2022年7月27日水曜日

「泣けない人」その24


24 、上京初日.5


現在、激しい鼓動と共に歩いている。

自分の耳でも、心臓の音が聞こえてきそうな程である。

小さなミスをキッカケに焦りがでて、緊張感が一挙に跳ね上がってしまった。

「単なる散歩のつもり」のはずが、スマホのライトの自動点灯による煌めきによって、心の安定が打ち砕かれてしまったのだ。

自動○○というものは、そのほとんどが便利でありがたいものであるが、意図せずに作動すると、その際の驚きは尋常でない時があるって事だ。
 

 



 


「落ち着け!」、「 落ち着け!」と心の中で連呼し平静を装いながら、守叔父さんの住んでいる三階建ての低層マンションの前を歩いている。

 



 


慌てた心の状態では、できることに限りがあった。

進行方向に対して、頭を左右に振らず、目線だけで建物の周辺の観察をすること。

分かったことは、次の二つ。

部屋の灯りが消えていたこと。

駐車場に、守叔父さんの車らしきシルバーのベンツがとまっていたこと。

念のため、ベンツのナンバー4桁の数字を頭の中で反すうしながら、歩き続けた。

 



 


マンションの前を通り過ぎても、あまりの緊張のため、なかなか次の行動へ移ることができなかった。単にできたのは、道なりに真っ直ぐ歩くだけであった。

散歩ならば、どの道を進もうが自由である。適当に交差点を曲がってもよい。同じ所を周回してもよい。しかし、この時の自分にできたことは、一定のリズムでただ真っ直ぐに歩き続けることだった。

真っ直ぐ歩き続けた結果、海岸沿いの遊歩道に突きあたった。
進路を決めるために左右のどちらかを選択しなければならなくなった。

もちろん、来た道を戻る事を含めると三択ではあるが・・・。

この時には、来た道を戻るという選択肢は頭に一切浮かばなかった。

グーグルマップやストリートビューで予習していないルートのため、若干ためらう気持ちもあったが、とりあえず、宿に戻る方面へ歩みを進めることを選択した。

このことは、「第一回目の出陣!」の作業をほぼ終える事を意味し、少しだけ緊張がほぐれるのを感じた。

ほんの少しだけ歩いた後、立ち止まって頭の中で反すうしていた車のナンバーを、忘れぬうちにスマホにメモした。

わずか4桁の数字であっても、気を抜くと忘れてしまいそうな感覚があったからだ。

そして、遊歩道をトボトボと歩きはじめた。

海岸沿いとは言え、静かな遊歩道ではなかった。

なぜなら、すぐ横には、首都高速1号線の高架道路が並んでおり、たえず車の流れがあったからだ。

日没後のせいか、それとも単に人気の無い場所なのか、この遊歩道ではなかなか他人とすれ違うことがなかった。周りを気にせずに歩くことができたため、徐々に気持ちが落ち着いてきた。

 



 

しばらく歩いていると、首都高の高架の隙間から地上に駐機している飛行機が見えた。羽田空港に近いことが実感できた。

飛行機が最も良く見えそうな場所まで歩いて、しばらく立ち止まって飛行機を見ていると、心臓の鼓動も平常に治まり、「単なる散歩のつもり」に戻っていた。

スマホの地図アプリを頼りに、宿に戻ることとなった。

(つづく)
 

2022年7月20日水曜日

「泣けない人」その23

 

 

23 、上京初日.4


第一回目の出陣!

最初は気負いしすぎて、失敗することも多い。まずは、叔父さんの家の前を単なる通過点として、散歩することにした。

スパイ7つ道具などは持たずに、財布とスマートフォン、そして部屋の鍵を持って出掛けた。

宿の部屋の玄関を出て、L字の廊下の曲がり角にあるエレベーターに向かって歩いた。

たまたま、エレベーターが3階に止まっていたため、ボタンを押すと同時に扉がスゥーっと開き、自分の心に反することなく、何ら抵抗もない静かなるスタートであった。

1階に着きエレベーターを降り、二重の自動ドアを通り抜け、建物の外に出た。

「では、出発進行!!!」と思った瞬間、忘れ物に気づき、踵を返す事となった。

マスクを忘れていた。流行り病予防のためにマスクは必須である。

出たばかりの自動ドアは開いたままで、そのままエントランスホールに舞い戻った。

部屋の鍵で、エントランスホール奥のインターホンで自動ドアを開錠し入館。先ほど乗ったばかりのエレベーターも同じく待っていてくれた。

3階の部屋へ戻り、マスクを装着。再度の出発となった。

少なくとも、いつもの冷静な状況ではないな・・・。と反省しつつ、慌てずに出掛けようと深呼吸をした。平常心を取り戻し、リラックスして再出発した。

あくまでも、単なる散歩として・・・。

 




 

 

 

