2024年12月18日水曜日

「泣けない人」その128

 


128 、上京六日目.9

横浜大さん橋の駐車場にクルマを駐め、屋上広場を目指した。

大さん橋は、1階全体が駐車場であり、2階は桟橋としての機能のみならずレストランやカフェ、お土産ショップ、イベントができる大ホールなどがある。 屋上は広大なウッドデッキ広場になっており、横浜港を一望できる施設である。

開業して20年程経つが、駐車場の天井の意匠にもこだわりのあるデザインであり、そのデザインは近未来的だと感じた。

クルマを降りた守叔父さんは、行き先を見定めるために周りを見渡した後、すぐに歩きはじめた。

守叔父さんの歩く方向の先には、ガラスで囲まれた部屋のような物が見え、一見すると喫煙場所のように見えた。

近づくと、周囲の四面はガラスで囲まれているものの、上面には何もなく空いていたため喫煙場所でないことは分かった。

押しボタンがあり、守叔父さんがそのボタンを押すと、自動ドアがスーッと開いた。





その開き方はエレベーターのような動きであったが、天井のないガラスのケージであり、私はその中に入るのを躊躇した。 

 

「これで、行くの?大丈夫?」



と伝えると、守叔父さんは笑い声とともに、

 

「ダイジョウブ」
(大丈夫)



と言った。 守叔父さんが中に入ったので、不安ながらも私も一緒に入った。

上方向には支柱などが全く無いため、下階に行くためのエレベーターなのだろうか・・・?

扉が完全に閉まると、予想に反して上方に動き始めたことに驚いた。

ガラスが3面のシースルーのケージでできたエレベーターには乗ったことがあったが、床面以外の5面がシースルーのエレベーターがあることを知らなかった。

360度周囲が見える状況で、上昇するとは思いもしなかった。

真上を見ると、エレベータの真上の天井には四角い穴があり、その部分にエレベータのケージが入り込むことが理解できた。

しかし、実際には天井にどんどん近づくと、本当にその穴に入るのか少し不安を感じて首をすくめてしまった。

私の心配は不要で、エレベーターは無事に2階に到着した。

私は不安によって心臓がドキドキしていたが、エレベーターから無事に降りると、柱や吊りケーブルの無いエレベーターがどのような機構で上下しているのか興味が湧き興奮していた。そして、 私は思わず、

 

「凄い、エレベーターだね!
こんなエレベーターに乗ったのはじめてだよ!」 



と守叔父さんに伝えた。 守叔父さんは私の興奮した様子を見て、満足そうな顔をして、

 

「スゴイ デショ!」
(凄い でしょ!)



と言った。

私はその近未来的なエレベーターに魅了されていた。 単なる桟橋観光ではなく、近未来的な乗り物に乗ったような感覚が経験ができたことが嬉しかった。

2階から屋上へは、なだらかなスロープを歩き移動した。 床面がすべて木製でできており、柔らかな踏み心地が良かった。

近未来的なガラスのエレベーターとウッドデッキというある意味古式のモノとのバランスが絶妙だと感じた。

守叔父さんがお気に入りの場所の一つなのだろうと思えた。

屋上広場から360度の横浜港を見渡すと、変わった船型の船がたくさん停泊しており、世界的な国際港だなとあらためて感じた。

(つづく)
 

2024年12月4日水曜日

「泣けない人」その127

 


127 、上京六日目.8

駐車場からクルマを出し、移動を開始した。

守叔父さんが、

 

「ドコ、イク?」
(どこ、行く?)



と聞いてきた。

私は守叔父さんが病院へ行く事を受け入れてくれた事と飛行機の写真をたくさん撮影できたことの二つの大きな収穫に満足していた。

そのため、すぐには、やりたい事や行きたい所を思いつきそうになかったので、

 

「叔父さんの行きたい所に
行こう!」



と返事を返した。


守叔父さんは、少し考えた後、

 

「OK!」



と言った。 さて、どこに行くのだろう? また、りりぃさんとの思い出のある場所に行くのだろうか・・・?

ボウリング場のある交差点を左折して、産業道路(東京都道・神奈川県道6号東京大師横浜線)を南下しはじめた。

また、横浜方面へ行くようだ。

ランドマークタワーに行った時と同じルートを進んでいた。

しばらくして、大きな音量でカーラジオが流れている中、確認しなければならない事を思いだした。

守叔父さんは、「健康保険証」を持っているのだろうか?

 

「叔父さん、健康保険証って持ってるの?」



と聞いてみた。

 

「エッ、ナニ?」
(えっ、何?)



と分からないようだった。 再度、

 

「健康保険証、保険証、
病院に行くときに使うこんなやつ」



とジェスチャーでカードであることを伝えると、うなずいて理解したような表情であった。 しかし、口から出てきた言葉は、

 

「メンキョショウ、モッテイキマス。」
(免許証、持っていきます。)



であった。「健康保険証」の事を「免許証」と間違って言ったのだろう。

運転中のため、保険証の有無は後ほど再確認が必要だろうが、私の直感では守叔父さんは健康保険証を所持しているように感じた。
 





大黒ジャンクションをグルっと回り、横浜ベイブリッジを渡ったが、遠方の視界が悪く、富士山は見えなかった。

本牧ふ頭を通過して、山下公園を右手に見ながらクルマを進めた。

山下公園を過ぎて一つ目の交差点を右折し、前回とは違うルートを進みはじめた。

そのまま直進し続けると、横浜港大さん橋国際旅客ターミナルであった。

守叔父さんは躊躇することなく、ターミナルへクルマを進めた。

私は知らなかったが、ターミナル内に駐車場があるようだ。

ココも、守叔父さんの行きつけの場所のようだ。

 

「リリィチャント、
ココキタ。」
(りりぃちゃんと、
ここ来た。)



との事、私の予想した通り、りりぃさんとの思い出の場所巡りであった。

土曜日であったが、すんなりと駐車場にクルマを駐めることができた。

(つづく)
 

2024年11月27日水曜日

「泣けない人」その126

 

126 、上京六日目.7


浮島町公園の最寄りの駐車場は、高速道路浮島入口の手前の交差点を右折するとすぐ見つかった。

駐車料金は4時間で千円であり、公園でのんびりできる料金であった。

駐車場を出て公園へ向かい歩み始めると、すぐに飛行機の到来があったため、私と守叔父さんは、

 

「ウヮー、キター!」
(うゎー、来たー!)

 


「うゎー、来たー!」




と、ともに声を挙げることになった。

100メートル程歩き、交差点の横断歩道を渡ると浮島町公園の入口に到着した。

入口の看板には、「海風の森 川崎区市民健康の森(浮島町公園)」と記されていた。

公園の入口付近は木が多く立ち並んでおり、視界が悪かったが、歩み進めるとすぐに広々とした光景にたどり着いた。

多摩川河口から東京湾に海が広がり、その水景の先に羽田空港が見えた。



守叔父さんは歩きながら、

 

「キタ、キター!
マタ、キター!」
(来た、来たー!
また、来たー!)



と何度も何度も、遠くを指差して興奮していた。

目を凝らして、その指先の指す方を見ると、着陸態勢の飛行機が複数近づいているのを見つけることができた。

よく見ると、ほぼ同時に着陸するような接近であった。
 
羽田空港には4つの滑走路があり、平行する滑走路があるため、同時に着陸することができるようだ。

機体がどんどん近づき、最接近した後、少し離れたところで着陸する様子が見られた。

私はカメラを取り出し、飛行機の撮影を始めた。

次から次に飛来するそれぞれの機体を狙って撮影した。

飛来する飛行機が途切れた時に、撮影したものを見直していると、同じフレームに別の機体が写り込んでいるものがみつかった。



駐機中の飛行機ならば同じフレームにたくさんの飛行機を入れて撮影することができるが、一枚の写真に飛んでいる飛行機を複数機入れることは難しいだろう。

たまたま運よく撮影されたものではあったが、私にとって初めての経験であったため、内心非常に興奮していた。



複数機写っているのを見つけて以来、意識して同じフレームに複数の機体を入れて撮影することにチャレンジしはじめた。

そのチャレンジに集中し、完全に自分の世界に入り込み、撮影に集中する時間が続いた。

そして、遂に同時に「3機」飛行している写真を撮影することができた。



心の中で「やったー!」と叫んでいるときに、守叔父さんの「カエロウ!(帰ろう!)」という言葉が耳に入ってきた。

すでに、写真を撮影しはじめてから1時間が経過していた。

「同時に3機」の撮影ができたことにより満足できたので、素直に「帰ろう!」と相づちをうった。

守叔父さんもたくさんの飛行機を見ることができて満足できたようで、

 

「スゴイネ!、スゴカッタネ!」
(凄いね!、凄かったね!)



と言った。

(つづく)
 

2024年11月20日水曜日

「泣けない人」その125

 

125 、上京六日目.6

産業道路(国道131号線)を南下して、浮島町公園に向かっている。公園は宿から7km位の道のりであり、クルマならば15分程度で行ける場所である。

月曜日に病院へ行くためには、守叔父さんの予定を聞かなければならない。

今日の目標は、守叔父さんの月曜日の予定を聞き出し、予定がある場合は、その予定を別日に変更可能かどうかを確認しなければならない。

守叔父さんの運転中の状態で、月曜日(明後日)の予定を聞いてみた。

すると、

 

「ゲツヨウビ、オレ、
マタ、イカナイトイケナイ。」
(月曜日、俺、
また、行かないといけない。)



と言った。 今朝、行ってきたと言う「カイロ」に月曜日も行くのだろうか?

仕事は、火曜日〜金曜日と言っていたので、仕事ではないだろう。

 

「何時に行くの?」



と聞くと、
 

「クジカラクジハン。」
(9時から9時半。)


と返事が返ってきた。 用事自体は30分程度の用事なのだろう。

 

「あのさ、守叔父さん、
腕の事、気にしてたでしょ。」



と伝えた。

 

「ナニガ? ワカンナイ。」
(何が? 分かんない。)

 

 

と返事が戻ってきた。 守叔父さんの腕の「シミ」辺りを指差して、

 

「ココを気にしてたでしょ!」



と伝えた。 すると、

 

「アア、ココネ!」
(ああ、ココね!)



と思い出してくれた。

 

「どうしたら、治せるか調べてみたんだよね!
そうしたら、いいところが見つかったんだよね!
叔父さんの家の近くで相談に乗ってくれる
ところが見つかったんだよね!
月曜日の朝9時に行けばね。」



と伝えた。しかし、イマイチ、運転中の叔父さんは私の言葉をうまく理解できていないようだった。つづけて、

 

「そこの先生が、すごく良く話を
聞いてくれるみたいなので、
相談してみたら良いよ。
健康診断も受けてないでしょ。
健康診断受けたら、
どうやったらそれを治せるか、
分かるみたいだよ。」



と伝えた。すると、

 

「ゼーンブ、ヤルト
ワカルンダ!」
(全部、やると
分かるんだ!)



と私の話を理解してくれたようだった。 続けて、

 

「カラダガドンドン、
ヨクナルンダ!」
(体がどんどん、
良くなるんだ!)



