2024年4月24日水曜日

「泣けない人」その102

 


102 、上京四日目.13


京急川崎駅からの帰路、カーラジオから音楽が流れ、その曲に耳を澄ましながら移動していた。

守叔父さんが「電車」「フネ」と言った事によって感じた戸惑いは、曲の流れる時間と共に少しずつ薄らいでいった。

何らかのキッカケで守叔父さんは、またしても安西さんや佐藤さんにお金を騙し取られた事を話し始めた。

その話の内容は、一昨日、昨日と変わらないものであり、目新しい情報は無かった。

一通りの話を聞いたあと、証拠となるものがないのかどうかを聞くと、胸ポケットからスマホを取り出して、安西さんからのメールを見せてくれたが、一昨日、昨日も見せて貰った同じメールであった。

他に届いたメールがあれば、状況が分かるかもしれないと思い、有無を確認する為に、スマホの画面をフリックしてみたけれども、安西さんからのメールは1通しか無かった。 

トラブルを抱えた相手とのやりとりが1通のメールだけとはいささか不自然ではあるが、ないものはしょうがない。

代わりに佐藤さんとのメールのやりとりはあるのだろうか?

調べようとした時、守叔父さんにスマホを取り上げられてしまったので確認できなかった。

守叔父さんはスマホを操作して、

 

「コレ、オモシロイヨ!」
(これ、面白いよ!)



と言いながら、私にスマホを見せてくれた。

画面に映っていたものは、昨日の昼食時に見せてくれた動画であった。

守叔父さんが中国旅行へ行った際に撮影されたものである。

昨日は動画を一緒に見ながら、撮影時の状況を丁寧に説明してくれたので、その動画の内容を私は覚えており理解していた。

それにもかかわらず、守叔父さんは、初めて見せるがごとく、ほぼ同じ内容を事細かく説明をしながら見せてくれた。

昨日、既に私に見せた事を覚えていないのだろうか? 

それとも、ただ単に何度も見せたいと思っているのだろうか?

守叔父さんは、その動画を笑いながら笑顔で説明してくれたが、私の表情は困惑して、苦笑いしていたと思う。

安西さんからのメールの件、そして、中国旅行の動画の件、それぞれ、同じような行動が二回または三回繰り返されていることに気がついた。

 





動画の再生が終わり、動画の説明を喋り終えると、守叔父さんはスマホを受け取って胸ポケットにしまいこんだ。 そして、


「オモシロカッタデショ!」
(面白かったでしょ!)



と言って、満足そうな表情をしていた。

 





ちょうど、カーラジオから流れる歌が終わりDJ(ディスクジョッキー)が喋り出した時だった。

守叔父さんは、すかさずカーラジオの選局ボタンを押した。

音楽が流れているチャンネルがみつかると、その音楽を聴いた。しばらくして、その曲が終わり、DJ(ディスクジョッキー)が喋り出すと、また選局ボタンを押した。

音楽のみを聴くような感じで、ニュースやDJの「話し声」を聞くことがほとんど無いことに気がついた。

もしかすると、言葉が不自由になったため、他人(DJやアナウンサーなど)の話す事が理解できない、もしくは理解しづらいのかもしれない。 

結果として、それらの言葉は雑音となり、雑音を避けるために音楽を選局しているのかもしれないと考えた。

(つづく)

 

2024年4月17日水曜日

「泣けない人」その101

 


101 、上京四日目.12

「(川崎)市役所通り」を西に向かってクルマが進んでいる。

この先には、「オッキナフネ(大っきな船)」があるらしい。

右手に川崎市役所が見え、それを通り過ぎた後に右折して、細い路地に入り込んだ。

ほどなく、より狭く一方通行の道に入り込んで行った。 

守叔父さんは、以前、「川崎駅」近くのマンションに住んでいたので、この辺りの道路には詳しいのだろうが、本当に狭い路地の先に「オッキナフネ(大っきな船)」があるのだろうか・・・?

いくつかの小さな交差点を過ぎた後に左折した。

そして、直進し続けると一時停止の道路標識のある「丁字路」に突き当たった。

一時停止で止まったのち、クルマを進めると目の前には左右に高架が広がっていた。

高架の上の看板には「京急川崎」と書かれており、「京急川崎駅」のプラットホームであることが分かった。

守叔父さんは、駅ホームの左右を見て、そして何かに気がつき指差して、

 

「キタ、キタ、フネ、フネ!」
(来た、来た、船、船!)



と言い出した。

駅のホームに「船」が来ることがあるのだろうか・・・? 

見逃すまいと、その指の指し示す方向を見るものの、下りの普通列車がホームに滑り込んできただけだった。

「船」を表す何らかの特別な塗装の列車というわけでもなく、赤く見慣れた京急の車両であった。

先頭車両が右から左に通り過ぎ、京急川崎駅のホームにその全ての車両が並んで停止した時、守叔父さんは、

 

「オッキナフネ!」
(大っきな船!)



と言いながら、笑顔で喜んでいたのだった。

この事により、守叔父さんの言った「オッキナフネ!」とは、「大きな(長い)電車」のことであることが分かった。

まさか、「電車」の事を「船」と言うとは予期できなかったし、「車両数が多くて長い列車」「大っきな」と表現する事にも驚いた。

そして、守叔父さんは、わざわざ手間をかけて、私に京急の電車を見せてくれたことになる。

守叔父さんは、50歳を超えた甥っ子である私が、単なる普通の電車を見ると喜ぶと考えたのだろうか・・・? と少し疑問を覚えた。

対して、守叔父さんの表情は、小さな子供が電車を見て喜んでいるような風に見えた。

電車が出発し、ホームから見えなくなると、守叔父さんは満足したようで、クルマをゆっくりと発進させた。

 





カーラジオから流れる音楽を聴きながら、守叔父さんの発した言葉を心の中で反すうしていた。

守叔父さんは、駅において「電車」「フネ」と言い、八景島の「シーパラダイスタワー」の事を「フネをピューっとやるやつ」と言った。

その両者に共通することは何だろう・・・? と考えると、「フネ」とは「乗り物」の事を全般的に指しているのではないかと推測した。

船やクルマなどが「進んでいること」「アルイテル」と言い、車両数を「コ(個)」で数えた事などから、「電車」「フネ」と言ってもおかしくない。

これらの事から、守叔父さんの使える言葉が少なくなっており、言葉に問題を抱えていることはより明らかになった。

また、守叔父さんは、私の事を喜ばそうと考えて行動していることは理解できるが、その思考は、ある意味子供っぽくて「幼稚」であり、かつ「単調」なものであることがわかりはじめたような気がした。

(つづく)
 

2024年4月10日水曜日

「泣けない人」その100

 


100 、上京四日目.11


八景島シーパラダイスの滞在時間は、場内の移動時間20分、シーパラダイスタワー搭乗10分、計30分程のわずかな時間であったが、守叔父さんは、十分に楽しんだといったような満足そうな笑顔をしていた。

私は、対照的に「船をピューっとやるやつ」の謎が頭から離れずに困惑していた。

クルマを駐車場から出し、移動しはじめて数分後、交差点にて信号待ちをしていると、守叔父さんは、声を出しながら何かを数え始めた。

 

「イッコ、ニコ、サンコ、ヨンコ、ゴコ。」
(一個、二個、三個、四個、五個」



数え終えたようだ。そして、

 

「ゴコダッタネ!」
(五個だったね!)



と言って微笑んだ。何の個数だろう?

周囲で数えられるモノを探したが、「個」の助数詞を使って数えられるモノで「五個」になるものは見つけられなかった。

「個」とは数えられないものかもしれないな、、、。と考え直してみた。

交差点を横切ったクルマは10「台」以上もっとたくさん走っていたし・・・。

街路樹も数えられないほど、何「本」も林立している。

他に何か視界に入っていたモノが有っただろうか?

守叔父さんが数えはじめた時に、道路に並走している高架上をシーサイドラインの列車が通り過ぎたのが見えていたような・・・気がするが、今は見えていない。

シーサイドライン車両に関する何らかの数なのだろうか? 

