2025年3月26日水曜日

「泣けない人(病院編)」 その9

 


9.上京八日目.9


「認知機能の問診」が続いた。

医師は、

 

「今日は、何曜日?」



と聞いた。 守叔父さんは、

 

「キョウハ、ゲツヨウビ、ダ・ヨ・ネ。」
(今日は、月曜日、だ・よ・ね。)



と、私の顔を見て、確認するような素振りをしながら答えた。 

守叔父さんは、「私と月曜日に病院へ行く。」という約束をして、この場にいる。

曜日感覚には問題ないと思っていたので、正しい答えが戻ってきて良かった。 

はじめての正答となった。

医師は、うなずくと続けて、

 

「(今日は、)何月何日?」



と質問した。

守叔父さんは、

 

「エーット、
ジュウニガツノ・・・。
チョット、マッテ、
ワカンナカッタ。」
(えーっと、
12月の・・・。
ちょっと、待って、
分かんなかった。)



と言って、胸ポケットからスマホを取り出した。まさか、「認知機能の問診」でカンニングしようとするとは・・・!

たしかに、守叔父さん本人は、健康診断として来院しているため、「認知症の検査」とは認識していないのだが・・・。 

医師は、守叔父さんがスマホで日付を確認するのだろうと察して、

 

「いいですよ。どうぞ、調べて!」



と、スマホを使う事をうながした。 

「認知機能の問診」において、スマホ利用などのカンニングはどのように評価されるのだろう・・・?

スマホを使えるかどうかも判断材料の一つなのかもしれないな・・・、とも考えた。

守叔父さんは、少しバツが悪そうにヘラヘラ笑った後、スマホのカレンダーを見ながら、

 

「ジュウニガツノ
ムイカ。」
(12月の6日)



と答えた。

医師は、拍子木を叩いたような感じの声で、

 

「はい、正解です!」



と言った。 カンニングOKのサービスにより、二つ目の正答となった。

続けて、医師は、

 

「ここは、なんてところですか?」



と質問した。 「病院」と答えるところだが、守叔父さんの口からは、

 

「・・・。」



数秒待ったが、言葉が出てこなかった。 

医師は、少し簡単な質問へと変更して、

 

「(ここは、)どんなところですか?」



と、質問し直した。


「病気を治すところ」などと答えるところを、守叔父さんは、

 

「ワカンナイ」
(分かんない)



と言った後、私を指差し、

 

「コノヒトカラ、
キタ、
ナニ?」
(この人から
来た、
何?)



と言った。 守叔父さんは、私が連れてきた場所だからという理由で、私に質問の答えを言わせようとしたようだ。 

「私と月曜日に病院へ行く。」という約束をしたのに、「病院」という言葉が出てこなかったのであった。

医師は、答えられないと判断し、次の質問に進んだ。

 

「今、あなたの住んでいるところの都道府県は?」


 

「トドウフケン?」


 

「何区に住んでいるのですか?」


 

「ナニク?」



と、医師の質問に対して、その言葉の語尾を上げた質問形式で守叔父さんは答えた。

「都道府県」「区」という言葉も理解できないようだ。

守叔父さんに会った初日、宿の住所をLINEで伝えたら、颯爽と宿の玄関前に迎えに来てくれたのに・・・。

「都道府県」「区」を理解できない人が、伝えた住所をどのように理解して、迎えに来たのだろう・・・?

(つづく)
 

2025年3月19日水曜日

「泣けない人(病院編)」 その8

 


8.上京八日目.8


「豊田守さん、お待たせいたしました。どうぞ!」


と看護師さんの声が聞こえた。

その声を待合室で聞いたであろう守叔父さんは、すぐに診察室に入ってきた。

診察室に入ってきた守叔父さんは、ニコニコの笑顔だった。

看護師さんに声をかけられただけで、気を良くしたのだろうか・・・?

ただ単に、人当たりが良いだけなのだろうか?