と前向きな言葉が返ってきたので、

 

「叔父さんが良ければ、
行ってみない?」




と伝えると、

 

「クジカラジュウジハダメダケド、
ジュウジカラナライイヨ。」
(9時から10時はダメだけど、
10時からなら良いよ。)



と返事が返ってきた。 病院の予約は9時ではあるが、遅れても大丈夫ですと言われているので、問題はないだろう。 

 

「では、10時に行ってみようね!」



と伝え、それ以上は念押ししなかった。

その時、ちょうど、浮島町公園に到着した。

(つづく)
 

2024年11月6日水曜日

「泣けない人」その124

 


124 、上京六日目.5

豊治叔父さんからのメッセージによって、疑問が増えたが、会社のトラブル云々の前に、ともかく、病院へ連れていく事が最優先である。

2年前に、守叔父さんの意思が強くて病院へ行かなかったとするならば、今回も病院へ行く事は難しいことになることも予想される。

私より歩くのが早く、体力もある守叔父さんを無理やり病院へ連れて行く事はできないだろう。 

守叔父さんの意思を変えて、病院へ行かせるしかない。そのためには時間がかかることになるかもしれない。 少しだけ、言い訳的なメッセージを豊治叔父さんへ送信することにした。 

 

「自分が若く見える事が、現在の守叔
父さまの自尊心を守っている状況で
す。そのプライドを傷つけると、一
挙に老け込んでしまうのではないか
と心配しており、なるべく、傷つか
ない状況を作れることを希望して行
動しているので、少し、まどろっこ
しく感じるかもしれませんが、ご容
赦くださいませ。 脳の話しは、豊
治叔父さまからの連絡分は、良く理
解しております。 認知に関して
も、以前1年前、グループホームで
働いた経験が役に立っています。」
2021/12/04 10:19



送信したのち、時刻を確認すると守叔父さんとの待ち合わせ時間の10分前であった。

慌てて外出の準備をしていると、守叔父さんから電話が掛かってきた。

電話にでると、守叔父さんはすでに私の宿の前に到着しているとの事。

急いで部屋を出ることになった。

さて、今日はどこに行くのだろう・・・?

1階に降りると、フロントの正面にシルバーの守叔父さんのクルマが停まっていた。

私は、大きめな声で
 

「おはようございます!
待たせてごめんなさい。」



と声をかけたあと、クルマに乗り込んだ。

守叔父さんは笑顔で、
 

「イヤネ、ムコウカラネ、
キョウ、ニチヨウビダッタカラ、
クルマガゼンゼン、
アレナイカラ、ハヤカッタ。」
(いやね、向こうから、
今日、日曜日だから、
クルマが全然、
あれ無いから早かった。)


と言った。 交通渋滞が無かったから早く着いたという事だろう。

私が「そうだったんだ。」と相づちを打つと、すぐに、
 

「ドコイク?」
(どこ行く?)


と私に聞いてきた。 私の行きたい所に、連れて行ってくれるようだ。

私はすぐに、行きたい所「浮島町公園」を思いついた。

3日前に「浮島町公園」の近くまで連れて行って貰ったけれど、駐車場が分からずに行けなかった場所である。 

再度調べると、駐車場が近くにあることが分かっていた。

「浮島町公園」と言っても伝わらないと思い、

 

「ボウリング場の交差点を左に行くところ、
駐車場があるみたい!
飛行機を見に行こう!」


と伝えると、

 

「アア、アソコ、
ワカッタ。」
(ああ、あそこ、
分かった。)


と、すぐに行き先を理解して、クルマを発進してくれた。

(つづく)

2024年10月30日水曜日

「泣けない人」その123

 


123 、上京六日目.4

守叔父さんを病院へ連れていくアイデアを思いついたので、豊治叔父さんへメッセージを送ることにした。

 

 

「MRIなどの用語は、一切話してませ
ん。 一般的なことであっても、一
度決めたことを覆せません。 私の
行きたいところへつれていくと言い
ながら、守叔父さんが行きたい所へ
行く状況です。 コントロールが難
しいので、 本人の意思を病院に向
かせる事は、 骨がおれそうです。
本人が興味のあるシミの手入れを取
っ掛かりにすることが良策だとおも
っています。 最善ではないですけ
どね。」
2021/12/04 09:32



続けて、

 

「本人の口から、”嫌だ”の言葉が、一
度でも出たら、ゲームオーバーの様
子です。」
2021/12/04 09:39



とメッセージを送信した。  すると、すぐに豊治叔父さんからの返事が届いた。

 

「時間を要してもそれなりの歳なん
だから気にしない方が良い』を繰り
返し話しかけたらいいかもしれませ
ん。 手のシミとはどんなものです
か?」
2021/12/04 09:40



私は、豊治叔父さんからの返事を読み、少しだけ苛立ちを感じた。

なぜならば、どうすれば、守叔父さんの意思を「病院へ行く。」に変えるかが「鍵(キー)」となり、私はその事に集中して考えているのにもかかわらず、「手のシミ」そのものに豊治叔父さんが興味を持ったからだ。

私は、「手のシミ」には興味なく、対処する事を考えていないし、治療することなど全く考えてもいない。 ただ単に、「病院へ行く。」と意思を変えるために、「手のシミの悩み」を利用しようと考えているだけなのである。 

遠まわしではあるが、私の考えを伝えるために、メッセージを送信した。

 

「歳とると、誰にでもある。私にもあ
るチョッとした、ほくろの大きめの
ものを 非常に気にしています。 直
したいけど、どうすれば良いのか分
からないと。 私に直し方を相談し
てきましたので、 病院へ行く口実
には丁度良いと考えてます。」
2021/12/04 09:46



しばらくして、豊治叔父さんから返事が届いた。


「『なぜ?』を本人から言える状況を
作ることしか無いでしょうね。 本
人はMRI検査の受けて認知症だと診
断されたらお終いだと意識の奥にあ
るのでしょう。2年前から現在では
時間を経た分、悪化している可能性
が高いのです。 どんな口実でも良
いのです。病院に連れて行って下さ
い。」
 2021/12/04 09:49



豊治叔父さんからのメッセージを読み、私の頭は混乱した。

「『なぜ?』を本人から言える状況を作ることしか無いでしょうね。」とは、どういう事だろう?

「なぜ、私は病院へ行かなければならないのか?」と守叔父さん本人に考えさせる状況を作ることなのだろうか?

イマイチ、言葉の意味を理解できなかったので、読み飛ばすことにした。

続く文章、「本人はMRI検査の受けて認知症だと診断されたらお終いだと意識の奥にあるのでしょう。2年前から現在では時間を経た分、悪化している可能性が高いのです。」と書かれていることに疑問を持った。

守叔父さん本人は、2年前、認知症の自覚症状があったのだろうか?

仮に、2年前、守叔父さんに認知症の自覚症状がなく、自分の脳に「自信」があったとするならば、認知症の検査を自ら進んで受けただろう。そして、脳が「正常」であることを証明すれば、安西さんとの会社でのトラブルは起きなかったのではないだろうか?

逆に、認知症の自覚症状があった場合、その原因を調べ、治療するために、検査を自主的に受けるのではないだろうか?

豊治叔父さんのいうところの、守叔父さんが「無知」だから、検査を受けないと言う選択肢があったのだろうか?

いずれにせよ、脳の検査を2年前に受けるべきであったと考えられる。 と言うか、2年前に脳の検査を受けているのではないか?とすら疑って考えた。

「守叔父がMRIを嫌がるのは安西が守叔父に『認知症だ痴呆症だ』MRI検査をすれば分かります。と反論してるせいでは無いかと思います。」という言葉があったが、安西さんは、すでにMRI検査でなくCT検査を守叔父さんに受けさせていて、脳に障害があることが分かっているのではないかとも考えることができた。

豊治叔父さんは、どれだけ弟の守叔父さんの現在の状況を正しく理解しているのだろうか?

そして、2年前の状況をどれだけ、正しく理解していただろうかと、疑問になった。

守叔父さんが認知症であると仮定すると、その守叔父さんの発した言葉は、信頼に値するものとはならない。

2年前の当時の守叔父さんの言葉を、豊治叔父さんは鵜呑みにしているだけではないかと私は考え始めていた。

そして、「2年前から現在では時間を経た分、悪化している可能性が高いのです。」と書かれているという事は、豊治叔父さんは、守叔父さんが脳障害を伴う認知症であると考えているという事なのだろう。

先ほどは、「ストレス障害では無いかと思います。」と豊治叔父さんは書いていたが、ストレス障害ならば精神的なものであり、CT/MRI検査では「正常」という結果がでるのだろうと考える。

豊治叔父さんの考えていること自体も矛盾しているように思い、困惑した。

そして、安西さんは、2年前に何と言っていたのだろうかと気になった。

豊治叔父さんは、安西さんと直接会話した事があったのだろうか・・・?

もし、当時、守叔父さんの話だけを聞いて、安西さんと会話していなければ、正しい情報は
得られなかっただろう。

トラブルが起きたとき、当事者の片方からだけ話を聞いても、そのトラブルを解決はできない。

豊治叔父さんは、「俺が弁護士を雇ってトラブルを解決した。」と言っていたが、2年前のトラブルは本当に解決できているのだろうか・・・?

(つづく)
 

2024年10月23日水曜日

「泣けない人」その122

 


122 、上京六日目.3

しばらくして、豊治叔父さんからメッセージが届いた。

 

「私の推測では家に灯りを消して閉じ
こもる様子から見て、2年ものコロ
ナ禍の自粛ムードで何処の弁護士や
警察など公的機関の腰の引けた対応
や安西等の強弁で自分を信じて貰え
ない悔しさ等のストレス障害では無
いかと思います。 兎に角、心療内
科に連れて行って下さい。そこから
最新MRI設備の有る大学病院で精密
検査して貰えるように誘導して下さ
るようお願いします。」
2021/12/04 08:49



豊治叔父さんは、守叔父さんの現状はストレス障害によるものであり、認知症ではないと考えているようだ。

たしかに、ストレス障害の可能性もあるだろうし、その場合は治療が可能かもしれない。

社会福祉士の栗山さんから教えていただいた「前頭側頭型認知症」の可能性についてメッセージを書こうとも考えたが、推察の範囲であり説明に手間もかかるので、やめることにした。

いずれにしても、病院へ行き、検査を受ければ分かることだろう。

豊治叔父さんのメッセージに対して、返事をせずにいたら、続けてメッセージが届いた。

 

「守叔父がMRIを嫌がるのは安西が守
叔父に「認知症だ痴呆症だ」MRI検
査をすれば分かります。と反論して
るせいでは無いかと思います。しか
し、アミロイドβが多少有っても必
ずしも「全てが認知症」とは言えま
せん。個人差が有るからです。歳を
重ねれば、誰でもアミロイドβが脳
内に発生しているからです。むし
ろ、安西が周りに「守叔父は認知症
だ」と仕掛けた時にさっさと診断を
受けていれば問題無かったハズで
す。無知と恐れが有ったのでしょ
う。 自分から調べれるのを怠った
ので現在が有るのです。全てストレ
スでしょう。」
2021/12/04 09:19



豊治叔父さんはストレスが原因というけれど、極度のストレスによって言葉が理解できなくなるほどの人が、クルマを上手に運転できるのだろうか・・・?

『安西が周りに「守叔父は認知症だ」と仕掛けた時』とは、安西さんと守叔父さんの間でトラブルがあったときの事だろう。

トラブルとは、守叔父さんの会社を安西さんが乗っ取るかどうかの話だったと思うけれど、会社を乗っ取るために、社長(守叔父さん)を認知症に認定して何の得な話があるのだろう?