ぼんやりして見過ごしていたので分からないが、もしかして「車両数」なのだろうか?

もう一度、見ることができれば確認できるだろう。

信号が変わり、クルマを進めると、運良くシーサイドラインの車両をもう一度、見ることができた。

同一車両では無いかもしれないが、私は声を出しながら数えることにした。

 

「一、二、三、四、五」



と数えた。確かに五両だった。

 

「五両だね!」



と守叔父さんに伝えると、

 

「デショ!」
((そう)でしょ!)



と返事がかえってきた。守叔父さんの表情をみると、数えまちがってなかった事を喜んでいるようだったので、先ほどの「五個」は、車両数の「五両」を数えていたことが理解できた。

車両数を「個」で数えることには少し戸惑ったが、「船をピューっとやるやつ」に比べるとさほど驚きは無く、「助数詞」の使い方もままならないことに気がつくことになった。

 





その後、クルマは進み、横浜を過ぎ、川崎に近づいていた。 唐突に、守叔父さんが、

 

「フネ、ミタコトアル?」
(船、見たことが有る?)



と言った。

江の島の展望台から「漁船」を見てから数時間しか経ってないのにな・・・?と思っていると、

 

「アッチニ、オッキナフネガアル。」
(あっちに、大っきな船が有る。)



と海とは反対側の西を指差しながら言った。

「船」ならば、「海」の方向を指差すだろうが、、、。

守叔父さんの表現している「フネ」「船」では無いのかもしれないと推測した。

もしも、シーパラダイスの展望台を「フネ」と表現したのならば、展望台が有るのだろうか?

 

「イッテミル?」
(行ってみる?)



と守叔父さんが聞いてきたので、「フネ」が何であるかを理解する為には良いチャンスだと思い、

 

「行く! 行く!
行ってみたいな!」



と答えた。すると、守叔父さんはウィンカーを左に入れた。そして、次の交差点を左折した。

ちょうど、川崎駅へ向かうルートであった。

守叔父さんの「フネ」は、何を指しているのだろうか?

(つづく)
 

2024年4月3日水曜日

「泣けない人」その99

 


99 、上京四日目.10


行き先の分からないドライブが続いている。 

以前、住んでいた地域周辺なので、道に迷うなどの不安は特に無い。

てっきり、交差点を直進して「横浜ベイサイドマリーナ」へ行くのだろうと思った矢先に、右折するとの事、私の予想は違っていたようだ。

東京湾岸道路を南下すると、突き当たりは「八景島シーパラダイス」である。

守叔父さんの目的地は、「八景島シーパラダイス」なのかもしれないと考え直した。

 

「この先、八景島だよ!
シーパラダイスに行くの?」



と問うと、

 

「ソウ、ソウ!、ソコ、ソコ!
モウスグ、ツク!」
(そう、そう!、ソコ、ソコ!
もうすぐ、着く!)



と言いながら、八景島の方向を指差した。

行き先が「八景島シーパラダイス」であることがハッキリした。

いまさらながら、八景島に行く事が分かっていなくても、「京急金沢八景駅」の近くの交差点を海側へ曲がるように伝えて、海岸沿いを進んでいれば近道だったのにな・・・・。と少しだけ後悔した。

 





シーパラダイスの駐車場の案内看板を見つけると、守叔父さんは笑顔で、

 

「ココ!、ココ!」
(ここ!、ここ!)



と言って、迷いなく看板の指示通りに駐車場内へ進んだ。

駐車場は八景島の島外にあるため、八景島へは歩いての移動、そして、「マリンゲート」と呼ばれる橋を渡る必要がある。

駐車場から歩いて「八景島シーパラダイス」を目指した。

 





橋を渡り、シーパラダイス場内に入ると、守叔父さんは行き先がハッキリとわかっているようで、場内の案内図などには脇目もふらず、歩みを続けた。

私は、遊覧船に乗ったことはなく、その乗り場がどこなのか知らなかったので、守叔父さんの後について歩くだけだった。

 





いくつかの建物に入っては出て、入っては出てを繰り返した後、建物を出ると目の前には、大きなタワーが立ちそびえていた。

タワーの先に遊覧船乗り場があるのだろうか・・・?

守叔父さんは、ドンドンそのタワーに近づいて行った。

「シーパラダイスタワー」の搭乗券の券売機を見つけると、迷いなくチケットを購入した。

「船をピューっとやるやつ」に行くと言っていたのに、目的を変更したのだろうか?

それとも、「シーパラダイスタワー」「船をピューっとやるやつ」と表現したのだろうか?

まず最初にタワーに昇った後、遊覧船に乗るつもりなのだろうか・・・?

なんだか、キツネにつままれたような気分になった。

1時間ほど前に、「江の島シーキャンドル」の展望台に登ったばかりなので、展望台の「連チャン」である。

昨日の「横浜ランドマークタワー展望台」も含めると、「3連チャン」の展望台となる。

天気が良く、遠くまで眺望できる空気の澄み切った日が続き、ラッキーではあるが、少しお金の無駄遣いかな・・・?とも感じていた。

シーパラダイスタワーは、その展望台部分がゆっくりと回転しながら上下する乗り物で、地上90mから360度のパノラマ風景を見ることができ、「展望台」「アトラクション」をミックスしたものである。

守叔父さんは、終始、笑顔で遠くの景色を楽しんでいた。


「シーパラダイスタワー」から降りると、来た道をそのまま戻ることになった。

遊覧船には乗らないのだろうか・・・?

 

「船に乗らないの?」



と尋ねると、頭を横に振り否定しながら、胸元からスマホを取り出し「時刻」を確認した後、

 

「カエロウ!」
(帰ろう!)



と言った。

そして、そのまま歩き続けて「マリンゲート」を渡ることになった。

「船をピューっとやるやつ」は何だったのだろう?

まさか、「シーパラダイスタワー展望台」の事を「船をピューっとやるやつ」と表現していたのだろうか?

私は、守叔父さんの言動と行動がまったく理解できない状況に戸惑ってしまった。

(つづく)
 

2024年3月27日水曜日

「泣けない人」その98

 


98 、上京四日目.9

カーラジオに気を取られている間に、私が以前に住んでいた家の最寄り駅である「京急追浜駅前」を通り過ぎていた。

私は、私がこの辺りに住んでいた事を守叔父さんが覚えているかどうかを確認する為に、
 

「先程、通り過ぎた交差点を曲がったら、
以前に僕が住んでた家だよ!」


と伝えると、うなづきながら、

 

「コノアタリダッタ!」
(この辺だった!)



と、覚えているような返事が返ってきた。 しかし、私が伝えるまでは、その事を気にしてなかったようだった。

守叔父さんは、私の為に遠回りをしたわけでなく、目的地への最短の移動ルートとして「横須賀街道(国道16号線)」を選んだようだ。

 





しばらくすると「京急金沢八景駅」である。 すぐ近くに「八景島」があり、「八景島シーパラダイス」がある! 

以前、何度となく足を運んだことがあった。 遊覧船もあるので、「船をピューっとやるやつ」の目的地になりうる場所でもある。

「金沢八景駅」を過ぎた後、一つ目の信号を右へ曲がれば、最短距離で「シーパラダイス」へ向かえるが、クルマはその信号を直進して通り過ぎたので、目的地ではないのだろう。

このまま、「横須賀街道」を北へ進めば、「横浜港」に近づく事になる。 

 





しばらく進んだ後、私の予想していた場所よりだいぶ手前の交差点で、クルマは右折レーンに入った。信号機を見ると「富岡町交差点」であった。

「横浜港」へ行くには、直進した方が良いと思ったので、

 

「直進の方が、いいんじゃない?」



と守叔父さんに伝えた。 守叔父さんは、右前方を指差しながら、

 

「コッチ! コッチ!」
(こっち! こっち!)