医師と正対しても、守叔父さんの表情は笑顔のままだった。

私ならば白衣を着た人に初めて会う際は、少し緊張した表情になると思うが、守叔父さんは変わらずに、ニコニコしていた。

 

「こんにちは。
はい、豊田さん、どうぞ。」



と医師が挨拶をして、着席をうながした。 続けて、

 

「今日、体のことを色々、
調べさせてもらってますから、
最後に、質問しますので、
質問に答えていただけますか?
よろしいですか?」



と言った。 早速、認知機能の問診がはじまるようだ。

 

「豊田守さん、今年って何年ですか?」



最初の質問は、西暦または元号の年数の質問であった。 当然、「今年は、2021年です。」または、「令和3年です。」と答える質問であるが・・・。 守叔父さんは、

 

「ロクジュウゴ
デスケド。
コトシハ・・・。」
(65ですけど。
今年は・・・。)



と、自分の年齢を答えてしまった。 最初の質問から誤答してしまった。

数日後に誕生日を迎える叔父さんは、もうすぐ66歳になる事を伝えようとしたが、

医師がその言葉をさえぎって、

 

「年齢じゃなくて、
今年は何年ですか?
今年って、年号!」



と再度、質問した。

すると、守叔父さんは、小さな声で、

 

「ワカンナイ。」
(分かんない。)



と言った。 そして、分からない事が恥ずかしいからなのか、少し、ヘラヘラした表情で、声を出して笑った。

医師は、質問を続けて、

 

「今の季節は?」



と質問した。 今日は12月6日、当然、「冬」が答えである。

守叔父さんは、

 

「キセツ?」
(季節?)



と語尾を上げて、疑問の返事をした。 「季節」が理解できないようだ。


医師が、確認のため、

 

「分からない?」



と言うと、守叔父さんは、うなずき、そして、首を横に振って「ワカラナイ」と意思表示した。 

2問続けての誤答となった。

私は、「季節」という言葉も理解できないんだ・・・。と残念な気持ちになった。

私は、守叔父さんが冬場であるにもかかわらず、駐車時、クルマのサンシェードを使っている事が不思議で、疑問であった。

そして、守叔父さんは、「季節」という言葉だけが分からないのではなく、「季節感」そのものも理解できないために、冬場にクルマのサンシェードを使っているのかもしれないと考えると納得できた。

(つづく)
 

2025年3月12日水曜日

「泣けない人(病院編)」 その7

 


7.上京八日目.7


医師は少し間をおいてから、ゆっくり話を始めた。

 

「この後、認知機能を調べますが、
もし、認知症などとしたら
『前頭側頭型認知症』の中の、
『陰性質認知症』という
意味や言葉が先行して分からなくなる
タイプ(の認知症)なんですけれども。

治療法って何にも無いんですよ。

異常な行動をする時に抑える精神薬と
抑制する薬しかなく、
その薬を使うかどうかは賛否両論あり、
使わなくちゃだめだ、いや、
使っちゃだめだかいう事で、
(治療として)認められた薬は無い。

 行動を制限する薬しか無く。」



医師は、苦笑いしながら、続けて、

 

「困っちゃう病気の一つですね。」



と言った。 

治療法が無く、改善の余地の無いとされる病気を診断することは医師にとって、辛い事だろうと察した。

いつから病気になっていたのだろうかという疑問が出てきたので、

 

「現在のこの脳の物理的な状態から
推察して、2年、3年前には
すでに病気がスタートしていたと
考えられますか?」



と質問した。

 

「そうです。少なくとも突然1年、2年位で
急になる(病気)ものではないので、
潜伏時期が相当あったと思います。

と言っても、誰がいつ、それ(認知症)を
見つけるかは(難しい)、
本人が自覚していないのだから・・・。」



この病気は年単位の時間を掛けてゆっくりと徐々に進行するものだと分かった。 今後も急に悪化するものではないのだろう。

たしかに、自覚症状のない病気は、本人が気付きにくく、周囲の人間も見つけにくいだろう。 

守叔父さんは、自覚症状がない。 脳に障害があることを自覚せずに生活をして、クルマの運転もしている・・・。

自覚症状のない病気は怖いな・・・。 

そして、私は、この数日間、ある意味で「棺おけ」に半分足を突っ込んだ状態で、守叔父さんとのドライブを楽しんでいたのだろうか・・・?と考えて、少し背筋がゾッとした。 

その恐怖心は、放心状態から我を取り戻すきっかけになった。

頭を少し振って、肩を少し動かして、その恐怖感を振りほどくと、「今、すべきことは何? と自問自答した。」

問診票の裏に書いたメモの事を思い出し、医師が、そのメモを見てくれたかどうかを確認していない事に気がついた。

 

「問診票の裏面に、

気付いた事をメモしたのですが、、、。」



と伝えた。

医師はメモに気付いていなかった様子だった。問診票を裏返して、メモを確認し、黙読しながら、

 

「”表”、”裏”、”右”、”左”が
分からないのは前頭側頭型認知症の
特徴的な症状です。

数字の単位や桁が分からないのも
そう(特徴的)なのです。」



と言った。

私の気付いた事は、それぞれ「前頭側頭型認知症」の症状に合致する様だ。

地域包括支援センターにて、指摘された通りであった。

一通り、メモを読み終えると、医師は納得した様に、うなずくように頭を一度下げ、その後、私の顔見てから、

 

