2022年10月26日水曜日

「泣けない人」その36

 


36 、上京二日目.10

守叔父さんの運転する車は、乗り心地がとても良かった。
さすが高級外車ベンツって感じであった。

20年ほど前の型式の古いクルマであるが、外回り、車内の清掃は共に行き届いており、新車の様な感じを受けるほどの状態であった。 メンテナンスに余念が無かったようである。 また、適度な芳香剤の香りが漂っていたため、古い車によくあるカビ臭さ・ほこり臭さの様なものも感じることはなかった。

さすがに、カーナビやインパネ周りをみると、それらの操作方法や表示仕様から感じる古さは否めなかった。
走行中のきしみ音やガタツキ音などもないため、総走行距離がどの程度なのか興味を惹かれるほどだった。

乗り心地に関しては、車の良さだけでなく、守叔父さんの運転によるところが大きかった。

守叔父さんの運転は、総じて非常に丁寧であった。 余裕のあるタイミングでブレーキを掛け、アクセルも必要以上に踏み込まず、無理にエンジン回転数を上げる事もなかった。 周りを走るクルマの流れを乱すような事もなく、さすが、運送業を営み、大きなトラックなども運転してきたプロドライバーだな!と感心した。 

特に、道路交通の状況判断が的確で早く、車線変更をスムーズに行い、赤信号への反応も早い。 ハイヤーの優良運転手ごときものであった。 クルマが新車の様に感じたのは、守叔父さんの運転が丁寧で、日々の管理もしっかりしているためであり、そのためクルマの劣化を最小限にしているのかもしれない、修理歴が残るような事故なども皆無だったことだろうと思われた。

 





叔父と甥のドライブ!と考えると、私自身、久しぶりの東京であるため、観光気分があるのも否定できない。しかし、せっかくのドライブであるものの、周囲の街の風景を見られる余裕はほとんど無かった。 前述したとおり、守叔父さんとの会話に集中せざるを得なかったからだ。

守叔父さんの発する言葉は、その一つ一つが意味不明で、理解し難いものであった。 お食事処へ向かう道中、その状態は変わらず続いた。

そして、運転中の守叔父さんは、おもむろに着ているジャケットの内側に手を入れ、スマホを取り出した。 そして、その画面を私の方へ見せながら、


 

「ワカンナイト、スグワカルケド、
ソッチカラキタヤツガ、
ホラホラ イチバン シタニアル、
コノ バショカ!
ジャア、アソコニイコウト」
(分かんないと、すぐ分かるけど、
そっちからきたやつが 、
ほらほら一番下にある
この場所か!
じゃあ、あそこに行こうと)



「分かんないと、すぐ分かるけど」と、なぞかけなのか? まっ、その部分は一旦無視して、スマホ画面の一番下にあるものは、何だろう?

スマホ画面は、「LINE」のトーク画面であった。 私と守叔父さんとのやり取りメッセージを表示しており、その一番下は、私が送信した宿の住所である。
その住所を指差しながら発した言葉である。 つまり、住所情報をもとに迎えに来たということを私に伝えたい様子である。

京急や、京急の駅を伝えても、「ワカラナイ」けど、住所があれば分かるということになる。 

つづけて、

 

「コンカイハ、シゴトカ ナニカデキタノ?」
(今回は、仕事か何かで来たの?)



との質問が返ってきた。

 

「いや、ただの遊びだよ!仕事辞めて、色々と考えることがあって」



と答えると、

 

「ソッチハ、オレトイッショデ、ケッコンシテナイヨネ?」
(そっちは、俺と一緒で、結婚してないよね?)



と言い出した。「してないよ」と返答すると、

 

「スエッコ、スエッコ、スエッコ デ、
チョウジョ ダケガ ジュウネンカン イタンデスヨ、
ソノアト、マタ スエッコ ガ キテ、
ソッカラ、オレカラ、
オカネ ヲ バンバン・バンバン、
ヒャクナンマン トラレテ ヒドイヨネ!
アンナ オンナ。
デ、オレハ ショウガナイカラ、
サトウサン カラ エットー、
ナンネン ダッタカナ?」
(末っ子、末っ子、末っ子で、
長女だけが10年間居たんですよ、
その後、また末っ子が来て、
そっから、俺から、
お金をバンバン・バンバン、
百何万取られて、ひどいよね!
あんな女。
で、俺はしょうがないから、
佐藤さんからエットー、
何年だったかな?)