と言い、目的地へのルートに間違いのないとの自信を持っているようだった。

私のおぼろげな記憶では、右折して進めば、ほどなく高架道路の並走する大通りに突き当たるはずである。

その大通りの一般道は「東京湾岸道路(国道357号線)」であり、高架道路の方は「高速湾岸線」である。

大通りの交差点の角に「ヤマダデンキ」があれば、そこは「鳥浜町交差点」である。

交差点を直進すると、その先には「三井アウトレットパーク横浜ベイサイド」があり、そのモールの隣が、「横浜ベイサイドマリーナ」だったような・・・。 

たしかに、クルーザーがたくさんある場所である。

そこが、目的地なのかもしれない!

 





道路の前方に高架道路が見えてきた。

続いて、左前方に「ヤマダデンキ」の店舗も見えてきたので、私の記憶は正しかった。

大通りの交差点に近づきながら、守叔父さんは、

 

「アッ、コッチダ!」



と、より確信を得たように、車のウィンカーを出した。

私が直進して「横浜ベイサイドマリーナ」に行くのではないかと予想した矢先、守叔父さんはウインカーを出したのだった。

 やはり、「横浜港」を目指すのだろうか?

「横浜港」へ行くならば、左折しなければならないが・・・。

しかし、その予想も違っており、なぜか、ウィンカーを出した後、右折レーンに入って行った。

直進でも、左折でもなく、右折するとは・・・。

「船をピューっとやるやつ」とは、何を意味しており、場所はどこなのだろうか・・・?

(つづく)

 

2024年3月20日水曜日

「泣けない人」その97

 


97 、上京四日目.8

京急田浦駅前を通過し、横須賀街道(国道16号線)を北上中。

車内ではカーラジオが流れていた。 歌が終わり、ニュースがはじまった。 

ニュースでは、歌舞伎役者の中村吉右衛門さんの死去を伝えていた。

「鬼平(おにへい)・・・。」とアナウンサーが言いかけたタイミングで、守叔父さんがカーラジオの「選局ボタン」を押し、他の番組プログラムを探しはじめた。

私は、中村吉右衛門さんの死因は何だったのだろう?享年は? とチョットだけ集中して聞いていたのだが、その不自然なタイミングでの選局により、聞き逃して分からずじまいになった。

守叔父さんは、なぜ、このタイミングで「選局ボタン」を押して選局し直すのだろうか・・・?

「他人の死」ではあるが、死因や年齢には興味はないのだろうか・・・?

 





よく考えたら、守叔父さんは運転中であるにもかかわらずに、高い頻度で「選局ボタン」を押している。

NACK5、bayfm、TOKYO FM、J-WAVE、NHK FMなどのFM局を繰り返して選局して、気に入ったものをその都度聴いている。

昨日も一昨日も、同じことを繰り返していた事を思い出した。

もちろん、テレビを「ザッピング」(テレビを視聴している際にリモコンを操作してチャンネルをしきりに切り替える行為)して、好きな番組を探すように、ラジオも自分の聞きたいものを探して聞けばよいのだが・・・。 

私ならば、興味のある番組プログラムが見つかれば、その番組の最後まで聴いた後、次の番組が面白くなさそうな場合には、選局し直しするだろう。

もしくは、電波の受信状態が悪く、雑音がはいるときには、別の局を探すこともあろう。

守叔父さんの「選局ボタン」タイミングは、私のその二つのタイミング、回数とは異なっているようだ。

 





ニュースが流れている最中に「選局ボタン」を押され、代わりに聞こえてきたのは、上田正樹「悲しい色やね」の歌であった。

「もたれて、泣いたらあかん・・・。」と1番の歌詞の途中であり、サビの「Hold me tight」の流れる少し手前であった。

守叔父さんは、
 

「コレ、ダレダ?」



と聞いてきた。私の好きな曲の一つなので、すぐに答えることができた。

 

「上田正樹!」



すると、守叔父さんは、サビ歌よりも先に、

 

「Hold me tight?」



と曲のサビ歌詞を確認するかのような感じでつぶやいた。

直後、ラジオからの歌声が「Hold me tight」と流れたので、私は拍手して

 

「そうそう、正解!」



と言った。 その後、守叔父さんは、

 

「コノウタ、イイウタダヨネ!」
(この歌、いい歌だよね!)



と言い、言った直後にラジオの音量を上げて、歌声に耳を傾けることになった。

「悲しい色やね」が終わっても、守叔父さんは「選局ボタン」を押さなかった。 続いて流れてきたのは、小林明子「恋におちて -Fall in love-」であった。

 

「コレモ、イイウタダネ!」
(これも、いい歌だね!)



と言って、歌が流れている間は、「選局ボタン」を押すことはなかった。

(つづく)
 

2024年3月13日水曜日

「泣けない人」その96

 


96 、上京四日目.7

缶コーヒーを飲んで一服した後、駐車場へ向かった。

門前通りは、日曜祭日のような賑わいではないものの、その狭い路地には、訪れた観光客が散在していた。

それらの人々をかいくぐって進むため、おのずとゆっくりなペースでの歩みになった。

私は、帰路「丸焼きたこせんべい」のあさひ本店に立ち寄りたいと考えていた。

江の島の名物で、たびたびテレビで紹介されていたため、そのせんべいが焼けるところを見たいと思っていたのだが・・・。 

守叔父さんには興味のないものだったようで、「見ていこうよ!」と声を掛けたものの、スルーされてしまった。

そのため、展望灯台からの帰路は、途中の飲料自動販売機での一服と、お手洗いに立ち寄っただけで、ほぼ素通りであった。

 





入口の青銅の鳥居をくぐって車道にでると、右手に進み、クルマをとめた「江の島なぎさ駐車場」に向かった。

駐車場でクルマに乗って「船をピューっとやるやつ」に向かって移動しはじめた。

「船をピューっとやるやつ」とは何だろう・・・?

過去の思い出の中で「船」に関して思い出したのは、守叔父さんが操縦するクルーザーに乗せてもらったことである。

その当時、守叔父さんはクルーザーをその所有者から預かり、日常のメンテナンス管理を請け負っていた。

私が叔父さんのところへ遊びに行った際、そのクルーザーを横浜から東京のマリーナへ移動させる必要があり、私も同乗させてもらったのだった。

その時は、運悪く天気がイマイチで風があった。 うねり・波が立っている中での移動であったため、のんびりとしたものではなかった。 下手に喋ると船の激しい揺れで舌を噛みそうになるくらいに揺れた乗船であった。

もしかすると、今でも仕事としてクルーザーの管理を請け負っているのだろうか・・・?

今日の天気なら、視界良好、波もほとんど立ってないので、快適なクルージングとなるだろう!!

期待はしていないが、少しだけウキウキしていた!

 





クルマは、七里ヶ浜の海沿い国道134号線を鎌倉方面に向かっている。

横浜のマリーナが目的地ならば、その経由地で良いだろう!

「船をピューっとやるやつ」とは、クルーザーに乗って「ピュー」と海に出ることかもしれない。 ほんの少し可能性が高くなった。

 





しばらく進むと、守叔父さんは、途中、車載のカーナビを操り、道を確認していた。

その画面はモノクロ(単色)モニターであり、旧式のため今風のナビ画面とは見た目が全く異なるものであった。

私はそのナビ画面を横から見ていたものの、その画面はどの位置・場所であるかよくわからなかった。

私の予想は合っているのだろうか?

 





道路標識を確認すると、鎌倉を過ぎて逗子方面に進んでいた。

目的地が横浜港のマリーナなら逗子方面へ進むより、金沢街道(県道204号線:横浜横須賀道路の朝比奈IC方面)の方が良いのにな・・・? 

目的地が違うのかな・・・? 逗子を通過すると横須賀逗子線(県道24号線)を進んだ。

進み、国道16号線の船越町交差点に出た。 交差点を左折し、国道16号線を北上しはじめた。

以前、私は横須賀市に住んでいた時期があるので、見覚えのある懐かしい風景が次々に目に飛び込んできた。

守叔父さんは、私の為に、敢えて遠回りルートを選んでくれたのだろうか・・・?