「では、ご本人に入っていただきましょう。」



と言った。

そして、医師は看護師さんに

 

「ご本人を診察室に通してください。」



と伝えた。


(つづく)


【「陰性質認知症」とは、はじめて耳にする言葉であったため、当日は聞き逃していました。 そのため、言葉の意味を医師に尋ねる事はありませんでした。
認知症には、陽性と陰性と言われる症状がある様です。】
 

2025年3月5日水曜日

「泣けない人(病院編)」 その6

 

 


6.上京八日目.6

モニターに映るCT画像をスマホで撮影させて貰った。

この画像があれば、豊治叔父さん、めぐみ叔母さんへの守叔父さんの状況報告の一助となり、うまく伝えることができるだろう。

言葉で伝えることの難しい部分を、写真が代弁してくれることを期待する。

撮影後、医師が血液検査の書類を見ながら、

 

 

「血液検査では、
血液の中のカルシウムやリンなどの
栄養のバランスが若干悪いという
数値が出ています。

栄養状態があまり良くない。」



と指摘した。

守叔父さんの食生活は、朝食「あんぱん」、昼「カップ麵」、夜「冷凍食品」が繰り返されているようなので、炭水化物中心の食事であり栄養が偏って不健康なのは当然だろう。 

健康診断において、何らかの異常があってもおかしくはないだろうとは予期していたが、血液検査に出る程、長期に渡って不健康な食事を摂っていたという事なのだろうか?

「認知症」を発症したことによって、日常生活が単調となり、ルーチン化された不健康な食生活となっていたのか、ただただ不健康な食事を続けたために「認知症」となったのか・・・?

続いて、尿検査。

尿検査は特に異常なしとの事で、腎臓機能は問題なさそうだ。 

糖尿病を発症していないので、その部分については一安心できた。

CT検査、脳波検査によって、守叔父さんの脳には異常がある事がハッキリと分かったが、ここ数日間、守叔父さんの運転によるドライブを楽しんでいたのも事実である。

脳に明らかな異常が認められるのに、なぜ、クルマの運転ができるのだろうかと疑問が生まれた。

 

「クルマの運転は、、、。」



と医師に伝えると、

 

「(運転できる事が)不思議ですけど、、、。

ただ、信号の意味とか、赤とか方向とか、
表示による字の意味、もしかすると(意味)を
間違えているかもしれないので、
非常に大きな事故を起こすかもしれない
危険が有ります。

運転免許をどうやって取り上げるかは
別の次元の話しになりますけど。

運転して良いかと聞かれたら、
僕はダメですと言います。。

そう言わざるを得ません。

誰が(運転)止めるのか、、、。」



と言った。 私が期待した答えではなかったので、再度、質問を繰り返した。

 

「なぜ、運転ができたのですかね?」

 

医師は、検査結果の書類に目を通しながら、


 

「結構、運動神経は良いみたいで、
バランス(感覚)は良いですね。

脳の障害による平衡障害はありますね。

(しかし、)見かけのバランス(感覚)は良いですね。」



と答えた。

 

私は、バランス感覚が良いという理由だけで運転ができるとは考えないが、医師が「(運転できることが)不思議ですけど・・・。」と言った以上、不可解な事なのだろうと考え、運転ができる理由をこれ以上に深掘りすることはやめることにした。 

運転できる理由が分かっても、分からなくても、どちらにしても、今後、守叔父さんにクルマの運転をさせる訳にはいかないことに違いはないし・・・。

そして、今後、将来の対処方法を模索する方向へ思考を切り替えた。

 

「原因が分かってホッとした
気持ちはありますが、
今後をどう考えれば良いのか・・・・。」



と伝えると、医師は、

 

「脳の異変であることは事実です。」



と再度、念押しをされた。

医師のその言葉から、「治療方法は無い。」との言外の意味を読み取ったので、半ば諦めの心境になりつつ、無駄だとも考えたが、勘違いもあるかもしれないし、現代医学の進歩を信じて、

 

「今後の対処といいますが、
お薬とか・・・。」



と聞いてみた。 

残念ながら、医師はハッキリと、

 

「いや、(脳の)委縮を治す薬はありません。」



と断言したのだった。

その重たい言葉に対しては、

 

「なるほど」



と相づちを打つしかなかった。 現代医学が進歩していても、脳の再生医療はまだできないという事だ。

残念、、、。

私は、少し放心状態になっていた。

(つづく)