2024年8月21日水曜日

「泣けない人」その115

 


115 、上京五日目.12

守叔父さんの家の最寄りの区役所出張所である大森東特別出張所内に地域包括支援センターがあるようだ。

スマホで「区役所 大森」と検索すると、守叔父さんの家に向かうルート上の途中にあることがわかった。

産業道路(国道131号線)を北方に進み、途中、京浜病院のある交差点を右折し東方へ直進し、東京労災病院の手前を左折して北上するルートである。

移動の途中、気がつくと少し息が上がり、体全体が汗ばんでいた。

歩き慣れたルートであり、慌てる必要などないのだけれど、自分を導いてくれる「一筋の光」を目指し、脇目も振らず突き進んでいたようだ。

意識せずに歩くペースがどんどん上がっていたのだった。

少し立ち止まり、周りに歩行者などのいないことを確認したあと、腕を軽く横に開いて深呼吸した。

肺の奥から息を吐き出して、鼻からゆっくり吸い込む事を何度か繰り返すと、師走の冷たい空気が体温を下げ、楽になった。

 

・
・
・



しばらくして、無事に到着した。

敷地角の看板には、「大森東特別出張所」、一回り小さな文字で「地域包括支援センター大森東(高齢者相談窓口)」と記載されていた。

上京してから、守叔父さんの家の周辺の様子を調べるために、グルグルと家の周辺を歩き回っていたため、その看板の前を何度となく素通りしていた。

そのため、それら看板の文字は何度も視界に入っていたはずであるが、残念ながら「高齢者相談窓口」の文字の存在には気付かなかった。 

自分にもう少し観察眼が備わっていて「高齢者相談窓口」の文字に気付いていれば、他の施設に行くという遠回りをせずとも「ココ」にたどり着けたのかもしれないな・・・。と、ちょっとだけ残念な気持ちになった。

建物内に入り受付にて、名乗った上で、叔父の相談にきた旨を告げると、2階に包括支援センターの受付があるとの事。

階段を上がるとすぐに、包括支援センターの入口があり、入るとすぐに受付があった。

挨拶しつつ、中に入って

 

「叔父の事で、相談があるのですが・・・。」



と伝えると、

 

「糀谷の地域包括支援センターから連絡いただいた方ですね。」



と言われ、「はい、そうです。」と答えると、すぐに担当者が現れて対応して貰えることとなった。

支援センター間の連絡がうまく伝わっていて良かった。

受付からパーティションで囲われた相談スペースへ移動して相談がはじまった。

まずは、お互いに自己紹介をした。

担当者は、社会福祉士の栗山さんという女性であった。

守叔父さんとの関係として親族であることや、なぜ、守叔父の様子を見に来ることになったのかなどの経緯を説明をした。

その後、豊治叔父さん、めぐみ叔母さんから聞いた話、そして、私自身が経験した数日間の出来事を思い出すままに話し続けた。

突然あらわれた見ず知らずの者が、一方的に話しているのにもかかわらず、栗山さんは嫌な顔一つせず、私の目をしっかりと見続けて、相づちを打ちながらゆったりとした雰囲気で、聞いてくれていた。

私は一通り話し終えた後、

 

「どのようにすれば、良いでしょうか?」

 

と伝えると、



栗山さんの口から、

 

「おそらく認知症でしょう。」


との回答が返ってきた。

予期された言葉ではあったが、少し心が揺さぶられ、涙腺が緩んだ。

栗山さんは私の感情を察してくれたのか、一旦、席を外してくれた。

(つづく)
 

2024年8月7日水曜日

「泣けない人」その114

 


114 、上京五日目.11

衝撃的な守叔父さんの言葉を聞いた後、私の頭の中は、「どうやって、守叔父さんを病院へ連れて行こう???」との考えがグルグル、グルグル、回り続けていた。

そのため、上野公園から宿に送り届けてもらうまでの数時間、何があり、どこに立ち寄ったかなどの記憶がほとんどない。

部屋に戻って一人になり、椅子に腰かけて、机に向かうと少しだけ冷静になることができた。

一人で考えていても、埒(らち)が明かない。

誰かに相談しよう!