なんだか、よく分からない話が続いたので、つい、話に割り込んでしまい、

 

「今、佐藤さんと言う所で働いているの?」



と、質問した。 すると、少しうなずいた後、

 

「ロクネン カラ、チョウド オマエ、
シゴト コッチデ ヤレヨ ト イワレテ。
ソノトキニ、サンビャクマン、
イヤ、ニヒャクマンクライアッタトキニ、
ヒャクマン、ヒャクマントラレテテ、」
(六年から、ちょうどお前、
仕事こっちでやれよと言われて。
その時に、三百万、
いや、二百万位有った時に、
百万、百万取られてて、)



と、なんだかお金を奪われたのかどうか?という話をし始めた。

結婚、末っ子、長女、佐藤さん、そして、大きな金額は、ぞれぞれと、どの様に関係があるのだろう? また、いつの事を話しているのだろう? あんな女とは誰だろう? 疑問だらけの不思議な言葉が続いている。

(つづく)
 

2022年10月19日水曜日

「泣けない人」その35

 


35 、上京二日目.9



クルマを発進させて一息つくと、守叔父さんは、

 

「イヤー、ヨカッタ!」
(いやー、良かった!)



と、心の底から発しているように言葉を吐露し、そして安堵の表情を浮かべた。

「ワカラナイ」と繰り返していた状況から脱することができた事が、その言葉を生み出したようだった。

豊治叔父さんからの指示を守って、注意して守叔父さんに接近するために、やむを得ない事ではあったが、もう少し分かりやすい待ち合わせ場所を指定し、迎えに来てもらえばよかったなと反省した。そのため、

 

「失礼しました。」



と、再度びる事とした。すると、

 

「イヤー、ゼンゼン、タノシカッタ!」
(いやー、全然、楽しかった!)



と、字面じづら的には、分かりづらい言葉が返ってきた。

「いやー」は否定表現でなく感嘆詞だと思われる。「全然」は、肯定表現、否定表現のどちらにも意味が転じる言葉であるので、一旦無視する。「楽しかった!」の部分だけを受け入れるとすると、守叔父さんは楽しんで待ち合わせ場所を探すことができたと言うことになる。

しかし、守叔父さんの口調、表情には「楽しかった!」という感情は含まれてなかった。楽しくないのに「タノシカッタ(楽しかった)」と言葉を発した事となり、この言葉と表情のミスマッチに対して、私は頭をかしげ、モヤモヤした気持ちとなった。 

久しぶりに会った事で、お互いが遠慮しているという訳ではないと思うが・・・。 フランクに話ができていると思っているのは、私だけなのだろうか・・・?

乗車直後から感じている違和感は、まだ払拭できない。

そして、守叔父さんの発した「イヤー、ゼンゼン、タノシカッタ!」という言葉の意味を、どう理解できるか頭をひねって考えている所に、続けて、

 

「ムコウニ イッタトキニ、
チョット イキタインデスケドッテ イッタラ、
ジャ、イケッテ イワレテ」
(向こうに行った時に、
ちょっと行きたいんですけどって言ったら、
じゃ、行けって言われて)


 

「ホントウハ、ホラ、12ジマデハ、
イツモ イルジャン。
キョウハ、ハヤカッタ!」
(本当は、ほら、12時までは、
いつも居るじゃん。
今日は、早かった!)



と、再度、理解に苦しむ言葉がならんだ。

「ムコウニ(向こうに)」とは何処を指しているのだろう?
「イワレテ(言われて)」とは誰との会話なのだろうか?

運転中の守叔父さんの言葉をさえぎり、不明な事を聞き直すのは、交通事故にもつながりかねないので今は控えることとした。スパイ七つ道具のボイスレコーダーで聞き直すことで理解できるかもしれない。とりあえず、枝葉・仔細にこだわらず、まずは聞くことに注力し、アウトラインを理解することに心がけた。

今朝の状況を説明しているようであり、職場の上司・同僚もしくは、お客さんとのやりとりを説明しているものと理解した。そして、仕事の終わる時刻が、通常は12時であるようだ。

 

「デモ、ソッチガ クルマダカラッテ イッテタカラ、
ジャ、オレ、イコウカナとオモッタ。
(でも、そっちが車だからって言ってたから、
じゃ、俺、行こうかなと思った。)



続けて、(羽田空港の方を指差しながら)

 

「ダカラ、ムコウニイッタジャン。」
(だから、向こうに行ったじゃん。)


続けて、(羽田空港の方と反対側を指差しながら)
 

「キノウ、キタッテ イッテタジャナイデスカ、
ムコウガワカラ、ズーーット ムコウニ イッタ トコロ」
(昨日、来たって言ってたじゃないですか、
向こう側から、ずーーっと向こう行ったところ)



「ヘッ、ヘッ、ヘッ、」と笑った後。

 

