2022年4月27日水曜日

「泣けない人」その11

11、Mission.1 下準備(1) 情報収集9

めぐみ叔母さんとの会話について記す前に、守叔父さんの仕事について書こうと思う。

守叔父さんは、私の知る限り、複数の仕事を渡り歩いてきている。

私の知っている仕事は三つある。


一つ目は、ブローカー。

今から約30年前、ブローカーをしていた。
何のブローカーかと言うと、ボートやクルーザーなどの小型船舶の売買の仲介である。

それは、私が学生時代の話で、日本国内はバブル景気に沸いていた頃の話である。不動産投資によって巨万の富を得る人が増え、様々な高額商品が飛ぶようにたくさん売れた時期である。

守叔父さんは、それらの富を得た人と知り合いとなり、欲しがる船を探し、そして、売買の仲介をする事によって収入を得ていた。日本全国のマリーナを回ったり、日本国内では調達できない船の買い付けのため、アメリカへいく事も何度かあった。

クルーザーなどの値段や価値を知らなかった私にとって、その仲介手数料によってどのくらいの収入を得られるのか、全然想像の付かないものであった。

船主の要請で、船の維持管理や、船長の代行をすることもあり、それなりの収入があるようだった。

当時の守叔父さんは、日頃の足として外車を複数台所有していた。ミドルクラスのベンツとプジョー。外車に乗っているだけで、お金持ち!と思っていた私にとって、二台以上の外車を所有している事は驚きであり、相当な収入があるのだろう!と想像していた。

守叔父さんの所へ遊びに行くと、服を買ってもらったり、高級なお店で食事したりと、日頃できない様な経験をさせて貰った。

高級ホテルに車で乗りつけ、助手席のドアをドアマンが開けてくれる事を経験させて貰ったのも、守叔父さんによるものであった。

しかし、バブル景気は長く続かず、バブルがはじけ、景気が後退した。
ボートやクルーザーが簡単に売り買いされることは無くなり、守おじさんは、いつの間にか、船舶の売買からは離れていた。


二つ目は、販売代理店。

家庭用の「24時間風呂」の販売代理店である。

今現在、その存在を知るものは少ないかもしれない。

バブル崩壊により、急激に経済が低迷した頃。
24時間いつでも風呂に入れる!を謳い文句に、出てきた家庭用の循環式のお風呂の装置である。日本国内は、倹約生活のため、色々な知恵を出し、その中でも、省エネ、節水ができる装置として、24時間風呂は脚光を浴びつつあった。

一般家庭のお風呂に、後付けできるものであった。
本体から出た2本のパイプを湯船に差し込んで使うもので、装置の中には、フィルター、ヒーターなどが内蔵されており、湯船のお湯を循環しながら、浄化、殺菌、保温するものであった。宣伝として、テレビのCMでも流れる商品であった。

浄化、殺菌のおかげで、お湯の入れ替えは、一週間に一度からひと月に一度位でよく、節水には非常に効果のあるモノであった。また、その間の風呂掃除も不要と言う事であり、販売開始当初は、それなりに売り上げの上がる商品であった。

私の知人でも、自宅に導入した人が出始めた頃、社会問題が起こり、24時間風呂は、その後、廃れていく事となった。

その社会問題とは、「レジオネラ菌による肺炎」であった。

銭湯などの温浴施設において、レジオネラ菌の集団感染が起こり、その肺炎で高齢者が亡くなる事があった。テレビのニュースや新聞で、循環式の風呂がその原因であり、連日、危険性を指摘する情報で溢れた時期があった。

その結果、24時間風呂は、売り上げが一挙に下がる事となり、叔父さんはその事業から撤退する事となった。


三つめは、運送業。

運送会社に務める事となり、トラックの配車などをやりつつ、営業活動を行うようになっていた。私と最後に会った頃の仕事である。

その運送会社に10年近く勤めていた。
運送業と一口で言っても、その業種は多岐に分かれる。車の大きさも色々あり、運ぶ荷物も色々である。また、送り主、送り元、受取人、受取先も色々である。

守叔父さんなりに、その10年の間で、ニッチな仕事を探し出し、それなりの人脈を見つける事にうまくいき、その後、独立し、自分で運送業をやることになったようだ。

事業を開始したのは、約10年前の事で、守叔父さんが自分で会社をはじめていたことは、
私は全然知らなかった。

その頃は、私自身が引きこもっていた時期だったからだ。

(つづく)
 

0 件のコメント:

コメントを投稿