さて、誰に相談すれば良いだろう・・・?

ここでは、感情抜きに、事務的な対応をしてくれる相談相手が必要だと考えた。

まずは、iPadでブラウザを立ち上げ、Googleにてキーワード「認知症 相談」を検索した。

検索結果には、公的な相談窓口への相談をすすめてくれるものがいくつかヒットした。

たしかに、区役所や市役所などには相談窓口があるだろう。

続いて、「大田区 区役所」を検索した。

すると、宿の近くに区役所の出張所があることがわかった。 

「ツイてるな! ラッキーだ」と思った。

今日は、金曜日! そして、時間を見るとまだ業務時間内であったので、早速、出張所へ行く事にした。

出張所の窓口で、

 

「一人暮らしの親戚の叔父の様子が変で、
認知症のような感じなのですが・・・。 
どうしたら良いでしょうか?」



と問うた。

すると、対応してくれた区役所の方は、ほぼ即答で、
 

「地域包括支援センターへ、お伺いください。
そちらで、相談をされると良いと思います。」



との答えが返ってきた。
 

「支援センターとは、どちらにあるのですか?」

 

 

 

と聞いた。

すると、

 

 

「隣に老人ホームがありますが、その中にあります。

お名前を頂けましたら、こちらから、連絡入れさせていただきます。」

 

 

との事。

名前を名乗ると、すぐに地域包括支援センターへ連絡を入れてくれた。

そして、この後、即対応していただけることとなった。

区役所での滞在は、待ち時間もなくほんのわずかな時間ではあったが、区役所職員の方の応対は、この数日間、私の心の中にあった暗闇に、まばゆいほどの一筋の光を差し込んでくれたようにすら感じた。

お礼を言うと、すぐに地域包括支援センターへ向かった。

老人ホームの入口へ向かうと、そこは私の泊っている宿の玄関の真正面に相対した位置であった。

「数日前から何気なく見ていた建物が相談場所とは!」、「これまたツイてるな! ラッキーだ」と思った。

建物内に入ると、案内図があり、奥の方に地域包括支援センターがあるようだ。

廊下を進むと、相談窓口があったので、受付の人へ

 

「先ほど、区役所の出張所からの紹介で、
こちらに伺いました。
連絡が入っていると思いますが、
本田と申します。」



と伝えた。すると、受付の人が、

 

「まず最初に、念のため、叔父さまのご住所をお教えください。」



との事、住所を伝えると。

 

「残念ですが、管轄が違いますね。
隣りの地域の地域包括支援センターへ
お伺いし、相談してください。
こちらから、先方には連絡を入れておきます。」



と言われてしまった。 「ツイてない・・・?  アンラッキー・・・?」

さすが東京! 人口が集中し過密している分、役所の出張所だけでなく、支援センターもたくさんあるのだろう!

場所を聞くと、守叔父さんの家からすぐの所に支援センターがあることがわかった。

離れた所でなくて良かったな・・・、「やはりツイてる! ラッキーだ」と思った。

それにしても、役所の職員の対応・レスポンスが早いな・・・。そして、無駄な言葉が全然無いな・・・。と感心した。

(つづく)
 

2024年7月31日水曜日

「泣けない人」その113

 


113 、上京五日目.10


五文字の言葉「◯◯◯◯◯」は、「トウキョウ」であった。

守叔父さんは、西郷さんの像を見上げ、そして、

 

「コノヒト、
トウキョウノヒト
ダヨネ!?」
(この人、
東京の人
だよね!?)



と言ったのである。 

その言葉は、何度も何度も脳裏にリフレインした。

鹿児島を代表する偉人の「西郷隆盛」を「東京の人」と間違うことはあり得るのだろうか?

いや、あり得ない! 私同様、叔父も鹿児島出身なのだから!