「イヤ、ダカラ、アソコニヒコウジョウガ イッパイ アルジャン。
コウヤッテ、イッパイ クルマガ アッタヨ、ビックリシタヨ。」
(いや、だから、あそこに飛行場が一杯あるじゃん。
こうやって、いっぱい車があったよ、びっくりしたよ。)



そして、

 

「ゼンゼン、ワカンナカッタヨ。」
(全然、分かんなかったよ。)



と、またも、常套句のごとく「ワカラナイ(分からない)」の言葉がでてきた。
私の方こそ、「守叔父さんの話がよく分からない!」と言いたい気持である。

続けて、

 

「オモシロイトコロニ イコウ。」
(面白いところに行こう。)


 

「ズーーット イッタトコロノ ヒダリニ、
イッパイ タベルモノガアルノ」
(ずーーっと行ったところの左に、
いっぱい食べるものがあるの!)



と食事処へ向かっているようだ。続けて、

 

「ゼンゼン、ワカンナカッタ。」
(全然、分かんなかった。)



と、また「常套句」が聞こえてきた。

会話が進めば進むほど、何が何だか理解しがたい状態へと進んでいる。

とりあえず、食事をしながら落ち着いて話ができることを期待しつつ、クルマはどこに向かっているのだろうかと不安は続いていた。

「ズーーット イッタトコロノ ヒダリ(ずーーっと行ったところの左)」には何があるのだろうか? 

(つづく)
 

2022年10月12日水曜日

「泣けない人」その34

 


34 、上京二日目.8

人間の欲望には色々な種類があり、「睡眠欲」「食欲」「性欲」が三大欲求などと言われている。他に、「生存欲」「集団欲」「排泄欲」などもある。

分類や定義付けには色々な理論があるようなので、ここでは細かな話はしない。

以前から私が感じていた守叔父さんの欲望の一つとして、「自分が若く見えること」がある。

「生存欲」の一種なのかもしれないが、「肉体年齢が若い事」よりも、「見た目の若さ」を欲しているように感じていた。

その理由の一つとしては、守叔父さんが、私と一緒にいるときに、慣例行事のように「年齢比較クイズ」を行っていたことが挙げられる。

「年齢比較クイズ」とは、守叔父さんが街中でいろんな人に声を掛け、そして、私と守叔父さんの顔を見比べてもらったうえで、どちらの方が年上かどうかを答えてもらうクイズである。

レストランでの食事中に隣席の人へ声を掛けたり、買い物中の店内であったり、場所を問わず、様々な所で「年齢比較クイズ」を行っていた。

赤の他人に対して、突然声を掛ける守叔父さんの行動に驚きを感じつつ、他人とのコミュニケーションの取り方の一つの方法かもしれないと、特に学生時代の私には守叔父さんの行動力に対して敬服さえもしていた。

私と守叔父さんが並んでいると「甥、叔父」の関係ではなく、兄弟と認識される事が多々あり、下手をすると私の方が、兄とさえ言われる事もあった。

守叔父さんは私から見ても実年齢より若く見えていたし、私は逆に老けて見えるため、守叔父さんの方が年下に見えてもおかしくなかった。そして、それらの答えを聞くことによって守叔父さんは子供のように、はしゃいでいた。

「年齢比較クイズ」によって、15歳差の甥っ子と自分を比べて、その年齢差が小さく見える。または、自分の方が若く見える事を喜んでいたのだった。

 




 

「フィフティーワンッテ、イクツ?」
(フィフティーワンって、いくつ?)



と守叔父さんの言葉が返ってきたので、

 

(日本語で)「51歳」



と答えると、

 

「ゴジュウイッサイカ!
ロクジュウロク ナノサ、
デモ、ホラ カオミテルトサァー、
アンタ ゴジュウネッテ イワレチャウ!」
(51歳か!
66(歳)なのさ、
でも、ほら顔見てるとさぁー、
あんた50(歳)ネって言われちゃう!)



と言い出した。

久しぶりに会って、お互いが「齢を重ねたな!」と言う展開ではなく、「年齢比較クイズ」のごとく、今でも守叔父さん本人が若く見られる事を強調した話となった。

確かに、66歳には見えない! 還暦を過ぎている様には全く見えなかった。

目尻に若干の笑いシワがあるものの、肌のキメが細かく、ツヤも良く、シミもほとんど無い。頭髪もしっかりと濃く生えて、髪色も白髪がなく黒々していた。

 

「髪の毛、染めてるの?」



と聞いてみると、
 

「イヤ、ワカラナイケド」
(いや、分からないけど)



との返事。 

若いから染めてないと、とぼけたいのか?
 染めていると言う言葉が理解できないのか?