建物の外に出た。

日没後、午後6時半過ぎ。師走間近の周りの景色からは、彩が無くなっていた。

「改めて、出発進行!!!」

初めて行く場所ではあるが、予習はしてきた。

曲がり角は、たった二か所。

それぞれ、交差点の角にある病院が目印!よっぽどのことが無い限り、見落とすことはないだろう。

グーグルマップとストリートビューで見た道順をゆっくりと歩き始めた。

帰宅ラッシュの時間帯、そこそこ通行人がいた。自転車に乗った人も多く、後ろから迫ってくる自転車の気配には気をつけなければならなかった。

なるべく、歩道の左側へ近寄って歩かなければならない。

チョッと気を抜くと歩道の中央を歩いている時があった。左側後方から自転車で抜かれた時にはヒヤッとし、転びそうになった。

田舎から出てきて一時間位しか経たない人間にとって、人の流れに合わせて歩くには、周囲の動きは速すぎた。順応するのに少し時間が必要だと感じていた。

しばらく歩いて、歩道が少し広くなった交差点の脇で立ち止まり、周囲を見渡した。

横断歩道の反対側に、一つ目の病院を見つけた。

立ち止まらなければ、通り過ぎていたかもしれない。日没後の様子とストリートビューの様子はだいぶ違って見えた。歩行者や自転車に気を取られすぎて、周りの風景が目に入って来なかったのも原因だろう。

 

 

 

 




 

 

 

 

程なくして、信号が変わったので、横断歩道を渡って直進。

次の目印の病院を目指した。

しかし、この道筋は思っていたよりだいぶ狭かった。

歩道の無い道路で、路側帯もほとんどない。

歩行者だけでなく、車両の交通量も多く、かつ、バス路線でもあった。

後ろから迫りくる車に追っかけられているような感じすらあったので、脇道へ入ることにした。

交通量のなるべく少なそうな路地を探し、歩くことにした。碁盤の目状の道路であり、予定のルートより二本ほど北側の路を進むこととした。

街灯の少ない路のせいか、歩行者も少なく、ノンビリとマイペースで歩くことができた。

大体の方角は分かっていたので、スマートフォンの地図アプリを起動しつつ、何度か現在地を確認しながらではあったが、守叔父さんの家へ向かった。

 

 

 

 




 

 

 

 

守叔父さんの家まで残り100m位のところで、立ち止まり現在地を最終確認した。

立ち止まった場所から見えている二つ先の交差点は、街灯が照らしていて明るかった。

その明るい交差点を右に曲がれば、守叔父さんの自宅であることが確認できた。

マスクの息で少し曇りかけていたメガネを外し、ハンカチで拭き、掛け直した。

そして、念のためスマートフォンのカメラアプリを起動し、動画を録画スタート。

ゆっくりと息を吐き出し、呼吸を整えて、守叔父さんの家を目指して歩き始めた。

 

 

 

 




 

 

 

 

もう少しで、交差点に差し掛かろうとしている状況で、スマートフォンをどの様に持って歩けば撮影がうまくできるか、カメラの角度を調整しようとした際、撮影ライトが自動点灯している事に気がついた。

スマートフォンの裏面についているライトが光っていたのだ。

動画撮影しているのがバレバレだ!

慌てて、ライトオフ!!!

心臓が一挙にバクバクし始めた。

焦った状態で、交差点を曲がることになってしまった。

すでに、目の前は、守叔父さんの家である。

歩く速さに気を付けながら、スマートフォンを持つ手をなるべく動かさずに手振れ対策をしつつ、横目で、部屋の電気が点灯しているかどうかを確認しながら、家の横を歩き過ぎることとなった。

(つづく)
 

 

 

 

2022年7月13日水曜日

「泣けない人」その22

 


22 、上京初日.3


新たな作戦本部に入室。

鹿児島から1,000km近く離れた場所が、新しい作戦本部である。

この作戦本部から守叔父さんの家は、直線距離で1km位で、徒歩20分圏内。
千分の一に、間合いを詰めたことになる。

早速、荷物だけ置いて、守叔父さんの家を目指そうかとも考えたが、深い深い深呼吸をして、心を落ち着けて、キャリーケースを壁際に置いた。





 

作戦本部は、一人暮らし用のワンルームマンションに近い間取りであった。
いわゆる、1Kと言ったものである。

キッチンと居室の間には扉があり、その扉を閉めると玄関の外の物音はほとんど聞こえない。防音性は高そうな作りである。上階や隣室に宿泊客が居るのかどうかの判断がつかない感じがする。

居室内には、横長のゆったりした机があり、一般的な事務机よりも横幅は広く、ノートパソコンなどを持ち込めば、「ワーケーション」に十分なものであった。

木製の椅子が二脚。

大き目のシングルベッドが二つ。

32インチ型のテレビ。

エアコンは家庭用のものであり、全館空調ではなかった。

キッチンには、一口のIHコンロ。

すぐ横に、小さな冷蔵庫、冷蔵庫の上に電子レンジが設置されていた。

キッチンの下に湯沸かしポットがあった。





 