そのあり得ない言葉は、すさまじい破壊力の言葉となり、衝撃で私の心をズタズタにしてしまった。

自然と涙腺が緩み、「諦め」の心境となった。

守叔父さんは、「”まとも”では無い。」と判断するしかない諦めである。

今に至るまで、この数日間、葛藤が続いていた。

守叔父さんは、「”まとも”である。」と「”まとも”では無いかもしれない。」との間でゆれていた。

守叔父さんと会った初日は、「少し変だな!」 と思ったくらいであった。

二日目以降、徐々に「変」な事に気付くことが増えていった。

そして、今、西郷隆盛が分からないことを理由に、守叔父さんが「”まとも”では無い。」と判断したのである。

ほんの数分前までは、自然の流れで、病院へ連れて行ければ良いと考えており、危機感は少なかった。

なぜならば守叔父さんは一人で日常生活を過ごす事ができているように感じたからだ。

掃除、洗濯、朝昼夕の食事などの生活全般はともかく、交通量の多い都会において、クルマをスイスイと運転する事ができている。

そのため、病院へ連れて行くことを「ためらう自分」と「積極的に連れて行こうとする自分」の両者がせめぎ合っていた。

しかし、守叔父さんの「コノヒト、トウキョウノヒトダヨネ!」という言葉を聞いた事により、「ためらう自分」が消え去ったのであった。

そして、その時が「”全力”で守叔父さんを病院へ連れて行く事。」を覚悟した瞬間となった。

(つづく)





余談、後日、google mapにて上野公園をバーチャル散歩すると、「西郷隆盛像」は、「この地を象徴する著名な武士の銅像」と説明されていることに気がついた。

この説明文は、二通りに読めるかもしれない。

1.西郷隆盛は、著名な武士である。 その銅像は、この地の象徴である。

2.西郷隆盛は、著名な武士であり、この地の象徴である。 その銅像。

仮に、2.ならば、守叔父さんのいうところの「東京の人」でも、間違いはないのかもしれない。

余談、以上。
 

2024年7月24日水曜日

「泣けない人」その112

 


112 、上京五日目.9


上野公園と言えば、「西郷隆盛(さいごうたかもり)像!」

西郷隆盛は、言わずと知れた幕末の志士。鹿児島を代表する英雄の一人である。

このままの路順で駐車場へ戻れば、その銅像を見ることはできない。

せっかく上野公園を訪れたのにもかかわらず、「西郷隆盛像」を拝見せずして帰るのは、鹿児島県人の私としては耐え難かった。

素直に、「西郷さんを見に行こう!」と言えば良いところだが、私はそう言えなかった。

なぜなら、守叔父さんの口ぐせのごとき、「ワ・カ・ラ・ナ・イ」という言葉が戻ってくるかもしれない事を恐れたからだ。

鹿児島出身の守叔父さんが、「西郷さん」を分からない事など無いだろう。 もしも、「ワ・カ・ラ・ナ・イ」と言われると、私は自分自身が相当なショックを受けると予想した。

そのため、「西郷さんを見に行こう!」とは言わず、

 

「別のルートで戻ろうよ!」



と守叔父さんに伝えた。 

私の心の中の葛藤など気付くはずもなく、守叔父さんは笑顔で、

 

「オッケー!、ドッチイク?」
(OK!どっち(に)行く?)



と言いながら、指先を左右に振ってくれた。

私が、銅像のある方面を指差すと、

 

「オッケー!」
(OK!)



と言って、守叔父さんはその方向へ淡々と歩き始めてくれた。

 

・
・
・



途中に30段程の石階段があった。守叔父さんは、軽々とその階段を駆け上がっていった。

息もほとんどあがっておらず、体力・元気が有り余っているようで、15歳差の私より守叔父さんの方がよっぽど肉体的にはパワーがありそうだと感じた。

守叔父さんは、見た目だけでなく、体力も同世代の中では抜きんでていると確信できるものであった。 運送業で体を鍛え続けてきたおかげなのだろう。

 

・
・
・



しばらく歩くと、西郷隆盛の銅像の前に着いた。

守叔父さんは銅像を見上げて、まじまじと観た後に私を振り向き、尋ねるような感じで、

 

「コノヒト、
◯◯◯◯◯ノヒト
ダヨネ!?」
(この人、
◯◯◯◯◯の人
だよね!?)