目的地が分からぬままのドライブが続いた。

(つづく)
 

2024年3月6日水曜日

「泣けない人」その95

 


95 、上京四日目.6

「年齢当てクイズ」に満足した守叔父さんは、両腕で自分を抱くような格好で、腕をさすりながら、

 

「イキマスカ!」
( 行きますか!)



と言った。少し、風が強くなってきたために、肌寒く感じはじめており、丁度よい頃合いであった。

綺麗な風景を堪能できたことに感謝しながら、展望台を降りることになった。

 





守叔父さんは、江ノ島展望灯台エレベーターから降りると、下山ルートに進みはじめた。

下り坂とはいえ、守叔父さんの歩みは速く軽快であった。

歩くペースをゆっくりにして欲しかったので、私は守叔父さんに話しかけた。

 

「叔父さん、身軽だね!
足とか痛いところは無いの?」



すると、守叔父さんは自分が健康であることをアピールするために、

 

「オレ、コウヤッテ
(イツモ)アルイテル。」
(俺、こうやって
(いつも)歩いてる。)



と言って、より速いペースで歩きはじめてしまった。

会話しながらゆっくり歩こうと考えていたのが、逆効果となってしまった。私は、守叔父さんの歩きに感服し、

 

「凄いね!」



と伝えた。すると、逆に、

 

「アシ、イタイノ?」
(足、痛いの?)



と聞かれてしまった。

 

「痛くないけど・・・。
(叔父さん)元気だね!と思って。」



と少し、意味深に答えると、守叔父さんは少しゆっくりと歩いてくれた。 そして、笑いながら、
 

 

「サッキ、オトコノコニ
イクツカ キイタラ
ボクハ モウ 26サイ ッテ
オレハ 40サイ デショッテ
チガウヨッテ イッタラ
エーーダッテ。」
(さっき、男の子に
いくつか(年齢)聞いたら
僕はもう 26歳って、
俺は 40歳でしょって
違うよって言ったら
エーーだって。)



と言った。

展望灯台でのカップルとの「年齢当てクイズ」の話であった。 若く思われた事がホントに嬉しいようだ。

私の「元気だね!」という言葉から、守叔父さん本人が元気であり、「元気」「若い」と繋がり、「年齢当てクイズ」の話になったようであった。

「元気」という言葉が好きなようなので、「超元気、超元気だね!」と伝えると、

 

「ゲンキ!」



と言った後、またもや、スピードアップして歩きはじめてしまった。

私は守叔父さんと同じペースで歩くのをあきらめ、マイペースでゆっくりと歩くことにした。

守叔父さんは、どんどん先に歩いて行ってしまった。 

 





しばらくすると、先の自動販売機の横で守叔父さんが待ってくれていた。

私がたどり着くと、その自動販売機に小銭を投入し、
 

 

「ハイ、ドウゾ!」
(はい、どうぞ!)

 


と飲み物を勧めてくれた。 温かいものが飲みたくて、缶コーヒーを選んだ。

言葉にトラブルを抱えていても、サービス精神は変わらないな・・・。

コーヒー飲みながら、この後、どうするんだろう?と思っていたら、
 

 

「コンド、ドコイク?」
(今度、どこ行く?)

 


と聞いてきた、
 

 

「どこ、行きますか?」

 


と、質問に対して、質問で返事を返した。

すると、守叔父さんは、
 

 

「ドコデモ ドウゾ、
アッ、マタ、フネヲ、ピーット
ヤルヤツ イコウ!」
(どこでも どうぞ、
あっ、また、船をピューっと
やるやつ 行こう!)

 

 

と言った。

「船をピューっとやるやつ」とは、何であるか理解できなかったが、行き先は守叔父さんに任せることにした。

(つづく)
 

2024年2月28日水曜日

「泣けない人」その94

 


94 、上京四日目.5

江ノ島の展望灯台は、高所にもかかわらず、そよ風が軽く吹く程度で非常に穏やかであった。

12月であっても、快晴の下、その暖かな日差しのため、屋外の展望台であっても寒さをあまり感じなかった。

守叔父さんの発した言葉「ア・ル・イ・テ・ル」を解釈することができたため、守叔父さんが「幽霊」を見ていたわけではないようなので少し安堵した。

そして、同時に守叔父さんの話す意味不明な言葉を理解するための糸口を見つけたような感覚にもなった。

端的には、守叔父さんの使える言葉が少なくなっていて、その少ない言葉を駆使して、会話しているということだろう。

物体が前方に移動することは「歩いている」と表現しているようだ。

そのため、クルマが進むことを「歩いてる」、飛行機が飛んでいることも「歩いてる」、船が進むことも「歩いてる」となる。

一昨日、昨日と飛行機を見ながら、意味不明な言葉を言っていたが、その中にも「歩いてる」という言葉が使われていたのかもしれない。 

飛行機を見上げながら「歩いてる」と言われても、その時の私には理解できなかっただろう。

一日目、イトーヨーカドーにおいて、「トイレ」のことを「オ・ン・セ・ン」と表現したとすれば、「水」に関係した場所をすべて「温泉」と表現しているのかもしれないと解釈できる。

金銭トラブルに関して話していた時の「カイケイシ」とはお金に関係する人を指しており、「会計士」のみを意味しているのではないと解釈できるかもしれない。

つまり、守叔父さんの話す言葉には、間違った言葉を使っている可能性があり、言葉の字面にとらわれずに、柔軟に言葉を類推する必要があるようだと理解した。

使える言葉が少ないから、「アレ」「コレ」「ソレ」「アソコ」などの指示語・指示詞を多用せざるを得ないのだろう。

地名や人物名などの固有名詞もほとんど出てこないし、私の名前も一度も出てこない。

他人とのコミュニケーションにおいて、使える言葉が少なければ会話が成り立たないだろう。その際に、「ワカラナイ」と言う言葉を使うために、何かにつけ「ワカラナイ」という言葉が即座に出てくるのだろう。

「しゃべり言葉」が少なくなっているように、文字が読めなく「読む言葉」も少なくなっているのだろう。「成田」が読めなかった。

文字を書くことができるのだろうか・・・? 疑問がでてきた。

そして、この様に言葉の不自由な守叔父さんは、本当に仕事ができるのだろうか?

仕事だけでなく、どうやって、日常生活を送っているのかさえも疑問である。

守叔父さんの自宅内に入らなければ、日常生活の様子は分からない。

自宅訪問のきっかけを見つけなければ!

と、いつの間にか「遊びモード」から「探偵モード」へスイッチが変わって考え込んでいる自分に気が付いた。

ふと、横を見ると、そこにいたはずの守叔父さんがいつの間にかいなくなっていた。

周りを見回すと、すぐに守叔父さんを見つけることができた。

守叔父さんは、観光客の20代くらいの男女カップルに声を掛け、話しているようだった。

何の話をしているのだろう?と近づいていくと、

 

「ナンサイ ミエル?」
(何歳 見える?)



と守叔父さんが言っており、恒例の「年齢当てクイズ」をやっていたのだった。

守叔父さんは、私が近づいてきたのに気付くと、私を指差した後、

 

「コノコト ドッチ ワカク ミエル?」
(この子と どっち 若く 見える?)



と言った。

カップルは、どっちだろう?と考え込んでいた。私と守叔父さんの顔をそれぞれ何度も見比べていた。

守叔父さんは、そのカップルが答えるのを待つことなく、私を指差しながら、

 

「コノコ、 ジュウゴ シタ!」
(この子、15(歳)下!)


と言った。そして、守叔父さんは自分自身を指差しながら、

 

「ロクジュウゴ!」
(65(歳)!)



と言った。すると、そのカップルが口を揃えて、「嘘っ・・・!、凄く若く見える! 40歳位かと思った! 信じられない!」と言った。

そのカップルの言葉を聞いた守叔父さんは、満足そうな笑顔で、

 

「ワカク、ミエルデショ!」
(若く、見えるでしょ!)



