2025年5月21日水曜日

「泣けない人(病院編)」 その16

 


16.上京八日目.16


守叔父さんが認知症であると診断され、そのショックのため、しばらく医師の声を上の空で聞いていたが、徐々に自分を取り戻していた。

今後の対応として、病院から地域包括支援センターへ連絡を入れてもらえるのかどうかと確認すると、個人情報保護の問題で、病院からの連絡はできないとのことであった。

私自身で、支援センターへ行き、病院での診断結果を説明しなければならないようだ。

診断結果を正しく説明するために、診断書があれば良いだろう。

医師は、

 

「診断書は必要なら作成しますけど、
(支援センターへの)相談には必要ないです。」

 


と言った。代わりに、相談時に伝える必要のある情報を整理し、

 

「認知力検査は30点満点で5点。
高度認知症。
CTで脳が萎縮していることを確認。
前頭側頭型の認知症。

と(包括支援センターに)伝えてください。」



と医師が言った。 続けて、

 

「言葉が難しくて、説明が難しいと思いますが、、、。」



との医師の言葉。 

私には聞き慣れない言葉は、なかなか覚えられない。 CT画像と同じように、カルテの写真があればな・・・。と思い、カルテを指差して、

 

「(カルテの)この部分の写真を撮って良いですか?」



と聞くと、

 

「ああ、良いですよ!
そうですね、
写真があれば、
(診断書が無くとも、)
説明ができますね!」



と快諾してくれたので、スマホで撮影することにした。

スマホを取り出した手は、震えていた。
手ブレを少なくするために、呼吸を整えて、ゆっくりとシャッターを切った。

無事にカルテの撮影ができると、包括支援センターでの説明が容易になると考え、心に少しの余裕ができた。

すると、ふと、昨日の事を思い出した。

昨日、一昨日は、守叔父さんの家の中を家探しして、いくつかの書類を見つけたのだった。
その中の書類について、

 

「叔父さんの家で、
税金関係の書類を見つけました。
税金の納付催促の通知が、
たくさん届いており、
多額の税金滞納があることがわかりました。」



と医師に伝えた。

医師は、

 

「税務署は嘘つかないから、
金銭トラブルがあるのは事実でしょう。
診た限りでは、(医師の判断として、)
本人には、(税金の)支払い責任能力が無い。
役所に相談した方が良いですね。
そうじゃなきゃ、借金を背負うことになる。」



と言った。

確かに、認知症という病気によって金銭的にプラスになる事よりマイナスになるリスクの方が高いだろう。

包括支援センターだけではなく、税務署などの役所にも相談が必要だな・・・。と、今後の対応が多岐に及ぶことを理解した。

医師としてのアドバイスは、出尽くしたようであり、守叔父さんに関わる一連の診察がすべて終わったことになった。

(つづく)
 

2025年5月14日水曜日

「泣けない人(病院編)」 その15

 


15.上京八日目.15


守叔父さんが診察室から出ていくと、医師はすぐに話し始めた。

 

「見ての通りですね。
(認知機能検査は、)
30点満点の5点ですね。
高度の認知障害ですね。
かなり認知症がひどいですね。

とてもじゃないけど運転なんか
怖くてさせられないですね。」



と言った。 30点満点の検査で得点はわずかの5点。 

脳のCT検査の結果が先に説明されており、脳の萎縮がひどい事が分かっていたものの、口頭による問診が始まる直前までは、これ程ひどい点数になるとは想像していなかった。

なぜなら、守叔父さんは、クルマをスムーズに操作し、目的地に移動することができる能力があり、クルマの運転は、簡単な事ではないと思っていたからだ。

しかしながら、問診の最中、守叔父さんの誤答が一つ、二つ、・・・。と徐々に積み重なることによって、どんどんと「認知症」の可能性が高くなり、また、その深刻度が高いことが判明していった。

医師の口から「認知症」という確定診断が出て、実際にその言葉を聞くと、体は言う事が利かなくなって、自然とむせび泣いていた。

私は心では冷静さを保とうと必死にもがいていたのだけれども・・・。

目頭からは涙が溢れて流れ落ち、くちびるの横を伝わりさらに下に流れてアゴから垂れ落ちそうになっていた。

慌ててポケットからタオルハンカチを出して涙を拭った。


医師は、

 

「おつらいでしょうけれどね・・・。」



と労(いた)わってくれた。 続けて、残念そうに、

 

「(医師としては、治療の方法が無く)
何もしてあげることができない。」



と言った。

そして、私が落ち着くために、少し時間をあけた後、

 

「年齢はぎりぎり65歳。
若年性認知症は65歳未満。
発症時は、若年と推測。」



と医師は事務的な口調で言った。

私は、今後の事を考えるために、

 