と言った。

その言葉は、私の予期せぬものであり、大きなハンマーで頭を殴られたような衝撃を受けたように感じた。そして、その言葉が何度も頭の中でリフレインしていた。

「◯◯◯◯◯の人」、「◯◯◯◯◯の人」、「◯◯◯◯◯の人」、、、、。

いく度のリフレインを繰り返したか分からないが、再度、冷静にその言葉を反すうした後、私は心の中で「エーーーー!」と大声で叫んでいた。


(つづく)
 

2024年7月17日水曜日

「泣けない人」その111

 


111 、上京五日目.8

上野公園内を二人で歩いている。

守叔父さんは、「江の島」へ行った時と同様に歩くのが速く、マイペースであった。

公園の散歩と言う事で、私はのんびり歩く事にすると、守叔父さんは私のペースに合わせて歩く気はさらさら無いようで、ペースを変えることなくどんどん先に歩いていってしまった。

二人の距離が開き、呼び止めようと

 

「叔父さん!
叔父さん、歩くの早いね!」



と声を掛けて、逆説的に「ゆっくり歩こうよ!」と伝えたつもりであった。

守叔父さんは、一旦立ち止まって振り返ったものの、

 

「オレ、コウヤッテ
(イツモ)アルイテル。」
(俺、こうやって
(いつも)歩いてる。)



と言った後、私を待つことなく歩き始め、そのペースは先ほどより早くなってしまった。

一連のやり取りは、「江の島」の時とほとんど一緒であった。
 
守叔父さんは、私の言外の意味を読み取ろうとせずに、常にマイペースであった。

私の話しかける言葉に対してのリアクションが単調であり、子供の行動のようにも感じた。

 

・
・
・



先を歩く守叔父さんは、博物館や美術館などの施設の前をそれぞれ素通りしていった。

その際、私を振り返る事はなく「ここに入館してみようか?」などの提案も一切無かった。

 

・
・
・



私の追いかける守叔父さんの目線の先には、行列があった。

その行列は、動物園の入場口に続いており、流行り病の影響による入場制限のためにできたものであった。

私は内心、「パンダは見た事ないので、守叔父さんがその列に並んでくれないかな・・・。」と思いながら後を追ったが、私の思いとはならず守叔父さんはその列には目もくれずに、歩みを進めていった。

 

・
・
・



園内をぐるっと回ってたどり着いたのは「不忍池弁天堂」であったが、守叔父さんは参拝せずに、境内をそのまま通り過ぎ、裏の方に歩いて行った。

「不忍池弁天堂」の裏手には「ボート乗り場」があり、スワンボートや手漕ぎボートがたくさん停泊していた。

守叔父さんは、そこで歩みをとめて、じっとそれらのボートを眺めていた。

私が守叔父さんに歩き追いつくと、

 

「リリィチャント、
ココキタ。」
(りりぃちゃんと、
ここ来た。)



と少し寂しそうに言った。そして、

 

「カエロウ!」
(帰ろう!)



と言い、守叔父さんは来た路順を逆に戻り始めた。

上野公園は守叔父さんにとって、りりぃさんとの思い出の場所の一つであったようだ。

私は思い出の場所巡りに付き合わされたのであった。

(つづく)
 

2024年7月10日水曜日

「泣けない人」その110

 


110 、上京五日目.7


燃料を満タンにしたが、さて、どこに行くのだろう?

守叔父さんが行き先を言わないために、行き先が分からない状態である。

クルマは「国道15号(第一京浜)」を北上し、「平和島口」の交差点を通過していた。

 

・
・
・



「JR品川駅」の西口側を通り過ぎても、まだ、北上している。

 

・
・
・



右前方に「日テレ汐留本社」が見えたので、もうすぐ「JR新橋駅」である。

新交通「ゆりかもめ」のプラットホームの下をくぐり抜けると、右折レーンに進入した。

信号で右折すると「昭和通り」に入った。

そのまま、「昭和通り」を北上し続けた。

 

・
・
・



「JR秋葉原駅」の東口側を通り過ぎた時に、守叔父さんは、


「モウスグ!」
(もうすぐ!)