と言った。

言葉のトラブルを抱えているはずの守叔父さんは、平気で他人に声を掛け、笑顔で陽気に振る舞っている。

私は、ふと、自分自身が、同じような言葉のトラブルを抱えた時に、守叔父さんと同じような行動ができるのだろうかと考えた。 私は落ち込んで、笑顔で他人に声を掛ける事ができないかもしれない。 

守叔父さんの頭の中はどの様になっているのだろう・・・?

(つづく)
 

2024年2月21日水曜日

「泣けない人」その93

 


93 、上京四日目.4

美味しいものを食べて、お腹も心も満足した直後だったはずなのに、一挙に心の底に大きな穴が空いたような感覚に襲われた。

守叔父さんの後を追う私の足取りは、急に重く感じられ、この後、守叔父さんの顔を直視することに不安を感じていた。

しかし、私の不安とはうらはらに、当の守叔父さん本人は、食後の丸くなったお腹をポンポンと叩きながら

 

「オイシカッタネ!」



と言い放った。

恐る恐る守叔父さんの顔を見上げると、その表情は朝一番の私を迎えに来てくれたときの笑顔と変わらずニコニコしており、陽気キャラそのものであった。 

その表情には、先ほどのレジでのトラブルの事は一切含まれずに、「我関せず」といった感じであった。

その笑顔を見ているうちに、自分には何ら非があるわけではないのに、精神的に落ち込んでしまった私自身が、なんだか、だんだんバカらしく感じてきた。 

「まっ、いいか!」的な感じで、ある意味、開き直って、守叔父さんと「遊ぼう」と思ったのであった。

そして、「なるようにしかならないし!」と考え、行楽地へ来たことに感謝し、遊びに専心することにした。

 





一般的な江ノ島観光コースとして、門前通りの入口の青銅の鳥居をくぐって、坂を上がり、お土産屋さんやタコせんべいの店などを見つつ、参道を登り江ノ島の頂上を目指した。

「江の島エスカー」を利用しての登頂だったので、少し楽させてもらった。 

守叔父さんは、周囲の景色を楽しんでいる感じがあまりなく、何だか行き先が決まっているような感じの足取りでだった。 

守叔父さんが歩く速さや脚力を考えると、「エスカー」を選択したことは正解だと思った。

4つ目の「エスカー」を乗り終えた後、守叔父さんは「江島神社奥津宮」への参道を進むことなく、右前方の路地へ早足で進みはじめた。

 



「江の島サムエル・コッキング苑」の入口を目指しているようだ。

入苑には料金が必要であるが、守叔父さんは何のためらいもなくお金を支払いチケットを2枚購入した。

チケットは二種類あり、入苑料のみのものと入苑料+展望台料のものがあり、後者を購入した。

昨日のランドマークタワーと同じ状況であり、展望台の登頂が目的のようだった。

「江の島シーキャンドル(展望灯台)」は高さ41.75m(海抜101.56m)でエレベータで登ることができた。

島の頂上にそびえる塔であり、灯台の役目として360度の視界がひらけ、太平洋の広大な海原や富士山や丹沢などの山岳などの眺望が楽しめる場所であった。

 



海を見ると、漁船やヨットが浮かんでおり、サーフィンをしている人なども散見された。

 



昨日と同じように遠くまで視界が澄み切っており、富士山が非常に綺麗であった。

リュックからカメラを取り出し、富士山を撮影していると、

守叔父さんが

 

「ア・ル・イ・テ・ル」



と言った。

第一京浜(国道15号線)の地下バイパスにおいて、「ア・ル・イ・テ・ル」と言ったのと同じような雰囲気であった。

守叔父さんの方を振り向くと、片瀬漁港へ向かっている漁船を指差しながら、

 

「ア・ル・イ・テ・ル・ネ!」



と再度言った。

明らかに漁船を指差しながら「歩いている」と言っているようだ。

 



そして、私は「ハッと」気付かされた。

「船が進む」ことを「歩く」と表現しているのではないだろうかと!

そして、

また、「ア・ル・イ・テ・ル」とは明らかに、「人が歩いてる」訳ではなく、「進む船」「歩いている」と表現したようだった。

今朝の道中、第一京浜(国道15号線)の地下バイパスにおいて、「ア・ル・イ・テ・ル」と表現したのは、「クルマが進んでいる事」という事を表現していたと考えれば納得できるものであった。

(つづく)
 

2024年2月17日土曜日

【成功】H3ロケット試験機2号機打上げ

【成功】H3ロケット試験機2号機打上げ

 

ロケット打上げ成功おめでとうございます!

 

約一年間前、打上げ失敗の苦難を乗り越え、

新型ロケットの打上げに成功したこと、

良かったですね!

 

種子島宇宙センターの発射地点から約150km離れたところから

見守っておりました。

 

打ち上げ後、約6分後の南空の写真です。

ロケット雲が見えました!

 

鹿児島県霧島市隼人町より

 

 

 

2024年2月14日水曜日

「泣けない人」その92

 


92 、上京四日目.3

守叔父さんは、注文を取りに来てくれた店員さんに対して、メニューの「シーフードラーメン」を指差しながら、
 

「コレ、オイシソウ!
コレト・・・、アト・・・、
ラーメン ミタイナノ
アリマス?」
(これ、美味しそう!
これと・・・、あと・・・、
ラーメン みたいなの
有ります?)


と言った。

「シーフードラーメン」を注文した後に「ラーメン みたいなもの」と重ねてリクエストすることに驚いた。

本当に二杯のラーメンを注文しようと考えているのだろうか???

 

「叔父さん、何を注文したいの?
これ、ラーメンだよ。」



と私は横から口を挟みながら「シーフードラーメン」を指差した。

すると守叔父さんは、

 

「アッ、チガッタ!
コレト、アト・・・。」
(あっ、違った!
これと、あと・・・。)


と言った後、メニューをめくり探しはじめた。「シーフードラーメン」以外にも何か欲しいものがあるようだ。

メニューの別ページを開くと、欲しいものを見つけたようで、その写真を指差しながら

 

「コレコレ」
(これこれ)



と言った。

指先の写真は「一膳のご飯」であった。


「ご飯」「ラーメン」と言い間違えたようである。 

私は、「ご飯とラーメンは、全然違うだろう!」「(笑いの)ボケ」に対する突っ込みを入れそうになっていた。

観光地において、ラーメンライスとは少し興ざめな感じもしたが、好きなモノを食べれば良いだろう。

私は、他所ではなかなか食べられない地元ならではの「生もの」「湘南シラス」を食べようと思い、「三色丼」を注文した。

「三色丼」には相模湾名物「生しらす」「釜揚げしらす」、そして、「ねぎとろ」の三種がトッピングされたものであった。

 





美味しい食事を終えると、そそくさに守叔父さんがレジへ向かった。食事代を私が払おうと後を追って財布を出すと、守叔父さんは振り返って、

 

「ダイジョウブ!」
(大丈夫!)


