2024年2月28日水曜日

「泣けない人」その94

 


94 、上京四日目.5

江ノ島の展望灯台は、高所にもかかわらず、そよ風が軽く吹く程度で非常に穏やかであった。

12月であっても、快晴の下、その暖かな日差しのため、屋外の展望台であっても寒さをあまり感じなかった。

守叔父さんの発した言葉「ア・ル・イ・テ・ル」を解釈することができたため、守叔父さんが「幽霊」を見ていたわけではないようなので少し安堵した。

そして、同時に守叔父さんの話す意味不明な言葉を理解するための糸口を見つけたような感覚にもなった。

端的には、守叔父さんの使える言葉が少なくなっていて、その少ない言葉を駆使して、会話しているということだろう。

物体が前方に移動することは「歩いている」と表現しているようだ。

そのため、クルマが進むことを「歩いてる」、飛行機が飛んでいることも「歩いてる」、船が進むことも「歩いてる」となる。

一昨日、昨日と飛行機を見ながら、意味不明な言葉を言っていたが、その中にも「歩いてる」という言葉が使われていたのかもしれない。 

飛行機を見上げながら「歩いてる」と言われても、その時の私には理解できなかっただろう。

一日目、イトーヨーカドーにおいて、「トイレ」のことを「オ・ン・セ・ン」と表現したとすれば、「水」に関係した場所をすべて「温泉」と表現しているのかもしれないと解釈できる。

金銭トラブルに関して話していた時の「カイケイシ」とはお金に関係する人を指しており、「会計士」のみを意味しているのではないと解釈できるかもしれない。

つまり、守叔父さんの話す言葉には、間違った言葉を使っている可能性があり、言葉の字面にとらわれずに、柔軟に言葉を類推する必要があるようだと理解した。

使える言葉が少ないから、「アレ」「コレ」「ソレ」「アソコ」などの指示語・指示詞を多用せざるを得ないのだろう。

地名や人物名などの固有名詞もほとんど出てこないし、私の名前も一度も出てこない。

他人とのコミュニケーションにおいて、使える言葉が少なければ会話が成り立たないだろう。その際に、「ワカラナイ」と言う言葉を使うために、何かにつけ「ワカラナイ」という言葉が即座に出てくるのだろう。

「しゃべり言葉」が少なくなっているように、文字が読めなく「読む言葉」も少なくなっているのだろう。「成田」が読めなかった。

文字を書くことができるのだろうか・・・? 疑問がでてきた。

そして、この様に言葉の不自由な守叔父さんは、本当に仕事ができるのだろうか?

仕事だけでなく、どうやって、日常生活を送っているのかさえも疑問である。

守叔父さんの自宅内に入らなければ、日常生活の様子は分からない。

自宅訪問のきっかけを見つけなければ!

と、いつの間にか「遊びモード」から「探偵モード」へスイッチが変わって考え込んでいる自分に気が付いた。

ふと、横を見ると、そこにいたはずの守叔父さんがいつの間にかいなくなっていた。

周りを見回すと、すぐに守叔父さんを見つけることができた。

守叔父さんは、観光客の20代くらいの男女カップルに声を掛け、話しているようだった。

何の話をしているのだろう?と近づいていくと、

 

「ナンサイ ミエル?」
(何歳 見える?)



と守叔父さんが言っており、恒例の「年齢当てクイズ」をやっていたのだった。

守叔父さんは、私が近づいてきたのに気付くと、私を指差した後、

 

「コノコト ドッチ ワカク ミエル?」
(この子と どっち 若く 見える?)



と言った。

カップルは、どっちだろう?と考え込んでいた。私と守叔父さんの顔をそれぞれ何度も見比べていた。

守叔父さんは、そのカップルが答えるのを待つことなく、私を指差しながら、

 

「コノコ、 ジュウゴ シタ!」
(この子、15(歳)下!)


と言った。そして、守叔父さんは自分自身を指差しながら、

 

「ロクジュウゴ!」
(65(歳)!)



と言った。すると、そのカップルが口を揃えて、「嘘っ・・・!、凄く若く見える! 40歳位かと思った! 信じられない!」と言った。

そのカップルの言葉を聞いた守叔父さんは、満足そうな笑顔で、

 

「ワカク、ミエルデショ!」
(若く、見えるでしょ!)



と言った。

言葉のトラブルを抱えているはずの守叔父さんは、平気で他人に声を掛け、笑顔で陽気に振る舞っている。

私は、ふと、自分自身が、同じような言葉のトラブルを抱えた時に、守叔父さんと同じような行動ができるのだろうかと考えた。 私は落ち込んで、笑顔で他人に声を掛ける事ができないかもしれない。 

守叔父さんの頭の中はどの様になっているのだろう・・・?

(つづく)
 

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