と言った。

目的地が近いようだ。秋葉原周辺ならば観光地はどこだろう? 「雷門」、「浅草寺」かな?

それとも、展望台が好きな守叔父さんなので、「東京スカイツリー」に行くつもりなのだろうか?
 

・
・
・



JR御徒町駅を通り過ぎ、 左手には「アメ横」があるな・・・。と思っていると、ほどなくして、守叔父さんがウィンカーを点けた。

正面の青色の道路案内標識を見ると、右方向「浅草」と表示されていたので、右折レーンへ進むのだと思った。

しかし、私の予想に反して、守叔父さんは左折レーンへクルマを進めたのだった。

「浅草」や「東京スカイツリー」ではなく、どこに行くのだろう?

信号を左折して進むと、右前方は「JR上野駅」であった。

守叔父さんは、

 

「ココ、ココ!」
(ここ、ここ!)



と言いながら、上野駅のすぐ近くの駐車場にクルマをとめたのだった。

 

・
・
・



「上野公園」が目的地だったようだ。

公園内には博物館や美術館、動物園など様々な施設が有るので、楽しめるだろう!

さて、どの施設に行くつもりなのだろうか?

(つづく)
 

2024年7月3日水曜日

「泣けない人」その109



109 、上京五日目.6


守叔父さんは仕事には行かないので、今日も私をどこかに連れて行ってくれるようだ。

さて、何処に行くのだろう?

クルマで出掛けるようだ。

私が乗車すると、行き先も告げずに出発した。

少し走った後に信号待ちのタイミングで、守叔父さんはクルマのインパネ(スピードメーター、エンジン回転計)の辺りを指差しながら、
 

 

「ココデ、ヒャクマン、
ココデ、ニヒャクマン、
ニヒャクマン、ダメ!」
(ここで、100万、
ここで、200万、
200万、ダメ!)

 


と言った。

私は、インパネに顔を近づけて、守叔父さんが何を指差しているのかを確認すると、それは燃料計であった。

ガソリンタンクの残量によって、100万とか200万とか言っていることが分かったが、 200万がダメとは何だろう?

そして、

 

 

「サムイネ! ホラ、ナナジュウド!」
(寒いね! ほら、70度)

 


と言った。私が、
 

 

「70度って、何?」

 

 

と聞き直すと、再度、インパネを指差して、

 

 

「ココ!」
(ここ!)

 


と言った。

インパネには外気温の表示があり、「7.0℃」との表示があった。

「ナナド」と言うべきところを「ナナジュウド」と言ったのであった。

そんな不思議な会話をしているうちに、クルマが停車した。

 

 

・
・
・

 

 

セルフ式のガソリンスタンドに着いていた。

守叔父さんは慣れた手つきで、ガソリンを給油しはじめた。

スタンドの計量器には、給油量(リットル)とともに、料金が表示されており、その数字がどんどん増えていった。

給油を終えて、守叔父さんは計量器の金額を指差しながら、

 

 

「ヒャクマンデショ!」
(100万でしょ!)

 

 

と言った。

実際にそこに表示された金額は、1万円を少し超えただけのものであった。

先ほど、信号待ちをしている際に燃料計を指差しながら「ヒャクマン」と言ったのは、その示している残量の時に給油すると燃料代が「1万円」掛かるとのことのようだ。

燃料タンクがほぼ空になってから給油すると「2万円」掛かるのだろう。そのことを同じように「ニヒャクマン」と言ったこととなる。

さすが、ベンツの燃料タンクは大きいな!と感心しつつも、「1万」を「100万」、「2万」を「200万」と言う守叔父さんには参ってしまった。

「気温7.0度」を「気温70度」と言い、「1万」を「100万」と言う。

それぞれの「桁」を間違った表現は、冗談を言っているのではなく、単に間違っている事は明白であった。

数字の桁を間違える人が、本当に仕事ができるのだろうか?

ますます、守叔父さんが何の仕事をしているのかが疑問となった。

(つづく)