と言って、私の出した財布をしまうように押し留めた。

申し訳ないなと思いながら、お代の支払いに同行した。

守叔父さんがお代を支払おうとすると、レジ店員さんが、「領収書、要りますか?」と聞いてきた。

守叔父さんは、困ったような表情で、

 

「ナ・ニ?」



と返事した。

店員さんが再度、「領収書、要りますか?」と少し大きめでハッキリした口調で言い直してくれたが、守叔父さんの返事はなぜか、

 

「ワ・カ・ラ・ナ・イ」



であった。

店員さんは、困った顔をしていたので、私が横から、「要りません。」と代わりに返事をすることになった。

守叔父さんは、店員さんにお金を渡し、その後、お釣りと共にレシートを受け取った。

守叔父さんは、お釣りを財布に入れた後、その受け取ったレシートを「これ何だろう?」といった感じで見ながら、店外へ歩き出した。

その後、そのレシートを道端にポイ捨てした。

私は思わず、「要らないのなら、記念に貰っていい?」と言ったのち、そのレシートを拾い上げる事になった。

そして、昨日の昼食後の支払いの際の事を思い出した。

そう言えば、昨日も昼食後の支払いの際、何やらかもめているような事があったな・・・。 

私は離れた所で見ていたため、実際に何があったのか把握していないが、 「割引チケットを持っているかどうかを聞かれているのかな・・・?」と勝手な解釈をしていたが、本日同様、領収書の要・不要の確認だったのだろうと考えれば納得できる様子であった。

「〇〇、要りますか?」の質問に対して、「要ります / 要りません」「はい / いいえ」の二択のどちらかの答えが必要だろうが、「ワ・カ・ラ・ナ・イ」と答えられても、相手は面食らって困ってしまうのが当然だろう・・・。

だいぶ前の事であるが、以前の守叔父さんは細かい金額の支払いであっても、必ずと言っていいほど領収書を貰っていた。 

そして、受け取った領収書を丁寧に折り畳み、大切そうに財布に入れていたのを覚えている。

現在の守叔父さんは、領収書やレシートの役割や意味が分からなくなっているのかもしれないことに気が付いた。

昨日、駐車場の支払い済みチケットを車外にポイ捨てした時に、違和感を感じていたが、「領収書」の意味が分からなくなっているとするならば、その守叔父さんの行動が理解できるだろう。

私は、「守叔父さんが領収書の意味が分からなくなっているかもしれないこと。」に気付いたことによって、少し戸惑いと残念さを感じていた。 

(つづく)
 

2024年2月7日水曜日

「泣けない人」その91

 


91 、上京四日目.2

クルマは、第一京浜(国道15号線)を南下している。

守叔父さんの発した言葉「ア・ル・イ・テ・ル」が頭の中でグルグル回っていた。

しばらくの間、他の事が考えられず、私の頭は思考停止に近い状態が続いていた。

「ア・ル・イ・テ・ル」とは何だったのだろう???

理解できなかったが、諦めて頭を切り替えることにした。 

仕事の状況を探ろうと思い、守叔父さんに対して、

 

「今日は、お仕事、
(荷物運びが)一便で済んだの?」



と質問してみた。すると、

 

「イヤ、ネー、
キョウハ ネー ハナシタラ
イイヨ ト イワレタノ」
(いや、ねー、
今日は ねー、話したら
良いよ と 言われたの)



との返答が返ってきた。 仕事に行かなかったような感じの返事であった。

一時間前のメッセージ「終りました。10時にはおっけいです。」の「終わりました」とは仕事を終わらせたことを意味していたのではなかったのだろうか?

確認のため、

 

「仕事に行かなかったの?」


と聞いたところ、

 

「ソウ」
(そう)


と言う返事が返ってきた。そして、続けて、にこやかな表情をしながら、「ハッ、ハッ、ハッ」と笑った。 そして、

 

「サトウノヒトハ、
イロイロ ダカラネ!」
(佐藤の人は、
色々だからね!)



と言った。「佐藤」または「佐藤さん」と言う名前は、昨日、一昨日と何度となく聞いていたが、お金を騙し盗られた相手と言っていた。 守叔父さんは、騙された人の会社で働いているのだろうか???

そして、簡単に仕事を休めるのだろうか???  

一体、どの様な仕事をやっているのだろうかと疑問になった。

私の頭の中に「???」が充満しているところに、守おじさんが、

 

「キョウサー、
オレガ イチバン ムコウノ
オンセンガ ズット
ウエカラ アガル トコロニ
アソコニ イキタイナ!」
(今日さー、
俺が 一番 向こうの
温泉が ずっと
上から 上がる所に
あそこに行きたいな!)


と言った。行き先のようだが、地名が無いし、「あそこに行きたいな!」と言われても、私の頭の中に「?」が一つ増えただけであった。

 

「どこでも、いいよ!
おじさんの行きたい所なら、
いいよ! 行こうよ!」



と答えた。 行けば分かるし、守叔父さんの行きたい所なら、楽しいだろう。

「温泉」と言っているので、のんびりできるかもしれない。

今、クルマが走っている第一京浜は、新春恒例の箱根駅伝において学生ランナーが競うコースの一部であり、道なりに進めば箱根に向かう。

温泉ならば箱根だろうが、江ノ島にも最近、相模湾から富士山を一望できる入浴施設ができたようなので、江ノ島かもしれない。 流行りに敏感な守叔父さんならば、既にその展望風呂に行ったことがあるのかもしれない。

そう言えば、昨日、ランドマークタワーの展望台で、「江ノ島」に行きたいと言っていたな・・・。

 

「江ノ島に行くの?」



と問うと、守叔父さんは、

 

「ソコ、ソコ!」
(そこ、そこ!)



と言ったので、行き先が「江ノ島」であることが分かった。

 





無事、江ノ島に到着した。

 

「ナニ、タベル?」
(何、食べる?)



と守叔父さんが聞いてきたので、

 

「海鮮丼かな? ハマグリも美味しいよね。」



と答えたが、

 

「カ・イ・セ・ン・ド・ン ッテ ナニ?」
(海鮮丼って、何?)



と守叔父さんからの返事が返ってきた。 
私は、「ワカラナイ」を多用する守叔父さんの言動に慣れてきたためか、「海鮮丼」が分からないとは妙な話であるが、気にならなくなっていたので、

 

「店中のメニューに写真があるから分かるよ!」



と伝えた。すると、守叔父さんは安堵した表情で、

 

「ソ・ウ・ダ・ネ!」



と答えてくれた。

 





食堂を何店舗か物色した後、門前通りの入口の青銅の鳥居(江島神社)手前の「レストラン貝作」に入店した。

守叔父さんは、メニューの写真をまじまじと見ながら、「コレ、オイシソウ!」と言って「シーフードラーメン」を指差した。

せっかく、生ものが美味しい店に来ているのに、ラーメンを選ぶとは・・・。

もちろん、生きの良い材料で作るラーメンは美味しいと思うけれど・・・。

一昨日は、「きつねうどん」だったので、守叔父さんは麺類が好物のようだ。

(つづく)
 

2024年1月31日水曜日

「泣けない人」その90

 


90 、上京四日目.1


目覚まし時計をセットせずに就寝したため、のんびりとした新しい朝を迎えた。

昨夜のめぐみ叔母さんとの会話のおかげで、精神的に一つの区切りが付いたようで、ぐっすりと寝ることができた。

緊張感が抜けてきたのだろうか、昨朝より二時間遅れの7時前の起床となった。 

スマホの画面で現在の時刻を確認すると、めぐみ叔母さんからのメッセージが4つも届いていた。

 昨夜の就寝後1時間位に届いたようだが、全く気づかなかった。

メッセージの内容は、昨夜、私がめぐみ叔母さん宛に送信した写真に対しての質問、感想であった。

二枚の写真を送信していた。一枚目は守叔父さんの自宅外観写真、二枚目は守叔父さんから見せてもらった女性の写真である。

朝の挨拶とともに、まとめてメッセージを送ることにした。
 

「めぐみ叔母さま
こんにちは、おはようございます(^_^)/
鉄筋コンクリート製の低層タイプ。家賃12万と言われれば、妥当な金額だと思います。
引き戸(スライディングドア)は、二つずつありますね!
なので、2Kまたは、1LDKの間取りかな?と想像しています。
守おじさんから見せてもらった写真(紙)をスマホで再撮影したものです。
写真そのものは、私に見せるために準備していたのか?車の中にずっと積載していた物な
のかは区別できてません。ただ、撮影日が6年前のものなので、
車内にずっと積んでいると、若干の色褪せがあっても良いと思うのですが、
綺麗な発色のものであったので、僕に見せるために持ってきたのかも
知れませんね。もし、もと彼女さんの写真を見せたいなら、今日も別のもの見せてくれる
かもしれませんね。
では、朝食の買い出しにチョット出てきます。」
2021/12/2(木) 6:57


メッセージを送信すると空腹を感じた。

「一晩寝かせたカレー」は美味しいと言うけれど、朝食として食べる気分とはならなかったので、朝食の買いだしに出かけた。
 




コンビニで調達した朝食を済ませたのち、シャワーを浴びて着替えをして外出の準備を済ませた。

守叔父さんからの連絡は何時にくるだろう?