一通り、室内の状況を確認した上で、最初の作業として、フロントで受け取った小包を開封した。

フロントで受け取った小包には、「スパイ7つ道具」として購入した物が無事に入っていた。

・ボールペン型のスパイカメラ
・ボールペン型のボイスレコーダー
・ワイドバンドレシーバー

それぞれのパッケージを開封し、取扱説明書をななめ読みし、それぞれの電源を確認した。

スパイカメラ、ボイスレコーダーは、USBケーブルを本体に差し込み充電。
ワイドバンドレシーバーは、専用の充電器による充電であった。

それぞれ、どのくらい充電時間を要するかわからないので、充電状態で放置する事とする。





 

「スパイ7つ道具」それぞれの使い方を覚える事や動作チェックにはそれなりに時間が必要だと判断した。

第一回目の守叔父さんの家周辺を探りでは、スパイ7つ道具は無しとなる。

道具は無くとも、他に何か忘れていないかな・・・?と考えた。

そうだ、八王子の豊治おじさんへ連絡を入れるのを忘れていた。

無事、宿にチェックインしたことを連絡し、この後、守叔父さんの家の周辺を見に行くことを伝えた。

2021/11/29 18:26


(つづく)
 

2022年7月6日水曜日

「泣けない人」その21




21 、上京初日.2


マスクの息苦しさとともに、メガネが水蒸気で曇り、前が見えない。チョッと歩いては止まり、ハンカチでメガネを拭く。そして、チョッと歩いては止まり、メガネを拭く。何度か繰り返していたら、いつの間にか、宿の前に着いていた。

一見すると新築のマンションのようであり、宿泊施設には思えなかった。

一般的なホテルならば、遠くから◯◯ホテルなどの大きな屋号が見えるが、私の予約した宿には、それが無かった。

アパートやマンションの建物名称の表示と同様の大きさの屋号表示であった。

エントランスの前に立つと自動ドアがスーッと開いた。


この建物が作戦基地となり、この後、2週間程を過ごす事になるが、そのドアの開く音は、静かなものであり、私の心も静かに作戦をスタートさせたようであった。





 

真っすぐ入った奥には、もう一つの自動ドアが見える。そのドアの右壁にはインターホンがあり、オートロック付きのマンションのエントランスホールと同じ作りであった。

エントランスホールの左手に管理人室の様な部屋が有り、入り口に手指消毒のアルコールが設置してあった。

「消毒後に入室して下さい」との掲示があった。

荷物のキャリーケースを脇に置き、深い一呼吸をし、タオルで顔の汗を拭いた後、両手をアルコール消毒した。そして、入室。





 

部屋の中にカウンターがあった。

カウンターと言っても、流行り病対策のために、机の上に簡易的なアクリル板を置いただけのものであった。

予約の時に、屋号に「ホテル」との表記は無いことはわかっていたので、ホテルではない。

同じくらいの金額のビジネスホテルと比べて、部屋の広さは二倍以上。キッチン、冷蔵庫、風呂トイレ別、WiFi完備であったため、この宿を選択した。

入室後、周りを見渡しても人が居なかったので、「お世話になります」と声を掛けた。





 

チョッと間を置いて、奥の方から人が出てきてくれた。

ゆっくりとした口調で、「いらっしゃいませ」との声。適度の緊張感が有るものの、安心感も備えたものであった。

物腰の柔らかそうな男性であり、私より10歳程年上のようにみえた。

一通りの宿泊方法の説明を受けたが、簡潔で分かりやすいものであった。

宿泊カードを記入し、その上、流行り病の対応のために体温測定および体調不良の際の対応の方法に関して説明を受けた。

途中、「困った事があったら、いや、困った事がなくても、なんでも相談してください。」との言葉があった。その言葉は、私にとって非常に安心できるものであった。





 

ホテルとの大きな違いは、チェックイン時の宿泊費の事前支払い、および、日々のベッドメーク・掃除が無い事であった。

また、宿泊期間中は、外出時に鍵を受付に預ける必要もなく、チェックアウトの日に鍵を返却するのみであった。

ホテルならば外出時に、荷物の片付けが若干必要であるが、ベッドメーク・掃除が無いならば、荷物を広げた状態で外出できる。

また、鍵をずっと持っていることができれば、受付にいちいち立ち寄らずに外出でき、変装のために着替えて服装が変化していても気にせず外出できる。

いつでも気兼ねなく入退室できることが分かった時点で、だいぶ気が楽になった。

宿泊費を支払い、鍵を受け取った。3階の部屋であった。

そして、「スパイ7つ道具」の小荷物も無事に受け取ることができた。

受付部屋から出て、エントランスホール奥のインターホンにある鍵穴に部屋の鍵を差し込み、捻るとエントランス奥の自動ドアが開き、中に入ることができた。

右手にエレベーターがあり、上矢印ボタンを押すと同時にドアが開いた。

エレベータの中に入って、3階を押し、閉ボタンを押した。

こじんまりしたエレベータに乗った事によって、少し安堵感があった。

数秒後、3階へ到着。エレベーターを降り、自分の部屋の前へ。

部屋のドアは、ドアノブの上下にキーシリンダーのあるダブルロックで、マンションの玄関ドアの作りと変わらないものであった。

鍵を差し込み、開錠。

このドアを開くと、そこが作戦基地の本部!となる。

(つづく)