従業員は数人の運送会社である。 会社の規模(売上など)を考えると、乗っ取る価値のある会社ではないだろう。

わざわざ、守叔父さんを認知症に仕立て上げて、会社の経営権を奪ったところで、儲けがでるわけでもない。

トラブルがあった時には、すでに認知症を患っていて、認知症のために、会社でトラブルが起こっていたと考える方が自然だと思われる。

安西さんは、単に守叔父さんの認知症を疑い、その検査を受けて欲しかっただけなのではないだろうか?

とにかく、病院へ行き検査することが最大の課題である。

当時、病院へ行けず、MRIを嫌がったのならば今回も無理なのではなかろうか・・・。

などと、考えていると、ふと、思い出したことがあった。

看護師さんのアドバイスとして、守叔父さんが体の事で、困っている事を見つけてくださいとの事。

そして、守叔父さんが困っているだろうことを思い出した。

それは、腕の辺りを気にしている事だった。

昨日、シャツの右腕をまくり上げて、腕にあるシミを気に掛けていたのだった。

年齢とともに、誰にでもできるシミのようであったが、そのシミを消したいと訴えていた。

守叔父さんは、自分を若くみせることに余念がない。

「病院へ行けば、消すことができるよ。」と守叔父さんへ伝えれば、病院へ行くと言ってくれるかもしれない。

(つづく)
 

2024年10月16日水曜日

「泣けない人」その121


 

121 、上京六日目.2


守叔父さんは、10時30分に迎えにきてくれるようだ。

しかし、守叔父さんの言う「カイロ」が、本当に「カイロプラクティック」などの整体なのか確認が必要と考えた。 

そのため、守叔父さんに電話をかけた。

 

「カイロは、どこへ行く?」



と聞いてみたが、

 

「ワカラナイ。」
(分からない。)


との返事が返ってきた。

 

「その治療院の名前は?」



と聞いても、

 

「ワカラナイ。」
(分からない。)



との返事が返ってきた。

 

「場所は、どこなの?」


 

「バショ・・・? 
ワカラナイ」



との返事。口癖のように「ワカラナイ」と言われてしまった。
電話によるコミュニケーションでは、治療院の名前、場所ともに聞き出すことはできないようだ。せめて、近場なのか、遠いところにあるのかくらいは確認できれば良いと思い、


 

「家から近いところにあるの?」



と聞いてみた。すると、

 

「チカイトコロ、アルイテイク。」
(近い所、歩いていく。)



との返事であった。 守叔父さんの家から歩いていける範囲内に治療院があることは分かった。守叔父さんは続けて、

 

「オワッタラ、
ジュウジハンニ、イク、
ダイジョウブ。
ジャアネ。」
(終わったら、
10時半に行く、
大丈夫。
じゃあね。」



と言って、たいした情報を得られずに電話を切られてしまった。

 





現在の時刻は午前7時半。

守叔父さんが迎えに来るまでには3時間ある。

時間に余裕があるので、豊治叔父さんへ、連絡を入れることにした。

守叔父さんから銀行の通帳を見せて貰う方法を、豊治叔父さんも考えているかもしれない。

マイク叔父さんからナイスなアイデアをすでに貰っているので、考えることは不要であると伝えたかったからだ。

 
 

「豊治叔父さま おはようございま
す。甘太郎です。今朝は、朝駆け失
敗。 しかし、10:30くらいに
迎えに来てくれるとの事で、
(守叔父さんと)行動を共にします。
マイク叔父さまのアイデアで、
安西さんに騙された事を確認するとの
口実をもとに、銀行の通帳を
見られれば良いなと考えています。 
そして、健康診断と称して、
CT検査などを受けて貰うように
説得したいと思います。
うまく行くと祈念し、
行動したいと思います。ちなみに、
昨日、一度だけ、守叔父さんが
”富士山”と口にし ました。(^_^)/
日頃の日常会話不足が原因であった
のかもしれませんね。チョッとずつ、
会話すれば、良くなる可能性があるかも
しれません。期待しましょう。」
2021/12/04 07:54



豊治叔父さんからすぐに、返事が返ってきた。

 

「ありがとう。家賃や光熱費を支払っ
ている口座を確認させて貰うのが手
っ取り早いと思います。入金も確認
出来るハズです。」
2021/12/04 07:59



豊治叔父さんの返事は、守叔父さんに通帳をみせて貰う方法のアイデアではなく、その先の話であった。

手順としては、通帳の内容をみることによって、その口座が何に使われているかどうかがわかることになるだろう。

必要な情報がその通帳になければ、別の口座の通帳をみせてもらえば良いことである。

なぜなら、守叔父さんに対して、「家賃や光熱費を支払っている口座の通帳を教えて」と聞いても「ワカラナイ」が戻ってくることは容易に推測できるからだ。

その前に、
 

「ツウチョウッテ、ナニ?(通帳って、何?)」

 

「ワカラナイ」


と言われる可能性もあるだろう。 その場合、通帳のありかを探さなければならないだろう・・・。

(つづく)
 

2024年10月2日水曜日

「泣けない人」その120


 

120 、上京六日目.1


スマホの音で目が覚めた。

確認するとLINEのメッセージが届いていた。

めぐみ叔母さんからのものだった。

 

「甘さん、ありがとう。
今、帰りの飛行機の中で離陸を待ってます。」

2021/12/4(土) 4:28



「飛行機での移動中は連絡がとれませんよ。」との意味だろうから、単純な返事で良いだろうと考えた。

それにしても、早朝4時過ぎ、少し早いな・・・。と思ったけれど、昨晩、私も同じ事をめぐみ叔母さんへやってるしな・・・。

お互い様だな・・・と思いながら送信した。


 

「はーい(OKサインのスタンプを添えて)」
2021/12/4(土) 4:29




そのまま、二度寝をしようとしているところに、再度メッセージが届いた。

そこには、ひとつのアイデアが書かれていた。

めぐみ叔母さんの夫であるマイク叔父さんによるものであった。

メッセージは、

 

「マイク曰く、
守さんに
『安西さんがお金を盗んだかどうかを
調べてあげるから通帳を見せて』
と言えば良い。。。と。」

2021/12/4(土) 4:31


であった。

私は半分寝ぼけた頭の状態であったが、そのアイデアが良いことはすぐに理解できた。

感謝の返事を送ろうとしていると、続けてメッセージが届いた。

 

「いかがですか?」
2021/12/4(土) 4:31



こちらが考える間もなく、催促のメッセージが届き、早いなと・・・、と思いつつ。
返信した。

 

「そうですね!
ナイスアイデア、
ありがとうございます。」

2021/12/4(土) 4:32



続けて、クマさんがお辞儀をする動画スタンプを送信した。

 

(クマさんがお辞儀するスタンプ)

2021/12/4(土) 4:33



マイク叔父さんが、いつアイデアを考えついたのかは分からないが、めぐみ叔母さんは、少しでも早く私に伝えたかったのだろう!

かつ、私の睡眠を邪魔しないギリギリのタイミングを見計らって、飛行機の離陸前の短いタイミングに、急いで送信してくれたのだろう!

その配慮に感謝しつつ、通帳を見るアイデアを手に入れた事により、ひと安心できたので、もう少し寝る事にした。

 





二度寝の後、7時過ぎに目が覚めた。

6時位に自然に起きることができれば、朝駆けに行こうと考えていたが、すでに1時間過ぎていた。

朝駆けは断念し、守叔父さんへメッセージを送る事にした。

 

「守叔父さま
おはようございます。 
甘太郎です。
何時に、お出かけですか?
もし、良ければ、
送って欲しいところがあります☀
わがまま言って、ごめんなさい。
いかがでしょうか?」

2021/12/4(土) 7:16 



続けて、

 

「行き先は、浮島町公園です。 
おじさんが、無理なら、
歩いて行こうと思います(^_^)/」

2021/12/4(土) 7:19



しばらくして、メッセージが返ってきた。


「カイロに、行きます。」
2021/12/4(土) 7:31


続けて、


「大丈夫🙆♂
10時30分には、行きます。」

2021/12/4(土) 7:32


というメッセージであった。


「カイロ」とは、首や肩の調子が悪く、毎週通っていると言っていた「カイロプラクティック」のことであろう。

治療の後に、宿に迎えに来てくれるのだろう。

(つづく)
 

2024年9月25日水曜日

「泣けない人」その119


 

119 、上京五日目.16

病院からの帰路、暗い街中を宿に向かって歩いている。

当然、足元は暗かったが、私の心中は明るかった。

今日一日で、いろいろな事が前進し、「暗中模索」の状態から抜け出せつつあるように感じていたからだ。

宿に到着すると、すぐに、豊治叔父さんや、めぐみ叔母さんへの連絡のためのテキストメモを作成することにした。

豊治叔父さんには、ショートメッセージで送信しなければならないので、文字数に制限がある。

すべての文書を書き終えた後、適当に分割すると、7つのメッセージになった。

それぞれ、7回コピー&ペースト&送信を繰り返した。

 





(以下、豊治叔父さんへ送信したメッセージ。)

#1 今朝、「夜討ち朝駆け」の朝駆けに成功しました。三度目の正直。3日目の朝! 守叔父の出社前に、自宅訪問。5時50分。 部屋の灯りがついておらず、すでに出社で不在かな?とも思いましたが、まず、メール送信。返信なし。念のため、玄関ピンポンを押し、少々待ってたところ、 ガサガサとの音がし、玄関が開きました。起きていたとは言うものの、部屋の灯は全くついておらず、暗い部屋でした。

#2 暗い状況で、招き入れられ、チョッと気味悪かったのですが、直後、ダイニングキッチンの灯りを点灯して貰い、様子を伺うことができました。 独身の1人住まいとして、 特に変な所は見当たらないな・・・。と、その時は、思いましたが、このメールを書いている間 に、郵便物が何も無かったことを思い出しました。ゴミに捨ててあったかどうか? ビデオに写っているか否か再確認します。 

#3 そして、昨日12/2の別れる際は、仕事だと言っていたのに、今朝12/3には、仕事がキャンセルになったとの事。昨日12/2の朝の仕事の終わりに、今日12/3の仕事はお休みだと聞いていたとの事。昨日の言葉と食い違うため、何度も、本当に今日の仕事は無くなったのか? いつ、その事を会社の人から聞いたのか?と聞いて、昨日の仕事の終わりに。との答え。ならば、昨日に私に、明日、終日仕事です。と言ったのは間違っていた・・・?と言うことになります。本当に仕事しているのか否かが理解しづらくなってます。部屋の中を、それぞれ見せて貰いました。郵便物の件以外は、特に問題なさそうです。 

#4- 部屋を見せていただいた後、行きたいところあるか?と聞かれ、出かけることになり、ガソリンスタンド、上野公園、城南島海浜公園、中華街、山下公園へ連れて行って頂きました。クルマのガソリン充填時、半分減ると入れる。半分追加すると100万かからない。・・・・? 全部減ってから入れると200万かかるって???。実際は、半分入れて、40リットルで7千円位。おそらく、一万円を百万円。 二万円を二百万円と言っているようです。今朝の気温が七十五度・・・? 実際は、7.5°C(車のインパネに表示されている外気温)。 