昨朝は、守叔父さんの家への朝駆けに失敗し、無駄に近所を歩き回ることになった。

今朝は同じ事を繰り返したくなかったので、宿で待機することにした。

部屋でボ〜っとしながら待つのは退屈なので、宿の外階段を使って、最上階へ上がってみる事にし、守叔父さんからの連絡が入ったら、いつでも出かけられるような状態で待つことにした。

最上階ならば、飛行機が見られるかもしれないと思ったからだ。 

最上階は遠くまで視界が開けており、東京スカイツリーも確認できた。 空を見わたすと昨日同様、ほとんど雲のない晴天であった。

羽田空港の方向を見ると予想通り飛行機が飛んでいるのを見つけることができた。 

 



カメラを向けて撮影しはじめてすぐに、メッセージ着信音が鳴った。
 

「終りました。
10時にはおっけいです。」
2021/12/2(木) 9:04



すでに、守叔父さんは仕事を終えたようである。 

 

「早いです❕
待ってます☀」
2021/12/2(木) 9:12


 

「ありがとう☺」 
2021/12/2(木) 9:13



昨日の様にならないよう、待ち合わせ場所が宿であることの確認のため、居場所を伝えることにした。

 

「今、ホテルの最上階で飛行機を見てます!
ちょっと小さいけど(^_^)/」
2021/12/2(木) 9:16




 

「OK」のスタンプ(絵文字)
2021/12/2(木) 9:20 


 



9時50分ごろ、宿の玄関へ行き、クルマの到着を待つことにした。

待ち始めてすぐに、通りの向こうから守叔父さんのクルマが現れた。

助手席側のパワーウィンドウが下がり、「おはよう!」との声と共にニコニコした守叔父さんの笑顔が見えた。

私は、「お邪魔します!」と声を掛けながら、ドアを開けてクルマに乗り込んだ。

今日は、どこへ行くのだろう? 

昨日、守叔父さんは羽田空港を指差しながら「コンド、イコウヨ!」と言っていた。今日、羽田空港へ行くのだろうか?

どこに行くのか説明の無い状態で、クルマはゆっくりと発進した。

羽田空港の方角は東であるが、クルマは現在のところ西方へ進んでいる。

第一京浜(国道15号線)に突き当たると、左折して南方へ進んだ。

右手前方に京急蒲田駅が見えた。駅前をそのまま通り過ぎて、少し進むと大きな交差点があった。(環状八号線:東京都道311号と交わる交差点)

その交差点は、南北方向に地下バイパスがあり、そこへ進めば信号機がなくて進めるようになっていた。

羽田空港を目指すならば、地下バイパスには進まず、この交差点を左折すればよい。

守叔父さんは、左折することなく直進してその地下バイパスの方へクルマを進めた。 行き先は羽田空港ではなさそうだ。

地下バイパスへ入るとすぐに、渋滞のためクルマが止まった。

バイパス内では、直前のクルマが小型乗用車であったため、前方の視界は広く、遠くまで一望でき、クルマがたくさん並んでいるのが見えた。

 

「混んでるね!」


と私が伝えると、守叔父さんが、前方を見ながら、

 

「ア・ル・イ・テ・ル」



と言った。私は、その言葉に対して、

 

「歩いてる?」



と心の中で、復唱していた。 そして、周囲に「人」がいるかどうかを確認した。

しかし、守叔父さんの視線方向の先や、クルマの周囲など、前後左右をみわたしたものの、私の視界の範囲には、「歩いている人」は見つけられなかった。

立体交差の地下バイパスであり、自動車やバイク以外は通行できないところであるため、路肩に歩道はなかった。

登り坂の先は見えていない状態であり、限られた視界の中での話である。

守叔父さんには、私には見えないものが見えているのだろうか・・・?

幽霊か人魂か何らかのものが歩いているのだろうか・・・?

少し、背中がゾクゾクするのを感じた。

そして、ほどなくして、前のクルマが動き出し渋滞が解消した。 

守叔父さんは、クルマを進めながら、

 

「ホ・ラッ!」



と言った。

何に対して、「ホ・ラッ!」と言ったのだろう・・・?

「俺の言った通りだろう!」といった感じの優越感の漂った言葉であった。

「ア・ル・イ・テ・ル」「ホ・ラッ!」に何らかの関係がありそうだが、その時には分からなかった。

(つづく)
 

2024年1月24日水曜日

「泣けない人」その89

 


89 、上京三日目.31

カレーそのものは無事に完成した。 米飯は、買い物の際にレトルトご飯を購入していた。

レトルトご飯を食べるのは何年ぶりだろう? 20年近く食べたことはなかったと思う。

以前は緊急保存食用として購入し、炊飯が面倒な時に食べていた時もあったが、常食する事はなかった。

色々な物が時代と共に変化し、進化している。

食品メーカーにおいても、日々、他社としのぎを削りあうために、商品改良に余念はないだろう。

美味しくなっていることを期待しながら、レンジで温めることになった。

「チン」の音が聞こえ、レンジ扉を開くと、炊きたての米飯の甘い香りがほのかに漂った。

 





のんびりと食事をとり、缶ビールやワインを飲んで一息した。

カレーは、市販のルーさえあれば、誰でも美味しく作ることができるだろうが、今回のものは思いのほか美味しく出来上がっていた。 

チョット贅沢してワインで煮込んだのは正解だったと思う。

レトルトパウチの米飯も美味しかった。 

 





食後、ボ〜っとしながらテレビを見ていると、めぐみ叔母さんからのLINEが入った。

 

「今日はお疲れ様でした。」
2021/12/01 21:34


予想通りの連絡であった。米国西海岸の時刻とともにあいさつのメッセージを返信した。

 

「6時過ぎ おはようございます。」
2021/12/01 21:35

 

「お早いですね」
2021/12/01 21:36

 

「この後、チョット長文だけど、
豊治叔父様に送信したメールを送ります。」
2021/12/01 21:37


豊治叔父さんとのやり取りの文面(参照 「泣けない人」その86)をコピー&ペーストしてめぐみ叔母さんへ送信した。

しばらくして、めぐみ叔母さんから返事が届いた。

 

「甘さんの観察力凄いね。 守さんの状態が
手に取るようにわかるし、
お二人の推測やお医者様に診てもらうこと賛成です❗」
2021/12/01 21:53 



豊治叔父さんとのやりとりをうまく理解してくれたようだった。 

めぐみ叔母さんも病院へ連れていく事に賛同してくれて良かったと感じた。

そして、「手に取るようにわかる」との表現は最高の賛辞だと思い嬉しくなった。

午後10時前、早寝するためには、メッセージだけで報告を終わらすこともできたけど、ほめられるとやる気が出てきたので、口頭でも伝えようと思い、めぐみ叔母さんへLINE電話を掛けることにした。

 





状況の説明を細かく話していると、時間は進むのが早く、気付くと1時間半を超える会話となっていた。

私の報告は、めぐみ叔母さんが、以前、守叔父さんと電話で会話した際に、「変だな」「おかしいな」と感じた事をうまくリンクできたようで、納得して貰えたようだった。

そのため、めぐみ叔母さんからのリクエストは、守叔父さんの身体・健康に関することと、現在の住まいの状況について調べることに変わりはなかった。

電話を切った後、いくつかのLINEメッセージをやり取りしているうちに、日付が変わっていた。

明日に備え、寝ることにしよう!