「(叔父は、)要介護状態という事ですね?」



と質問した。

医師は、

 

「いくら体が動いても、要介護ですね。
ご家族、ご親族で相談し、どうするか
考えなければ・・・。
一人でおいておける状態ではない。」



と言った。 そして、一般的な話しとして、認知症によって起こりうるトラブルについての話しを続けた。

医師の話では、

 

「認知症の場合、トラブルが発生しても、本人から状況を聞きだすことが厳しい。
相手方にも言い分があり、水掛け論になることが多い。

騙されたと本人が言っても、相手方は騙していた訳でなくて、色々と面倒を見てくれていた可能性があるかもしれない。

相手方が善意でやった事を 逆恨みされていたら、むしろ相手方の方が、迷惑して怒っている場合もあるかもしれない。

本人が言っている事自体を、本人が理解できていない可能性がある。

金銭トラブルの例として、買い物がうまくできなければ、万引きとなり犯罪を起こすことになる。

つまり、本人が悪い事をしていると思わなくても、犯罪を起こすこととなり、刑事訴訟の問題が起こる可能性も十分考えられる。

ただし、病院にて認知症と診断された後に発生した場合は、免責となる。」



との事。

つまり、介護がなければ、犯罪につながるトラブルが起こる可能性が高く、また、すでにトラブルが発生していることも考慮しなければならないということである。

介護に関しては、地域包括支援センターに頼らなければならないだろう。

(つづく)
 

2025年5月7日水曜日

「泣けない人(病院編)」 その14

 


14.上京八日目.14

守叔父さんの指差す先を、医師はまじまじと見ていた。 しかし、そこに異常を見出せないでいた。

まさか、「シミ」の相談を受けるとは思いもしていないだろうから・・・。

医師は、

 

「どこも悪そうに見えないけど?」



守叔父さんは、

 

「ココ、
ココ、
ココガ、
ナンカ、
ヘンナノガ、
イッパイ
オカシイノ。」
(ココ、
ココ、
ココが、
何か、
変なのが、
一杯、
おかしいの。)



と執拗に言った。

しかたなく医師はもう一度、守叔父さんの腕を見直した。 

まさか・・・という表情で、

 

「このシミの事?」



と医師が言うと、守叔父さんは、

 

「ソウ!」
(そう!)



と答えた。 医師は、少し呆れた表情をしつつも、丁寧に、

 

「歳とったからシミができてるの。
みんな歳をとると出来るの。
大丈夫。 心配ない。
誰でもあるよ。
歳とるとシミはできるから。
心配ない。
大丈夫よ。」



と言った。 守叔父さんは納得せずに、

 

「イヤ、ナンカ、
コウイウノヲ、
チャントシテ、
チュウシャ トカ、
ナンカシテ、
キレイニ 
ナリマスヨッテ、、、。」
(いや、なんか
こういうのを、
ちゃんとして、
注射とか、
何かして、
綺麗に
なりますよって、、、。)



と、「シミ」の治療法があるはずと伝えようとした。 

医師は、少し柔和な表情になり、笑い声を発しながら、

 

「それは、もう、今、歳なんだから。
もう、それは、無駄な抵抗はしなくていい、
男なんだから・・・。」



と言った。

 

「ソウナノ? 
デモ、オレ、ヒョットシタラ、
アンタ、サンジュッサイ トカ、
ニジュウハッサイ トカ、
ジッサイハ ロクジュウ ゴサイ。
コレ、アルト、、、。
ナイト、サンジュッサイ トカ、
ニジュウハッサイ トカ、
イワレル。」
(そうなの?
でも、俺、ひょっとしたら、
あんた、三十歳とか、
二十八歳とか、
実際は六十五歳。
コレ有ると、、、。
無いと、三十歳とか、
二十八歳とか、
言われる。)



と言った。

守叔父さんは、自分が周囲の人から若く見られたいという欲求を一生懸命に伝えようとしていたのだった。

医師は守叔父さんのジョーク話しと捉えたようで、ひと笑いした後、

 

「はい、大丈夫!」
 


と言って、診察を切り上げた。

医師の表情には、「シミ」より別の問題、大きな問題があるでしょう・・・。と
言いたそうな雰囲気が滲んでいたけれど、さすがに、言葉にはならなかった。

代わりに、

 

「お疲れさまでした。
診察が終わりました。
この後、甥御さんとの話しがありますので、
しばらく、待合室でお待ちください。」



と、少し冷ややかな事務的な口調で言った。

守叔父さんは、少し不服そうな顔をしていたけれど、医師の指示に従って、診察室から出ていった。

(つづく)