#5 今日も、行き先で地名なし。上野の西郷さんの銅像を見ながら、この人、東京の人だねって言ってました。唖然。細かいことは、多々ありますが、割愛。 

#6 守叔父さまと別れた後、役所回りをしました。たまたま、宿の斜め前が、区役所の出張所であったのがラッキーでした。その区役所から、守叔父さまの管轄の福祉関係の部門を紹介してもらい、相談に行ってきました。その相談所は、守叔父さまの家から2分のところにありました。これまたラッキーでした。どのようにすれば、病院に連れて行けるかのアドバイスを受けたので、その指示に従って、病院 に連れて行こうと思います。 病院も守叔父さんの家から徒歩5分圏内を2件、紹介してもらったので、そ の一つへ立ち寄り、事前相談もできました。 健康診断を受けると言う理由で、精神科医の問診を受けられるパック医療があることを教えて頂き、その検査・診断をお願いする予定です。後は、守叔父さまを上手 く、病院へ連れて行ければ、どうにかなりそうです。 仮に、診断が出れば、福祉の相談窓口へ、その後の対応を依頼できる運びとなります。 

#7 福祉事務所の相談員の方に、年金、仕事、等の確認は、銀行通帳の記帳でわかるのでは?とアドバイス受けました。 どうにかして、銀行の通帳を見せてもらえれ ば・・・。と思うのですが、 どうすれば見せてもらえるか、思案中です。  

 





すべてのメッセージを送信し終えた時には丁度、午後7時になっていた。

5分ほどすると、豊治叔父さんから返事が届いた。

そこには、守叔父さんが利用しているであろう銀行名が書かれていた。

その後、1時間ほど、豊治叔父さんとのメッセージのやり取りが続き、健康保険証の有無の確認が必要な事など、アドバイスのメッセージが届いた。

一通りのやり取りが終わると、今日の作業がほぼ終わった。

残る作業は、豊治叔父さんへ送信したメッセージのコピーを米国のめぐみ叔母さんへ送信するのみ。

しばらく、テレビを観ながら、メッセージを送るタイミング待ったが、午後9時近くになって、急に睡魔が襲ってきたため、現地時間が午前4時前であるのにもかかわらずメッセージを送信し、その日の作業を終了として、就寝することにした。

(つづく)
 

2024年9月18日水曜日

「泣けない人」その118


 

118 、上京五日目.15


病院の待合室にて、看護師さんと話をしている。 

診察時間外のため、周囲には私と看護師さん以外には誰もいない状態で、静まり返っていた。

包括支援センターからの連絡のおかげであろうか、スムーズな初期応対となった。

看護師さんへは、認知症らしき叔父をどの様にして検査を受けさせれば良いかを主に相談した。

まずは、検査日程を決める必要があった。

認知症外来は、週2日とのこと、すでに一ヶ月以上先まで検査予約が入っていると告げられた。 長期戦を覚悟していたが、さすがにそんなに時間を待つことはできない。

私が鹿児島から上京して対応しているため、時間に制約があることを告げると、スケジュール表を再確認し、三日後の月曜日に検査の予約を入れて頂けることになった。

無理な願いを受け入れて頂けたことに感謝した。

ここ数日間、「マイペースな守叔父さん」に振り回されていた事を伝え、どの様にして「マイペースな守叔父さん」を病院に連れて来れば良いかと相談した。

単に「健康診断」として来院すれば、健康診断と称して「認知症の検査」を実施して貰えるようだ。

「健康診断は大事だよ! 健康が良いでしょ!」と守叔父さんに伝えれば、大抵の人は来院を拒否しないでしょうとのアドバイスであった。 

もし、それでもダメな場合もあるので、その時のために前もって、「本人に何らかの体に関する悩みや心配事があるかどうかを聞き出しておいた方が良いです。」とのアドバイスを貰った。

「その体の悩みや心配事を解決することができるかもしれないよ!」と伝えれば、本人の意思で病院にくる可能性があるとの事である。

人には大小問わなければ何らかの悩みがあるだろう。

守叔父さんにも悩みがあるだろう。

本当かどうかは分からないが、「お金を騙し取られた?」という問題を抱えており、一つの悩みかもしれない。

体・健康の心配事ではないが、その事を解決できるかもしれないと伝えれば、心が動いて、病院へ行くという行動につながるかもしれないと思った。あくまでも、屁理屈の最終手段ではあるが、、、。

いずれにせよ、お医者様や病院が「万能の神」的な存在と思ってくれれば、心が動くだろう。

アンチエイジング(若返り)の為と称して、「ニンニク注射」を定期的に受けているらしい守叔父さんなので、若返りに関する話をすれば興味をもってくれて、病院へ来る気になるかもしれない。

看護師さんのアドバイスに対して、なるほど!と思い、守叔父さんを少し騙す事になるかもしれないけれども、悩みを聞き出す事が最優先課題となった。

悩みを聞き出せさえすれば、「マイペースな守叔父さん」をコントロールできる術を手に入れることができると考えると、だいぶ、気が楽になった。

土・日の二日間あれば、悩みを聞き出すのに十分な時間があるだろう。

看護師さんから、最後に、

 

 

「もし、月曜日に病院に連れて
来られない状況になっても、
ご心配なく。」

 


との言葉を頂いた。 この言葉は、緊張していた私の心を少し緩めてくれた。

無理をして守叔父さんを病院に連れて来ようとすると、逆に連れて来られなくなるのだろう。

自然の流れに身を任せる必要もあるだろう。

備えあれば憂いなし。 すでに、準備もできたと考えよう!

看護師さんに時間外の対応にお礼を言った後、帰路についた。

病院の滞在時間は短かったが、薄暮だった空は、すでに真っ暗になっていた。

(つづく)
 

2024年9月11日水曜日

「泣けない人」その117


 

117 、上京五日目.14

守叔父さんは認知症なのだろうが、本人には自覚症状は無いと思われる。

なぜなら、何度となく健康に関する事を尋ねたが、守叔父さんからは「ダイジョウブ」としか答えを聞いていないからだ。

私は、

 

「叔父さん本人自身は
認知症の自覚症状が
無さそうです。」



と栗山さんへ伝えると、

 

「認知症は、その自覚症状の無い方も
いらっしゃいますよ!」



との返事が返ってきた。 自覚症状がない状況で、病院へ連れていけるのだろうか・・・?
私の心の中の気持ちを素直に栗山さんへ伝えることにした。

 

「認知症の自覚症状が無い人を
脳神経外科や精神科などの
認知症外来へ連れて行く事は
難しいですよね?」



と伝えると、

 

「そうですね・・・、
事前に病院へ相談すれば
アイデアやアドバイスが
貰えると思いますよ。」



と答えてくれた。


「餅は餅屋!」「認知症は、認知症専門病院へ!」との事!

言われてしまえば当たり前の事だな、、、。

 

「一人暮らしで認知症の方は、
定期健康診断を受診していない可能性があります。
その健康診断の検査として病院へお連れできるかもしれません。」



と指摘してくれた。

とは言え、認知症専門病院はどこにあるのだろう?

尋ねると、包括支援センターの管轄内には、いくつかの認知症外来があるとのこと。

一番近いのは「東京労災病院」、その次は「京浜病院」であった。

両方とも、知っている名前の病院であった。

なぜなら、包括支援センターに来る途中、通り過ぎてきた二か所の病院であったからだ。

ルートの曲がり角の道標代わりにしていた病院には、それぞれに認知症外来があったのだ! 

なんて、偶然なのだろう。

どちらの病院にせよ、当然のこと、包括支援センターから宿に戻るルート上にあるので、立ち寄り易い。

まさか、それらの病院に認知症の専門外来があるなんて考えてもみなかった。

栗山さんから、

 

「まずは、病院へ叔父さまを連れていかれることですね。
病院の診断で「認知症」と認められれば、
私たちが正式にサポートできますから、
ご心配なく。
病院とも連携してサポートしますし・・・。」



との言葉を頂いた。

時計を見ると、もう少しで午後5時になるところだった。

すでに、両病院とも外来受付時間外であるようだが、京浜病院ならば、相談だけなら受けてくれるかもしれないとの事で、取り急ぎ、帰り道に立ち寄ってみることにした。

栗山さんの方からも病院への連絡を入れてみますとの事もあり、相談できる可能性があると思った。

 





すでに、日没後であり薄暮の中を病院へ向かって歩みを進めた。

京浜病院へ着くと、すでに玄関や廊下の電気は消されており、既に薄暗くなりつつある外から見ても病院内は暗く、非常口を示すライトが薄暗く光っていた。

暗い病院へ入るのは少し不気味ではあったが、恐る恐る中に入った。

入口から程近くの外来受付には灯りがついており、事務スタッフらしき人がパソコンに向かってお仕事をされていた。

その方に声を掛けると、少々お待ちくださいとのこと。

しばらくすると、看護婦長さんらしきベテラン看護師さんが廊下の奥から近寄ってこられた。

その看護師さんは、私の顔を見ると、

 

「大変でしたね! 大丈夫ですよ!」



と、優しく声を掛けてくれた。

(つづく)
 

2024年9月4日水曜日

「泣けない人」その116


 

116 、上京五日目.13

栗山さんは、思いのほかすぐに戻ってきた。

私に気を遣って席を外したわけではなかったようだ。

なぜなら、一冊のパンフレットを携(たずさ)えて戻ってきたからだ。

その表紙には「大田区 認知症サポートガイド」と書いてあった。

https://www.city.ota.tokyo.jp/seikatsu/fukushi/kourei/nintisyou/orange-guide.html
大田区の認知症ケアパス「大田区認知症サポートガイド」の案内ホームページ

https://www.city.ota.tokyo.jp/seikatsu/fukushi/kourei/nintisyou/orange-guide.files/nintisyo-saportgaido.pdf
(パンフレットはネットからダウンロードして閲覧できます。)

栗山さんは、着席するとゆったりとした雰囲気ではあるものの、事務的に淡々とそのパンフレットを開き説明しはじめた。

5ページには、認知症にはさまざまな種類があると書かれており、主なものとして5種類の認知症が記されていた。

1.アルツハイマー型認知症
2.脳血管性認知症
3.レビー小体型認知症
4.前頭側頭型認知症(ピック病)
5.治る認知症

私は1.アルツハイマー型認知症と2.脳血管性認知症については、ある程度は理解していたものの、他の三つの認知症についての知識はなかった。

栗山さんは、

 

「叔父さまは、
【前頭側頭型認知症】
の可能性が高いと思われます。
もちろん、病院で検査を受け、
診断されなければ分かりませんが・・・。」



と言った。 

高齢者相談窓口の担当者であり社会福祉士、すなわちその道のプロである栗山さんが見立てたならば、まず間違いはないだろう。

私は短絡的に「認知症」「もの忘れ」と考えていたが、パンフレットの「前頭側頭型認知症」には「もの忘れの症状は軽く・・・。」と記されており、認知症の種類によって、その症状の異なることを初めて知ることになった。

「前頭側頭型認知症」の特徴的な症状の例として、

1.同じ時間に同じ行動をとる
2.同じ食品を際限なく食べる
3.周囲を顧みず自己本位な行動が目立つ など

とパンフレットには記されていた。

三つの症状とも、守叔父さんの行動とそれらを重ね合わせることができた。

また、三つの症状の例は、私が守叔父さんに感じていた違和感そのものを言語化したものであった。
 


「1.同じ時間に同じ行動をとる」に関しては、「いつも早く起き、寝るのも早い、いつも同じ」という言葉を繰り返して本人が言っているので、文言通りの行動をしているのだろう。 

