も聞き直すことによって、
 

 

「こ・ど・ば・んって何?」

 

 

と言っている事がわかりました。


では、ナゼに「よ・ど・ば・し」「こ・ど・ば・ん」と言ったのでしょうか?

不可解です。その二つの言葉の響きは明らかに違っているし、、、。

言い間違いや、読み間違いなどがあるのでしょうか?

察しの良い人は、すぐに気付かれたかもしれませんが、二つの言葉をひらがなで表記する事に少し違和感を持たれる人もいらっしゃるでしょう。

ここでは、意図的に、ひらがなで「こ・ど・ば・ん」と表記しました。なぜなら、ボイスレコーダーを聴きながら私がメモしたのが「こ・ど・ば・ん」というひらがなだったからです。

この時点では、

 

 

 


「よ」「こ」

「し」「ん」

 

 

と読み間違っていると考えました。

なぜだろう? 不思議だな・・・としか思いませんでした。

その後、当時の記憶を少しでも思い出せるかもしれないと、グーグルストリートビューで周囲の景色を見直すことにしました。

Googleマップのストリートビューから引用。

「ヨドバシカメラ 新ヨドバシカメラ アッセンブリーセンター川崎」の建物の壁面には、当時の記憶と同じ場所にロゴが描かれていました。

遠方の車窓から読めるほどの大きなものであったことを再認識しました。
 
そのロゴを見直し、そのロゴがカタカナ表記である事に気付きました。

そして、「こ・ど・ば・ん」をカタカナで書き直すことにしました。

「コ・ド・バ・ン」と表記したのち、

「ヨ・ド・バ・シ」🟰「コ・ド・バ・ン」

すると、

 

 

 

 

「ヨ」「コ」

「シ」「ン」

 

 

 

 

に読み間違えられていた事に気が付きました。

それぞれ、一画違いで、真ん中の横棒の有無の違いであり、見た目は似ていると言えば似ていると思いました。

そのため、守叔父さんは、「運」「成田」などの漢字だけでなく、カタカナも部分的に読めなくなっていたのだろうという事に気が付きました。

当時、車内において守叔父さんの発した言葉「コ・ド・バ・ン」は、私にとって聞いたことのない言葉であったため、聞き取れなかったのだろうと思います。

運転中の事であり、わき見運転中の判読ではあるため、誤読したのだろうと思う人がいらっしゃるかもしれませんが、守叔父さんの視力を考えると、見間違える事はまず無いだろうと考えます。

カタカナが部分的に読めなくなっていたのだろうと推測できる理由がもう一つあります。

なぜなら、守叔父さんが以前住んでいたマンションの隣りが、「ヨドバシカメラ」の店舗であり、「ヨドバシカメラ」「ロゴ」を数えきれないほど目にしていたはずだからです。

見慣れたものが分からなかったという事で、識字力が落ちていたという判断となりました。