伝えたいことはほとんど伝えることができたので、安心して床につくことができた。

(つづく)
 

2024年1月17日水曜日

「泣けない人」その88

 


88 、上京三日目.30

カレーの煮込み具合を確認している時に、豊治叔父さんからメッセージが戻ってきた。

 

「やはり、認知症状や心身症(外圧、
ストレス)など心療内科に連れて行
って調べて貰う事が重要だと思いま
す。MRI検査はそこから回して貰う
ことを勧めます。仕事を休ませて診
て貰うことを考えて下さい。」

2021/12/01 17:54



私の伝えたかった真意は、豊治叔父さんに伝わったようだった。

予期していた通り、病院へ連れていくことの要望であった。

伝えたい事が伝わった事に安堵しつつも、今度はそのリクエストをどの様に達成するかを悩むことになった。

 





守叔父さん本人に対して、突然、「病院へ行きましょう!」と言ったところで、素直に「はい!病院へ行こう!」とはならないだろう。

きっかけ、理由が必要だろう。

もちろん、認知力の低下に関しての自覚症状がなければ、行く事を拒否するだろう。

もしも、病院嫌いならば、なおさら、連れていく事は難しいだろう。

プラセンタによるアンチエイジング治療はどの様なものなのだろうか? 

注射ならば病院での治療であろうから、病院嫌いではないかもしれない。

とはいえ、病院へ連れていくためには、どの様にすれば良いだろうかと悩むことになった。

連れていくタイミングも考えなければならないだろう。
守叔父さんが定期的に健康診断を受けているかどうかもまだ分からないし・・・。 

守叔父さんの家の内部の状況を把握し、健康診断関係の書類などがあれば、その健康診断の結果次第では説得できるかもしれないと考えた。

 





そして、私は以前、豊治叔父さんから聞いた話を思い出していた。

豊治叔父さんが、守叔父さんから聞いた話で、その内容は、


「守叔父さんは、数年前、病院へ行くと【認知症にされる】から病院へは行かなかった。」


というものであった。

【認知症にされる】という言葉をどの様に理解すれば良いのか、当時は分からなかった。

お医者さんが、故意に認知症を発症させることがあるだろうか? もしくは、正常な人に対して、「認知症」と間違った診断をくだすのだろうか?

当時、病院へ行くのを勧めたのは会社を共同経営していた安西さんであったようだ。

そして、昨日、今日、守叔父さんは、私に対して、何度も「安西さんにお金を騙し取られた」と言っていた。 

安西さんと医者が組んで、守叔父さんを「認知症」にしたのだろうか・・・?

本当に、そんな事があるのだろうか?

「守叔父さんは、数年前、病院へ行くと【認知症にされる】から病院へは行かなかった。」

という言葉が真実ならば、なおさら、認知症の外来病院へ連れていく事には多難があるだろう。

 





安西さんに直接会って、守叔父さんの事を聞くことにより、その真偽に近づける可能性はあるが、本当の事ならば、それらは犯罪であり、犯罪者に近づくことになる。


当然のように、豊治叔父さんは、安易に安西さんに会うことは承知しないだろう。

お金を騙し取られたというはっきりした証拠が有れば、安西さんへのアプローチは、それなりに考えなければならないだろう。

逆に証拠がないとすれば、安西さんに少しでも早く会って、守叔父さんの状況を聞いた方が良いだろうと考える。

しかし、「ないことを証明する」ことは難しい。

「あることを証明する」には、一つでも見つければ「あることを証明できる」が、「ない」ことは、探し続け、探し尽くした結果として「ない」ならば、その証明ができるが、探し方がおろそかになれば、証明したことにならない。

お金を騙し取られたかどうかを調べるには、守叔父さんの身の回りの金銭の流れを過去にさかのぼって調べなければならない。それらを調べるにあたって、共同経営者の安西さんの協力が必要な事も言うまでもない。

騙した側の安西さんが本当の話をするだろうか? つまり、そこにジレンマがあるため、「ないことの証明」は容易ではないという事になる。

などと、色々と頭に浮かんできた。

難しく考えれば考えるほど、難しくなるのかもしれない。

煮込み中のカレーの様子をみると、良い感じであったので、一旦、考えるのをやめて、夕食にすることにした。

(つづく)
 

2024年1月10日水曜日

「こ・ど・ば・んって何?」 新たに気付いたこと

 

能登半島地震で被災された皆様に

心よりお見舞い申し上げますとともに

一日も早い復興をお祈り申し上げます

 

 

 


二年前(2021/12/01上京三日目)、浮島町公園を目指して走行中の車内において、守叔父さんが発した言葉について


二年経った今、ボイスレコーダーを聞き直して、新たに気付いたことがあります。

当時、聞き逃していた四文字の言葉「◯・◯・◯・◯」

前置き無く、突然「◯・◯・◯・◯って、何?」と守叔父さんが言ったために、その時はその「◯・◯・◯・◯」が聞き取れませんでした。

多摩川沿いの「ヨドバシカメラ 新ヨドバシカメラ アッセンブリーセンター川崎」の近くを走行中に、建物を見ながら守叔父さんが発した言葉でした。

続けて、守叔父さんがその後、「◯・◯・◯・◯ カメラ」と言ったため、「ヨ・ド・バ・シ カメラだね!」と私は相槌をうったのを覚えています。

つまり、「◯・◯・◯・◯」🟰「ヨ・ド・バ・シ」であった訳です。

しかし、ボイスレコーダーに残っていた言葉は「ヨ・ド・バ・シ」ではありませんでした。

聞き取りにくい音声ではあったのですが、その言葉を何度も聞き直すことによって、
 

 

「こ・ど・ば・んって何?」

 

 

と言っている事がわかりました。


では、ナゼに「よ・ど・ば・し」「こ・ど・ば・ん」と言ったのでしょうか?

不可解です。その二つの言葉の響きは明らかに違っているし、、、。

言い間違いや、読み間違いなどがあるのでしょうか?

察しの良い人は、すぐに気付かれたかもしれませんが、二つの言葉をひらがなで表記する事に少し違和感を持たれる人もいらっしゃるでしょう。

ここでは、意図的に、ひらがなで「こ・ど・ば・ん」と表記しました。なぜなら、ボイスレコーダーを聴きながら私がメモしたのが「こ・ど・ば・ん」というひらがなだったからです。

この時点では、

 

 

 


「よ」「こ」

「し」「ん」

 

 

と読み間違っていると考えました。

なぜだろう? 不思議だな・・・としか思いませんでした。

その後、当時の記憶を少しでも思い出せるかもしれないと、グーグルストリートビューで周囲の景色を見直すことにしました。

Googleマップのストリートビューから引用。

「ヨドバシカメラ 新ヨドバシカメラ アッセンブリーセンター川崎」の建物の壁面には、当時の記憶と同じ場所にロゴが描かれていました。

遠方の車窓から読めるほどの大きなものであったことを再認識しました。
 
そのロゴを見直し、そのロゴがカタカナ表記である事に気付きました。

そして、「こ・ど・ば・ん」をカタカナで書き直すことにしました。

「コ・ド・バ・ン」と表記したのち、

「ヨ・ド・バ・シ」🟰「コ・ド・バ・ン」

すると、

 

 

 

 

「ヨ」「コ」

「シ」「ン」

 

 

 

 

に読み間違えられていた事に気が付きました。

それぞれ、一画違いで、真ん中の横棒の有無の違いであり、見た目は似ていると言えば似ていると思いました。

そのため、守叔父さんは、「運」「成田」などの漢字だけでなく、カタカナも部分的に読めなくなっていたのだろうという事に気が付きました。

当時、車内において守叔父さんの発した言葉「コ・ド・バ・ン」は、私にとって聞いたことのない言葉であったため、聞き取れなかったのだろうと思います。

運転中の事であり、わき見運転中の判読ではあるため、誤読したのだろうと思う人がいらっしゃるかもしれませんが、守叔父さんの視力を考えると、見間違える事はまず無いだろうと考えます。

カタカナが部分的に読めなくなっていたのだろうと推測できる理由がもう一つあります。

なぜなら、守叔父さんが以前住んでいたマンションの隣りが、「ヨドバシカメラ」の店舗であり、「ヨドバシカメラ」「ロゴ」を数えきれないほど目にしていたはずだからです。

見慣れたものが分からなかったという事で、識字力が落ちていたという判断となりました。