一週間の行動についても、「月曜は〇〇。火曜は〇〇・・・。日曜は〇〇」などと、同じ事をしているように繰り返し何度も言っていたので、同じ曜日には、同じ決まった行動パターンで生活していると思われる。
 


「2.同じ食品を際限なく食べる」に関しては、昼食を守叔父さんに会った初日の昼食は「きつねうどん」、江の島での昼食は「ラーメン」。 二日目のトンカツ屋でトンカツを食べた以外は全て麺類であった。 

江の島でなぜラーメンを注文するのだろう・・・?と違和感を感じたが、昼は麺類を食べることが基本ルーチンなのだろう。

と思い出していると、忘れていた記憶が一部戻ってきた。今日の昼食は、初日と同じイトーヨーカドーのフードコートへ行き、同じく「きつねうどん」を守叔父さんが注文し、食べていたのであった。

そして、自宅にて「守叔父さんは家にいるときには、何を食べるの?」との問いには、

朝食は机上の菓子パンを指差して、「コレ、タベル」、昼食は食器棚の上に積まれたカップ麺を指差し、「コレ、タベル」、夕食は冷蔵庫の中のレトルト食品を指差して「コレ、タベル」と言っていた事も思い出した。

一日のうち朝昼夕で食べるものは異なるものの、朝食は菓子パン、昼食は麺、夕食はレトルト食品、同じような食品を好んでくり返し食べている事は確認できているので、【際限なく】は当てはまらないものの、準じているように思われた。
 


具体的には、もっとも当てはまっていることとして、「3.周囲を顧みず自己本位な行動が目立つ」という事だろう。

守叔父さんは私の歩調に合わせて歩くことがほとんどなかった。常にマイペースで歩き続けることに違和感を感じていた。 

私は「守叔父さんの行動がマイペースだな!」と感じたが、「マイペース」「自己本位」となるだろう。以前の守叔父さんとは変わった点であった。

「前頭側頭型認知症」の病気によるものと考えると、ストンと腑に落ちた。

「オレ、コウヤッテ(イツモ)アルイテル。」と自己本位な言動もあったしなぁ・・・。

「身障者専用の駐車エリアにクルマを駐車すること」「ダイジョウブ」と言うこともあった。それも、自己本位な行動の一つなのかもしれない。

しかし、以前も遵法精神の少し低い守叔父さんであったので、差ほど変わったとは感じなかった部分でもある。

また、私は守叔父さんの行動パターンが単調だなと感じていた。そのことも、三つの症状をまとめてみると理解できるような気がした。

(つづく)
 

2024年8月21日水曜日

「泣けない人」その115

 


115 、上京五日目.12

守叔父さんの家の最寄りの区役所出張所である大森東特別出張所内に地域包括支援センターがあるようだ。

スマホで「区役所 大森」と検索すると、守叔父さんの家に向かうルート上の途中にあることがわかった。

産業道路(国道131号線)を北方に進み、途中、京浜病院のある交差点を右折し東方へ直進し、東京労災病院の手前を左折して北上するルートである。

移動の途中、気がつくと少し息が上がり、体全体が汗ばんでいた。

歩き慣れたルートであり、慌てる必要などないのだけれど、自分を導いてくれる「一筋の光」を目指し、脇目も振らず突き進んでいたようだ。

意識せずに歩くペースがどんどん上がっていたのだった。

少し立ち止まり、周りに歩行者などのいないことを確認したあと、腕を軽く横に開いて深呼吸した。

肺の奥から息を吐き出して、鼻からゆっくり吸い込む事を何度か繰り返すと、師走の冷たい空気が体温を下げ、楽になった。

 





しばらくして、無事に到着した。

敷地角の看板には、「大森東特別出張所」、一回り小さな文字で「地域包括支援センター大森東(高齢者相談窓口)」と記載されていた。

上京してから、守叔父さんの家の周辺の様子を調べるために、グルグルと家の周辺を歩き回っていたため、その看板の前を何度となく素通りしていた。

そのため、それら看板の文字は何度も視界に入っていたはずであるが、残念ながら「高齢者相談窓口」の文字の存在には気付かなかった。 

自分にもう少し観察眼が備わっていて「高齢者相談窓口」の文字に気付いていれば、他の施設に行くという遠回りをせずとも「ココ」にたどり着けたのかもしれないな・・・。と、ちょっとだけ残念な気持ちになった。

建物内に入り受付にて、名乗った上で、叔父の相談にきた旨を告げると、2階に包括支援センターの受付があるとの事。

階段を上がるとすぐに、包括支援センターの入口があり、入るとすぐに受付があった。

挨拶しつつ、中に入って

 

「叔父の事で、相談があるのですが・・・。」



と伝えると、

 

「糀谷の地域包括支援センターから連絡いただいた方ですね。」



と言われ、「はい、そうです。」と答えると、すぐに担当者が現れて対応して貰えることとなった。

支援センター間の連絡がうまく伝わっていて良かった。

受付からパーティションで囲われた相談スペースへ移動して相談がはじまった。

まずは、お互いに自己紹介をした。

担当者は、社会福祉士の栗山さんという女性であった。

守叔父さんとの関係として親族であることや、なぜ、守叔父の様子を見に来ることになったのかなどの経緯を説明をした。

その後、豊治叔父さん、めぐみ叔母さんから聞いた話、そして、私自身が経験した数日間の出来事を思い出すままに話し続けた。

突然あらわれた見ず知らずの者が、一方的に話しているのにもかかわらず、栗山さんは嫌な顔一つせず、私の目をしっかりと見続けて、相づちを打ちながらゆったりとした雰囲気で、聞いてくれていた。

私は一通り話し終えた後、

 

「どのようにすれば、良いでしょうか?」

 

と伝えると、



栗山さんの口から、

 

「おそらく認知症でしょう。」


との回答が返ってきた。

予期された言葉ではあったが、少し心が揺さぶられ、涙腺が緩んだ。

栗山さんは私の感情を察してくれたのか、一旦、席を外してくれた。

(つづく)
 

2024年8月7日水曜日

「泣けない人」その114

 


114 、上京五日目.11

衝撃的な守叔父さんの言葉を聞いた後、私の頭の中は、「どうやって、守叔父さんを病院へ連れて行こう???」との考えがグルグル、グルグル、回り続けていた。

そのため、上野公園から宿に送り届けてもらうまでの数時間、何があり、どこに立ち寄ったかなどの記憶がほとんどない。

部屋に戻って一人になり、椅子に腰かけて、机に向かうと少しだけ冷静になることができた。

一人で考えていても、埒(らち)が明かない。

誰かに相談しよう!

さて、誰に相談すれば良いだろう・・・?

ここでは、感情抜きに、事務的な対応をしてくれる相談相手が必要だと考えた。

まずは、iPadでブラウザを立ち上げ、Googleにてキーワード「認知症 相談」を検索した。

検索結果には、公的な相談窓口への相談をすすめてくれるものがいくつかヒットした。

たしかに、区役所や市役所などには相談窓口があるだろう。

続いて、「大田区 区役所」を検索した。

すると、宿の近くに区役所の出張所があることがわかった。 

「ツイてるな! ラッキーだ」と思った。

今日は、金曜日! そして、時間を見るとまだ業務時間内であったので、早速、出張所へ行く事にした。

出張所の窓口で、

 

「一人暮らしの親戚の叔父の様子が変で、
認知症のような感じなのですが・・・。 
どうしたら良いでしょうか?」



と問うた。

すると、対応してくれた区役所の方は、ほぼ即答で、
 

「地域包括支援センターへ、お伺いください。
そちらで、相談をされると良いと思います。」



との答えが返ってきた。
 

「支援センターとは、どちらにあるのですか?」

 

 

 

と聞いた。

すると、

 

 

「隣に老人ホームがありますが、その中にあります。

お名前を頂けましたら、こちらから、連絡入れさせていただきます。」

 

 

との事。

名前を名乗ると、すぐに地域包括支援センターへ連絡を入れてくれた。

そして、この後、即対応していただけることとなった。

区役所での滞在は、待ち時間もなくほんのわずかな時間ではあったが、区役所職員の方の応対は、この数日間、私の心の中にあった暗闇に、まばゆいほどの一筋の光を差し込んでくれたようにすら感じた。

お礼を言うと、すぐに地域包括支援センターへ向かった。

老人ホームの入口へ向かうと、そこは私の泊っている宿の玄関の真正面に相対した位置であった。

「数日前から何気なく見ていた建物が相談場所とは!」「これまたツイてるな! ラッキーだ」と思った。

建物内に入ると、案内図があり、奥の方に地域包括支援センターがあるようだ。

廊下を進むと、相談窓口があったので、受付の人へ

 

「先ほど、区役所の出張所からの紹介で、
こちらに伺いました。
連絡が入っていると思いますが、
本田と申します。」



と伝えた。すると、受付の人が、

 

「まず最初に、念のため、叔父さまのご住所をお教えください。」



との事、住所を伝えると。

 

「残念ですが、管轄が違いますね。
隣りの地域の地域包括支援センターへ
お伺いし、相談してください。
こちらから、先方には連絡を入れておきます。」



と言われてしまった。 「ツイてない・・・?  アンラッキー・・・?」

さすが東京! 人口が集中し過密している分、役所の出張所だけでなく、支援センターもたくさんあるのだろう!

場所を聞くと、守叔父さんの家からすぐの所に支援センターがあることがわかった。

離れた所でなくて良かったな・・・、「やはりツイてる! ラッキーだ」と思った。

それにしても、役所の職員の対応・レスポンスが早いな・・・。そして、無駄な言葉が全然無いな・・・。と感心した。

(つづく)
 

2024年7月31日水曜日

「泣けない人」その113

 


113 、上京五日目.10


五文字の言葉「◯◯◯◯◯」は、「トウキョウ」であった。

守叔父さんは、西郷さんの像を見上げ、そして、

 

「コノヒト、
トウキョウノヒト
ダヨネ!?」
(この人、
東京の人
だよね!?)



と言ったのである。 

その言葉は、何度も何度も脳裏にリフレインした。

鹿児島を代表する偉人の「西郷隆盛」「東京の人」と間違うことはあり得るのだろうか?

いや、あり得ない! 私同様、叔父も鹿児島出身なのだから!