続けて、

 

「デモネ」
(でもね)



と言うので、とっさに、

 

「(カツラ)被ってる?」



と質問してみた。

すると、適当に誤魔化そうとした感じで、車を発進すべく、道路先を指差しながら、

 

「ヒダリ イケバ イイカナ?」
(左行けばいいのかな?)



と、交差点を曲がるべきかどうかを聞いてきた。

守叔父さんが、どこへ行こうとしているのか分からないので、

 

「どっちがいいかな?、どっちでも良いよ」



と答えると、

 

「ジャア、ミギイコウ!」
(じゃあ、右行こう!)



と言うと、おもむろに、クルマをスゥーっと発進させた。高級外車の高出力エンジンは、全然唸る事なく余裕あるスタートを切った。

さて、守叔父さんは、何処に行こうとしているのだろうか?

(つづく)
 

2022年10月5日水曜日

「泣けない人」その33

 


33 、上京二日目.7

車の窓ガラス越しの守叔父さんの表情は、ニコニコした笑顔だった。

車体の左側の助手席へ回ると、ガラス窓が下げられていたため、ニコニコ顔の守叔父さんが、よりハッキリと見えた。

 

「お疲れ様です。」
 


と声を掛けると、叔父さんの第一声は、

 

「ゼンゼン、ワカンナカッタヨ!」
(全然、分かんなかったよ!)
 


であった。

敢えて、「うん?」と聞き直したところ、

第二声も

 

「ゼンゼン、ワカンナカッタヨ!」
(全然、分かんなかったよ!)
 


であった。何が全然分からなかったのだろう・・・? 予想以上に早く宿に到着したのに!!! 「ワカラナイ」という言葉が、口癖になっているのだろうか・・・?

守叔父さんに対して、何が分からなかったのか聞き返してみようとも考えたが、今は、その疑問を追及すべきタイミングではないと判断し、一旦棚に上げる事にした。豊治叔父さんのアドバイスを順守して、まずは、守叔父さんの話を聞く事に徹しようと思い、とりあえず、

 

「ご無沙汰しております。」
 


と返事をした後、後部席を覗き込んで、他に誰も乗っていない事を確認した後、助手席のドアを開けて乗車した。

守叔父さんの車に乗った時、時計がちょうど11時を示していた。

私はすぐに、リュックの中からお土産を取り出して、

 

「これ、おみやげ!」
 


と、守叔父さんへ手渡した。すると、

 

「ナニコレ?」
(何これ?)
 


と不思議そうな顔で私の顔を覗き込み、表情から渡された物の素性を理解しようとしているように感じた。

細かく説明すると、もしも、手土産を一度も貰った経験の無い人が、初めて手土産を受け取った時にするであろう反応と、同じ反応を守叔父さんがしたのではないかと思った。

 

「かるかんと黒砂糖だよ」
 


と伝えると、守叔父さんは、手を口に持っていき、食べ物を食べる様子のパントマイムをした。

私が首を縦に振り、

 

「そう!」
 


と肯定的な返事をすると、守叔父さんの表情は、不思議そうな顔から喜んだ顔へと変化した。

その後、少し間が開いたあとに、待ち合わせるために連絡を取り合って、やっとの思いで合流できたことへの安堵からなのか「ハァー」とため息が守叔父さんの口から漏れた。

空港へ迎えに行くという面倒を掛けてしまい、

 

「ごめんなさいね、分かりづらい説明で」
 


と伝えると、

 

「ココニキテタノ?」
(ここに来てたの?)
 


と、宿の方向を指差しながら質問が返ってきたので、

 

「そう、昨日、来たの」
 


と答えた。

 

「ソレデ?」
(それで?)
 


と、なぜ上京したのか理由を聞いてきた。

 

「遊びに」
 


と答えると、

 

「アソビニ? ヨクワカラナイ?」
(遊びに? よく分からない?)
 


との言葉が戻ってきた。何が分からないのだろう? やはり、「ワカラナイ」と言う言葉が口癖になっているのだろうか?

続けて、

 

「イマ、ナンサイ?」
(今、何歳?)
 


との突然の問いかけに、

 

「フィフティーワンですよ!」
 


とワザと英語で答えると、

 

「フィフティーワンッテ、イクツ?」
(フィフティーワンって、いくつ?)
 


と返ってきた。

船舶のブローカーとして、渡米した経験もある守叔父さんが、英語の数字を分からないはずはない。

私が英語で答えたことに対して、とぼけて返したのか? 運転に集中するために、適当に相づちを打っただけなのか? それとも、豊治叔父さんの言うとおり、認知症なのだろうか? 

まだ数分しか経っていないが、守叔父さんとの会話に違和感を感じつつ、この後はどの様にすれば良いか悩み始めた。

(つづく)