2022年2月16日水曜日

「泣けない人」その1

1、Mission.1 prologue

今更、社会に出て、自分が活躍する事になるなんて・・・。
引きこもり歴10年を超え、人生の一番脂の乗った時期を無駄に過ごした50代前半の私が、こんな事に引きり込まれる事になるとは、全くもって予想なんかできなかった。

その始まりは、何気なにげない、たった一本の電話だった。

母への電話だったのだが、なぜか、私に代わって欲しい様子だった。

母の弟、私から言うと叔父さんにあたる。名は五十路豊治(いすゞぶんじ)。少々、頭のお堅い、自称物理屋さん。私と比べて言うと、失礼かもしれないけど、物理好き位のおじさんなんだけどな・・・。以前、私がJEMSTACに勤務してた時、当時の理事長の出版した本を叔父さんへ貸したけど、まだ、戻ってこない。今度、遊びに行った時には、必ず取り返してやろう!と思っていた矢先の電話だった。

電話の主である豊治叔父さんは、東京の八王子在住。私の住処は、鹿児島県の霧島。
その距離の離れた所から、私へのリクエストは、なんと、母の7人兄弟姉妹の末っ子の叔父さんの様子伺い、所在確認、安否確認であった。住所は、東京の大田区。つまり、同じ都内在住の兄弟をなぜ、鹿児島の私が様子伺い・・・? 

その末っ子の叔父さんは、豊田守(とよた まもる)叔父様で、他の6人の兄弟姉妹とは、ちょっと異質で、頭の柔らかい人で、僕は、叔父さんと話すのが楽しかった。僕が、学生時代に、守叔父さんが中野に住んでいる頃に、叔父さん家に短期ではあるけど、居候した事もあった。 

外車好きな守叔父さんは、ベンツ、BMW、プジョーなどを歴々れきれき乗っていた。私との待ち合わせ場所に、颯爽さっそうとそれらの車で乗り付け、僕は恐る恐るその助手席、国産車で言うところの運転席側に乗り込む事がほとんどだった。 
ところかまわず、駐停車禁止であろうが、侵入禁止の場所であろうが、私の顔を見つけると側近そっきんまで車で乗り付ける姿には、呆気あっけに取られることが日常茶飯事にちじょうさはんじであった。 

でも、その颯爽とベンツで現れるおじさんの様子を伺う・・・?どう言う事だろうといぶかしがったが、引きこもりから若干だけ脱却した私にとっては、10数年ぶりの東京は魅力的で、二つ返事でその役を引き受けたのであった。 

 

(つづく)
 

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