そのあり得ない言葉は、すさまじい破壊力の言葉となり、衝撃で私の心をズタズタにしてしまった。

自然と涙腺が緩み、「諦め」の心境となった。

守叔父さんは、「”まとも”では無い。」と判断するしかない諦めである。

今に至るまで、この数日間、葛藤が続いていた。

守叔父さんは、「”まとも”である。」「”まとも”では無いかもしれない。」との間でゆれていた。

守叔父さんと会った初日は、「少し変だな!」 と思ったくらいであった。

二日目以降、徐々に「変」な事に気付くことが増えていった。

そして、今、西郷隆盛が分からないことを理由に、守叔父さんが「”まとも”では無い。」と判断したのである。

ほんの数分前までは、自然の流れで、病院へ連れて行ければ良いと考えており、危機感は少なかった。

なぜならば守叔父さんは一人で日常生活を過ごす事ができているように感じたからだ。

掃除、洗濯、朝昼夕の食事などの生活全般はともかく、交通量の多い都会において、クルマをスイスイと運転する事ができている。

そのため、病院へ連れて行くことを「ためらう自分」「積極的に連れて行こうとする自分」の両者がせめぎ合っていた。

しかし、守叔父さんの「コノヒト、トウキョウノヒトダヨネ!」という言葉を聞いた事により、「ためらう自分」が消え去ったのであった。

そして、その時が「”全力”で守叔父さんを病院へ連れて行く事。」を覚悟した瞬間となった。

(つづく)





余談、後日、google mapにて上野公園をバーチャル散歩すると、「西郷隆盛像」は、「この地を象徴する著名な武士の銅像」と説明されていることに気がついた。

この説明文は、二通りに読めるかもしれない。

1.西郷隆盛は、著名な武士である。 その銅像は、この地の象徴である。

2.西郷隆盛は、著名な武士であり、この地の象徴である。 その銅像。

仮に、2.ならば、守叔父さんのいうところの「東京の人」でも、間違いはないのかもしれない。

余談、以上。
 

2024年7月24日水曜日

「泣けない人」その112

 


112 、上京五日目.9


上野公園と言えば、「西郷隆盛(さいごうたかもり)像!」

西郷隆盛は、言わずと知れた幕末の志士。鹿児島を代表する英雄の一人である。

このままの路順で駐車場へ戻れば、その銅像を見ることはできない。

せっかく上野公園を訪れたのにもかかわらず、「西郷隆盛像」を拝見せずして帰るのは、鹿児島県人の私としては耐え難かった。

素直に、「西郷さんを見に行こう!」と言えば良いところだが、私はそう言えなかった。

なぜなら、守叔父さんの口ぐせのごとき、「ワ・カ・ラ・ナ・イ」という言葉が戻ってくるかもしれない事を恐れたからだ。

鹿児島出身の守叔父さんが、「西郷さん」を分からない事など無いだろう。 もしも、「ワ・カ・ラ・ナ・イ」と言われると、私は自分自身が相当なショックを受けると予想した。

そのため、「西郷さんを見に行こう!」とは言わず、

 

「別のルートで戻ろうよ!」



と守叔父さんに伝えた。 

私の心の中の葛藤など気付くはずもなく、守叔父さんは笑顔で、

 

「オッケー!、ドッチイク?」
(OK!どっち(に)行く?)



と言いながら、指先を左右に振ってくれた。

私が、銅像のある方面を指差すと、

 

「オッケー!」
(OK!)



と言って、守叔父さんはその方向へ淡々と歩き始めてくれた。

 





途中に30段程の石階段があった。守叔父さんは、軽々とその階段を駆け上がっていった。

息もほとんどあがっておらず、体力・元気が有り余っているようで、15歳差の私より守叔父さんの方がよっぽど肉体的にはパワーがありそうだと感じた。

守叔父さんは、見た目だけでなく、体力も同世代の中では抜きんでていると確信できるものであった。 運送業で体を鍛え続けてきたおかげなのだろう。

 





しばらく歩くと、西郷隆盛の銅像の前に着いた。

守叔父さんは銅像を見上げて、まじまじと観た後に私を振り向き、尋ねるような感じで、

 

「コノヒト、
◯◯◯◯◯ノヒト
ダヨネ!?」
(この人、
◯◯◯◯◯の人
だよね!?)



と言った。

その言葉は、私の予期せぬものであり、大きなハンマーで頭を殴られたような衝撃を受けたように感じた。そして、その言葉が何度も頭の中でリフレインしていた。

「◯◯◯◯◯の人」「◯◯◯◯◯の人」「◯◯◯◯◯の人」、、、、。

いく度のリフレインを繰り返したか分からないが、再度、冷静にその言葉を反すうした後、私は心の中で「エーーーー!」と大声で叫んでいた。


(つづく)
 

2024年7月17日水曜日

「泣けない人」その111

 


111 、上京五日目.8

上野公園内を二人で歩いている。

守叔父さんは、「江の島」へ行った時と同様に歩くのが速く、マイペースであった。

公園の散歩と言う事で、私はのんびり歩く事にすると、守叔父さんは私のペースに合わせて歩く気はさらさら無いようで、ペースを変えることなくどんどん先に歩いていってしまった。

二人の距離が開き、呼び止めようと

 

「叔父さん!
叔父さん、歩くの早いね!」



と声を掛けて、逆説的に「ゆっくり歩こうよ!」と伝えたつもりであった。

守叔父さんは、一旦立ち止まって振り返ったものの、

 

「オレ、コウヤッテ
(イツモ)アルイテル。」
(俺、こうやって
(いつも)歩いてる。)



と言った後、私を待つことなく歩き始め、そのペースは先ほどより早くなってしまった。

一連のやり取りは、「江の島」の時とほとんど一緒であった。
 
守叔父さんは、私の言外の意味を読み取ろうとせずに、常にマイペースであった。

私の話しかける言葉に対してのリアクションが単調であり、子供の行動のようにも感じた。

 





先を歩く守叔父さんは、博物館や美術館などの施設の前をそれぞれ素通りしていった。

その際、私を振り返る事はなく「ここに入館してみようか?」などの提案も一切無かった。

 





私の追いかける守叔父さんの目線の先には、行列があった。

その行列は、動物園の入場口に続いており、流行り病の影響による入場制限のためにできたものであった。

私は内心、「パンダは見た事ないので、守叔父さんがその列に並んでくれないかな・・・。」と思いながら後を追ったが、私の思いとはならず守叔父さんはその列には目もくれずに、歩みを進めていった。

 





園内をぐるっと回ってたどり着いたのは「不忍池弁天堂」であったが、守叔父さんは参拝せずに、境内をそのまま通り過ぎ、裏の方に歩いて行った。

「不忍池弁天堂」の裏手には「ボート乗り場」があり、スワンボートや手漕ぎボートがたくさん停泊していた。

守叔父さんは、そこで歩みをとめて、じっとそれらのボートを眺めていた。

私が守叔父さんに歩き追いつくと、

 

「リリィチャント、
ココキタ。」
(りりぃちゃんと、
ここ来た。)



と少し寂しそうに言った。そして、

 

「カエロウ!」
(帰ろう!)



と言い、守叔父さんは来た路順を逆に戻り始めた。

上野公園は守叔父さんにとって、りりぃさんとの思い出の場所の一つであったようだ。

私は思い出の場所巡りに付き合わされたのであった。

(つづく)
 

2024年7月10日水曜日

「泣けない人」その110

 


110 、上京五日目.7


燃料を満タンにしたが、さて、どこに行くのだろう?

守叔父さんが行き先を言わないために、行き先が分からない状態である。

クルマは「国道15号(第一京浜)」を北上し、「平和島口」の交差点を通過していた。

 





「JR品川駅」の西口側を通り過ぎても、まだ、北上している。

 





右前方に「日テレ汐留本社」が見えたので、もうすぐ「JR新橋駅」である。

新交通「ゆりかもめ」のプラットホームの下をくぐり抜けると、右折レーンに進入した。

信号で右折すると「昭和通り」に入った。

そのまま、「昭和通り」を北上し続けた。

 





「JR秋葉原駅」の東口側を通り過ぎた時に、守叔父さんは、


「モウスグ!」
(もうすぐ!)



と言った。

目的地が近いようだ。秋葉原周辺ならば観光地はどこだろう? 「雷門」「浅草寺」かな?

それとも、展望台が好きな守叔父さんなので、「東京スカイツリー」に行くつもりなのだろうか?
 





JR御徒町駅を通り過ぎ、 左手には「アメ横」があるな・・・。と思っていると、ほどなくして、守叔父さんがウィンカーを点けた。

正面の青色の道路案内標識を見ると、右方向「浅草」と表示されていたので、右折レーンへ進むのだと思った。

しかし、私の予想に反して、守叔父さんは左折レーンへクルマを進めたのだった。

「浅草」「東京スカイツリー」ではなく、どこに行くのだろう?

信号を左折して進むと、右前方は「JR上野駅」であった。

守叔父さんは、

 

「ココ、ココ!」
(ここ、ここ!)



と言いながら、上野駅のすぐ近くの駐車場にクルマをとめたのだった。

 





「上野公園」が目的地だったようだ。

公園内には博物館や美術館、動物園など様々な施設が有るので、楽しめるだろう!

さて、どの施設に行くつもりなのだろうか?

(つづく)
 

2024年7月3日水曜日

「泣けない人」その109



109 、上京五日目.6


守叔父さんは仕事には行かないので、今日も私をどこかに連れて行ってくれるようだ。

さて、何処に行くのだろう?

クルマで出掛けるようだ。

私が乗車すると、行き先も告げずに出発した。

少し走った後に信号待ちのタイミングで、守叔父さんはクルマのインパネ(スピードメーター、エンジン回転計)の辺りを指差しながら、
 

 

「ココデ、ヒャクマン、
ココデ、ニヒャクマン、
ニヒャクマン、ダメ!」
(ここで、100万、
ここで、200万、
200万、ダメ!)

 


と言った。

私は、インパネに顔を近づけて、守叔父さんが何を指差しているのかを確認すると、それは燃料計であった。

ガソリンタンクの残量によって、100万とか200万とか言っていることが分かったが、 200万がダメとは何だろう?

そして、

 

 

「サムイネ! ホラ、ナナジュウド!」
(寒いね! ほら、70度)

 


と言った。私が、
 

 

「70度って、何?」

 

 

と聞き直すと、再度、インパネを指差して、

 

 

「ココ!」
(ここ!)

 


と言った。

インパネには外気温の表示があり、「7.0℃」との表示があった。

「ナナド」と言うべきところを「ナナジュウド」と言ったのであった。

そんな不思議な会話をしているうちに、クルマが停車した。

 

 



 

 

セルフ式のガソリンスタンドに着いていた。

守叔父さんは慣れた手つきで、ガソリンを給油しはじめた。

スタンドの計量器には、給油量(リットル)とともに、料金が表示されており、その数字がどんどん増えていった。

給油を終えて、守叔父さんは計量器の金額を指差しながら、

 

 

「ヒャクマンデショ!」
(100万でしょ!)

 

 

と言った。

実際にそこに表示された金額は、1万円を少し超えただけのものであった。

先ほど、信号待ちをしている際に燃料計を指差しながら「ヒャクマン」と言ったのは、その示している残量の時に給油すると燃料代が「1万円」掛かるとのことのようだ。

燃料タンクがほぼ空になってから給油すると「2万円」掛かるのだろう。そのことを同じように「ニヒャクマン」と言ったこととなる。

さすが、ベンツの燃料タンクは大きいな!と感心しつつも、「1万」「100万」「2万」「200万」と言う守叔父さんには参ってしまった。

「気温7.0度」「気温70度」と言い、「1万」「100万」と言う。

それぞれの「桁」を間違った表現は、冗談を言っているのではなく、単に間違っている事は明白であった。

数字の桁を間違える人が、本当に仕事ができるのだろうか?

ますます、守叔父さんが何の仕事をしているのかが疑問となった。

(つづく)

 

2024年6月26日水曜日

「泣けない人」その108


 

108 、上京五日目.5

守叔父さんの自宅の中に入る事ができ、その生活状況を把握する事ができた。

朝駆けを無事に成功させたこととなり、胸がしめつけられるような緊張感から徐々に力が抜けて、リラックスできるようになっていた。

精神的な余裕を取り戻すことによって、気がついた事があった。

気がついた事とは、守叔父さんの話し声がとても小さいことである。

私もまた、その守叔父さんの声量に合わせて、自然に小さな声で話していた。

ヒソヒソ話のような会話が続いていたのである。

鉄筋コンクリート建てのマンションの部屋であるので、それなりの壁の遮音があるだろうから、ヒソヒソ話をする必要はないだろう。

そのことに気がついた私は、あえて、通常の声量に戻して話してみた。

すると、守叔父さんは、自分の口元に指を立て、「シー」と言った後、その指で、守叔父さんの両隣の部屋をそれぞれ指差して、「ダメ、ダメ」と小さな声で言った。

隣室とのトラブルを避けるために、小声で話していることがハッキリした。

見た目と異なり、隣室との防音性能が悪い建物なのだろうか? 

平日の朝6時過ぎだとまだ、就寝中の人が多いかもしれない。

生活リズムの異なるお隣さんが居住しているのだろう。

ともかく、守叔父さんは、ご近所さんに迷惑をかけない様に、周囲を気にしながら静かに生活している事もわかった。

 





しばらくすると、守叔父さんは外出する準備ができたようだ。

腕時計を確認すると7時過ぎであった。部屋に入ってから、すでに1時間経過していた。

どこに行くのか確認するために、

 

「仕事に行くの?」



と問うと、

 

「キョウハ、イカナイ」
(今日は、行かない)



との答えが返ってきた。

 

「今日、仕事は休みなの?」



と聞くと、

 

「ソウ」
(そう)



との返事が返ってきた。元々の守叔父さんの予定では、本日は仕事に行くと言っていた。念のため、

 

「いつ、休みが決まったの?」



と聞いたものの、

 

「イカナクテ、イイノ!」
(行かなくて、良いの!)



としか答えてくれず、仕事の予定がいつ変わったのか教えてもらえなかった。 徒歩で行ける範囲の職場のようだったので、

 

「職場は近いんでしょ!
会社は何処なの?
どっちなの?」



「東西南北」をそれぞれの方位を指差しながら尋ねたものの、守叔父さんは答えてくれなかった。

なんだか、私が職場に近づくことを嫌がっており、首を横に振って、嫌がるような表情をしていた。

何らかの仕事上のトラブルが起こったのだろうか・・・? 

トラブルのため仕事が休みになったのだろうか・・・?

(つづく)
 

2024年6月12日水曜日

「泣けない人」その107

 


107 、上京五日目.4


守叔父さんのマンションの間取りは、2DK バストイレ別であった。

異なるサイズの衣服や靴などはともかく、守叔父さんの趣味以外の装飾品なども見当たらなかった。

女性物と思われる衣服や化粧品などもなかった。

間取り、寝具の数、食器の枚数、歯ブラシなどを考慮すると、まず間違いなく一人暮らしであるだろう。

キッチン周りのゴミは、キチンと分別されており、生ごみを溜めていることもなく、気になる匂いもなかった。

全体的に部屋の状況を端的に評すると全体的にキレイであった。

守叔父さんは、掃除や洗濯をマメにしていることが推察できる。 

クルマのメンテナンスと同様に、室内のメンテナンスが行き届いていることになる。

 





守叔父さんに対して、

 

「日頃、家ではどんな物を食べているの?」



と質問すると、冷蔵庫の中を見せてくれた。

冷蔵庫は高さが180cm位のものであり、一人暮らしには必要なさそうな大きなサイズであった。

開き扉が1つ、引き出しが3段の計4ドアのタイプであり、上から冷蔵室、2段の冷凍室、一番下段が野菜庫であった。

冷蔵室には「ペットボトル」の飲み物が数本と「栄養ドリンク」の小瓶が数本、電子レンジで加熱調理できる「レトルト食品」が数食入っているだけで、料理するための食材などは一切入ってなかった。

野菜庫は完全な空であった。

それらに比べて、冷凍庫には「ボンレスハム」や「焼き豚チャーシュー」などの加工肉の大きなブロック肉が大量に入っており、二段ともほぼ一杯になっていた。

調理器具としては「電気ポット」「電子レンジ」くらいしかなく、「ガステーブルコンロ」「IHクッキングヒーター」などは無かった。

道具や材料が無いことから分かるように、キッチンで調理している様子はなく、シンクもキレイだった。

数種類のカップラーメンが電気ポットの横の棚に積まれていた。

家での食事では、朝食「パン」、昼食「カップラーメン」、夕食「レトルト食品」のようだ。

外食と家での食事の割合は分からないが、家で食べているものだけを考えると、偏った食事をしているのだろう。

(つづく)
 

2024年6月5日水曜日

「泣けない人」その106

 


106 、上京五日目.3


守叔父さんは、玄関ホールの照明を消した後、

 

「コウイウトコロ、
モウ、ヤリタクナインダヨ。」
(こういうところ、
もう、やりたくないんだよ。)



と言い残すと、また、真っ暗な部屋の中に入ってしまった。

守叔父さんの意味不明な「行動」「言動」は、私を混乱させ、頭の中には疑問符「?」が大量に並びはじめていた。

一旦は、照明が点いて少し安堵していた心が、暗転によって再度キュッと潰されたようになってしまっていた。

私は、いつでも逃げられるように片手で玄関扉を押し開いて、閉まらないようにしていた。

そして、外廊下から差し込む光を頼りにしながら、目を凝らして中の様子を伺った。

すると、数秒後に玄関ホールの隣りの部屋がパッと明るくなった。

私は、前触れなく明るくなったことに驚き、思わず

 

「おー、点いた、点いた!」



と少し「はしゃいだ声」を出してしまった。 恐怖心から解放された安堵感からつい口から出た言葉だった。

とは言え、先ほどと同じように数秒で灯りを消されて暗くなるかもしれないと心配しつつ、不用意ではあるが、慌てて靴を脱ぎ、中に入り部屋の様子を見ることにした。

 





八王子の豊治叔父さんから、「守の家に入る際は細心の注意を払え!」と念押しされている。

まずは、守叔父さん以外に、他の人がいないかどうかを確認せねば!と考えて行動した。

玄関ホールの隣の部屋はダイニングキッチンだった。

守叔父さん以外の人の気配を探しつつ、

 

「起きてても、
電気(照明)点けてなかったの?」



と問うと、

 

「ソウ、ボクハ、ヨジカラ
ズーット、オキテイタ。」
(そう、僕は、四時から
ずーっと、起きていた。)



と守叔父さんは言った。 今は6時過ぎ、2時間も灯りもつけずに、一体何をしていたのだろうか?

日頃は、早く起きて仕事に行くと言っていたのに、今日の仕事は無いのだろうか?

 





守叔父さんの話を聞けば聞くほど、次々と私の頭の中の疑問符「?」が増えていきそうなので、それらの前に、他に人がいないかどうかを確認せねば!

どこかに他人が隠れており、背を向けた時に不意打ちをくらうかもしれないし、念には念を入れなければ・・・。

守叔父さんの話を聞く前に、遠慮せずに、強引に部屋の中の案内をして貰うことにした。

不動産の内見(内部見学)のごとく、全ての部屋、押し入れ、トイレ、風呂など、人が入れそうな場所は開けて見せて貰った。

守叔父さんは、嫌な顔をせずに、それぞれを見せてくれた。

 





結果として、誰も隠れていることはなかったので、とりあえず、一安心できた。

人探しと同時に監視カメラや盗聴器などが設置されていないかどうかも探っていたが、可能性は少なさそうと感じた。

盗聴器は目視では見つけられないだろうから、別途、スパイの七つ道具の盗聴器探知機で探さなければならないが、さすがに守叔父さんの面前では、探索はできないな・・・。

守叔父さんがトイレに立った時など、別のタイミングを待って探すことにした。

(つづく)

 

2024年5月29日水曜日

「泣けない人」その105

 


105 、上京五日目.2


私は今、守叔父さんの住むマンションの玄関扉の前に立っている。

私の心臓の鼓動は少し大きく、そして速くなっていた。

玄関扉越しの玄関ホールには誰か人のいる気配がある。

守叔父さんなのか? それとも、知らない人なのか・・・?

今もなお、室内の灯りが点かない状態が続いている。

室内からは「どちら様ですか?」などの声も一切聞こえてこない。

 





私のいる外廊下は照明が点いているので明るいため、室内からは「ドアスコープ(のぞき穴)」を通して、来訪者が誰であるかの確認ができるかもしれない。

逆に私のいる外廊下からは室内に人の気配を感じるだけで、相手がその「ドアスコープ」を覗き込んで私の方を見ているかどうかの確認はできなかった。

もし、室内が明るければ、その穴の明暗が変わることで覗きこんで確認しているかどうかが外からでも判断できるだろう。 しかし、室内が暗い場合は明暗は変わらないので確認できない。

玄関ホールにいる人は、思慮深く、非常に警戒心の強い人なのだろうか・・・?

守叔父さんは、そんなに警戒心の強い人ではないと思うので、別の人かもしれない。

 





私の心臓の鼓動はどんどん大きく、速くなっていた。 室内の相手から私が見えているのに、私からは見えない。 

その不利な状況となった事に気が付くと、背筋が寒くなった。

もしかすると、玄関先を撮影する防犯カメラなども設置されているかもしれない。

その場合、そのカメラの存在を探す行為は、逆に相手を刺激することになるかもしれないので、平然を装って玄関扉前に立ち続けることしかできないと悟った。

そして、「知らない人ではなく、守叔父さんが出てきてくれ!」と心の中で願っていた。

 





時間が止まっているかのような錯覚を感じているときに、「カチャッ」と解錠の音が響いた。

そして、ゆっくりと玄関扉が開き始めた。

扉の隙間から漏れ出る光は無かった。外廊下から見えているとおり、室内は照明が一切ついていない状況である事が再確認できた。 

なぜ室内の灯りが点いていないのだろうか?との疑問に思っているところに、扉を開けた人が小さな声で、

 

「オハヨゥ」
(おはよぅ)



と言った。

小さな声ではあったが、その声が守叔父さんであることは確認できた。

私は内心ホッとしながら、守叔父さんの声のトーンに合わせて、小さな声で、

 

「おはようございます。
寝てた?」



と返事をした。守叔父さんは、

 

「ズーット、オキテルヨ。」
(ずーっと、起きてるよ。)



と言った。


守叔父さんの発する言葉には、まったくと言って緊張感が無く、普段そのものであった。

私の今の緊張感とは、だいぶかけ離れていた。

扉を開けた人が守叔父さんであり、そして、その落ち着いた言葉による応対であったので、少しホッとした。

しかし、玄関ホールだけでなく部屋の中の照明が点いていないため、何も見えない状況であったので、中に立ち入ることに躊躇した。

外廊下の光によってボーッと照らし出された守叔父さんは、囚人服をイメージするような黒地に白の横縞のパジャマを着ており、顔には白いマスクをしていた。コントラストの高い装いであったので、薄暗い中でもその存在はよく見えた。

 

「電気(照明)は?」


と聞くと、天井の照明を指差して、

 

「ココ、ココ」
(ここ、ここ)



と言った。指を指されても仕方ないので、

 

「電気(照明)、点かないの?」




と言い返すと、守叔父さんは、

 

「アルヨ」
(有るよ)



と言って、部屋に入って行った。 「点く」ではなく「有る」とは何だろう・・・?

守叔父さんは、小さな椅子を持って、すぐ戻ってきた。

守叔父さんはその椅子の上に立ち上がると、先ほど指差した照明の横付近を触っていた。 すると、「パッ」と点灯し玄関ホールが明るくなった。

天井の高いところにスイッチがあるようだ。

なぜ、そんなところにスイッチがあるのだろう・・・? と疑問に思っていると、

守叔父さんはそのスイッチに再度手を伸ばして照明をオフにしたのだった。

明るかったのはわずか数秒だけで、またもや、暗くなった。

なぜ、せっかく点けた灯りを消すのだろう?

疑問と共に、不安を感じた。

明るいものを見た後に暗い場所に行くと生じる目の現象「眩惑」によって、前よりも周囲が暗く感じてしまい、何も見えなくなってしまったからだ。

今、その暗い部屋の奥から私に向かって誰かが飛びかかってきても、私は対処できないだろうな・・・。

(つづく)
 

2024年5月22日水曜日

「泣けない人」その104


 

104 、上京五日目.1

五日目の朝、5時過ぎに目が覚めた。

「朝駆け」として6時位に守叔父さんの家へ行こうと考えていたので、十分間に合う時刻であった。

日の出は6時34分のため、カーテンを開けても外は暗かった。

ポットでお湯を沸かし、コーヒーを煎れた。

朝食を食べるには少々早いため、即席みそ汁を一杯だけ飲むことにした。

 





5時半に宿を出た。 ゆっくりしたペースで守叔父さんの家を目指した。

6時前に守叔父さんの家の近くに到着した。

クルマは駐車場にとまっている。フロントガラスにサンシェードも付けられていた。

 南側の部屋の遮光カーテンは閉まったままであった。

カーテンの隙間から漏れる光は無いので、室内の電灯は点いていないようだ。

 マンションのエントランスを通り抜け、廊下を進み、守叔父さんの部屋の玄関前で立ち止まった。

玄関横のスリットや風呂場らしき窓をチェックしたが、室内の電灯は点いていないようだった。

すでに、仕事に出掛けてしまったのだろうか? それとも、まだ、寝ているのだろうか?

玄関チャイムを押そうか考えたが躊躇した。 

そして、一旦、その場を離れることにした。

エントランスから出て、最寄りの公園に向かい、そこで、深呼吸を3回して心を落ち着けた。

まず、守叔父さんの所在を確認するためにLINEメッセージを送ることにした。


 

「守叔父さま おはようございます。
甘太郎です。 
朝の散歩で、家に来ました。」
2021/12/3 5:56 

 

「すでに、出社されましたか?」
2021/12/3 5:57



1つのメッセージならば気付かない事もあるだろうと考え、少し間を開けて2つのメッセージを送信した。 


なかなか返事が返ってこなかった。

3分待っても返事が戻ってこなかったので、LINE音声電話を掛けることにした。

10秒超、少し長めの呼び出し音を待ったが、守叔父さんは電話にも出てくれなかった。

家の灯りは消えており、電話連絡にも反応が無い。

仕事中で、かつ、忙しいのだろうと判断することにした。

家に守叔父さんがいないならば、玄関チャイムを押す事に躊躇はいらない。

もう一度、守叔父さんのマンションへ行き、玄関チャイムを押すことにした。

 





玄関チャイムを押し、心の中で数を数えはじめた。

「30」まで数えて反応が無ければ、帰ることにした。

 

「1,2,3,・・・, 29」



もうすぐ数え終わると思った「29」 のタイミングで、玄関ドア越しの室内から微かな物音が聞こえたので、カウントをやめ、人の気配を探った。

間違いなく、誰か人がいる!

そして、その人の気配が玄関に近づいてきた。

しかし、人の近づく気配はあるものの、室内の灯りは点かないのか、廊下に面した窓や玄関横のスリットのすりガラスから光が漏れ出てくることはなかった。

近づいてきた人は、間違いなく玄関ドアの反対側にいる。

少し不気味な感じがした。 

(つづく)
 

2024年5月15日水曜日

「泣けない人」その103

 


103 、上京四日目.14


カーラジオの流れる車内で、
 

「ソウイエバ、
キョウ、アラオウカナ?
サイキン、ズーット、
アメフッテタカラ
キレイニ シナイト
ダメダナ。」
(そういえば、
今日、洗おうかな?
最近、ズーッと、
雨降ってたから
きれいにしないと
ダメだな。)


と守叔父さんが言った。

何を洗おうと考えているのだろうか・・・?

クルマなのだろうか?

私の感覚では、洗車の必要性を感じなく、とてもキレイな外観であるが・・・。

 

「クルマ、洗うの?
洗車するの?」



と聞くと、

 

「ソウ!」
(そう!)



との返事が返ってきた。

旧式のクルマであるにもかかわらず、新車同様に見えるのは、日々の洗車メンテナンスのおかげなのだろうと感心した。

 





カーラジオに耳を傾けていると、いつの間にか宿に到着した。

守叔父さんは、私がお礼をいう前に、

 

「アリガトウ!」
(ありがとう!)


と言った。 慌てて、

 

「こちらこそ、ありがとう!」



と答えることになった。そして、クルマを降りた。

守叔父さんは、

 

「マタネ!」
(またね!)



と言った後、クルマを発進させ帰っていった。

クルマを見送って、そのクルマが見えなくなったあとに、洗車の手伝いをすることを理由にして、守叔父さんの家まで行けば良かったな・・・、と考えついた。

洗車だけなら、守叔父さんの自宅に無理に入らずにとも、窓の外から家の中を見ることができたのにな・・・。

30秒早く、そう考えつけば良かったな・・・。と思う自分がそこにいた。

逆に、考えつかなかった事は、今日行くべきではなく、今日のミッションの終了を告げているのではないかと思う自分もいた。

今回は、後者を選び、明日に備えることにした。

最寄りのコンビニで、缶ビールと缶チューハイをそれぞれ一本ずつと酒の肴としてミミガーを購入して、宿の部屋に戻った。

飲み物は一旦、冷蔵庫へ入れて、シャワーを浴びることにした。

 





風呂からあがり、バスタオルを腰に巻き、上半身は裸のままで、ビールを飲み始めた。

明日は、早く起床して、「朝駆けしよう!」と 心に決めた。

(つづく)

2024年5月1日水曜日

「海岸展望台」 桜島を見るのにオススメの場所です。

 

鹿児島観光の目的で「桜島」を挙げる人は多いでしょう。

「桜島」は色々な場所から見ることができますが、桜島の眺望が良い場所はどこだろう?

と調べていると、オススメの場所「海岸展望台」と言うキーワードが見つかりました。

「海岸展望台」とは、なじみのない名称だったので調べてみると、県立吉野公園内にある施設のようです。

過去の記憶では、吉野公園からの眺望はたいしたことがないと思っていましたので、「海岸展望台」は私の知らない新たな施設・設備なのだろうと思いました。

よくよく考えると、最後に吉野公園を訪れたのは学生時代であり、30年前になります。

どんな変化があるか楽しみにしながら訪れました。

 

吉野公園 案内図

 

公園内を進んで行くと鹿児島県のPRキャラクター「ぐりぶー」の石像がありました。

 

後方にも、同じく「ぐりぶー」像がありました。

 

園内を進んで行くと、展望台が見えてきました。

 

「海岸展望台」ができたのは、平成16年3月(20年前)でした。

 

あいにくの天気のため、桜島の上半分は雲に隠れて見えませんでした。

 

桜島水道を横切る小型漁船の曳波が広がっていくのが見えました。

 

2024年4月24日水曜日

「泣けない人」その102

 


102 、上京四日目.13


京急川崎駅からの帰路、カーラジオから音楽が流れ、その曲に耳を澄ましながら移動していた。

守叔父さんが「電車」「フネ」と言った事によって感じた戸惑いは、曲の流れる時間と共に少しずつ薄らいでいった。

何らかのキッカケで守叔父さんは、またしても安西さんや佐藤さんにお金を騙し取られた事を話し始めた。

その話の内容は、一昨日、昨日と変わらないものであり、目新しい情報は無かった。

一通りの話を聞いたあと、証拠となるものがないのかどうかを聞くと、胸ポケットからスマホを取り出して、安西さんからのメールを見せてくれたが、一昨日、昨日も見せて貰った同じメールであった。

他に届いたメールがあれば、状況が分かるかもしれないと思い、有無を確認する為に、スマホの画面をフリックしてみたけれども、安西さんからのメールは1通しか無かった。 

トラブルを抱えた相手とのやりとりが1通のメールだけとはいささか不自然ではあるが、ないものはしょうがない。

代わりに佐藤さんとのメールのやりとりはあるのだろうか?

調べようとした時、守叔父さんにスマホを取り上げられてしまったので確認できなかった。

守叔父さんはスマホを操作して、

 

「コレ、オモシロイヨ!」
(これ、面白いよ!)



と言いながら、私にスマホを見せてくれた。

画面に映っていたものは、昨日の昼食時に見せてくれた動画であった。

守叔父さんが中国旅行へ行った際に撮影されたものである。

昨日は動画を一緒に見ながら、撮影時の状況を丁寧に説明してくれたので、その動画の内容を私は覚えており理解していた。

それにもかかわらず、守叔父さんは、初めて見せるがごとく、ほぼ同じ内容を事細かく説明をしながら見せてくれた。

昨日、既に私に見せた事を覚えていないのだろうか? 

それとも、ただ単に何度も見せたいと思っているのだろうか?

守叔父さんは、その動画を笑いながら笑顔で説明してくれたが、私の表情は困惑して、苦笑いしていたと思う。

安西さんからのメールの件、そして、中国旅行の動画の件、それぞれ、同じような行動が二回または三回繰り返されていることに気がついた。

 





動画の再生が終わり、動画の説明を喋り終えると、守叔父さんはスマホを受け取って胸ポケットにしまいこんだ。 そして、


「オモシロカッタデショ!」
(面白かったでしょ!)



と言って、満足そうな表情をしていた。

 





ちょうど、カーラジオから流れる歌が終わりDJ(ディスクジョッキー)が喋り出した時だった。

守叔父さんは、すかさずカーラジオの選局ボタンを押した。

音楽が流れているチャンネルがみつかると、その音楽を聴いた。しばらくして、その曲が終わり、DJ(ディスクジョッキー)が喋り出すと、また選局ボタンを押した。

音楽のみを聴くような感じで、ニュースやDJの「話し声」を聞くことがほとんど無いことに気がついた。

もしかすると、言葉が不自由になったため、他人(DJやアナウンサーなど)の話す事が理解できない、もしくは理解しづらいのかもしれない。 

結果として、それらの言葉は雑音となり、雑音を避けるために音楽を選局しているのかもしれないと考えた。

(つづく)

 

2024年4月17日水曜日

「泣けない人」その101

 


101 、上京四日目.12

「(川崎)市役所通り」を西に向かってクルマが進んでいる。

この先には、「オッキナフネ(大っきな船)」があるらしい。

右手に川崎市役所が見え、それを通り過ぎた後に右折して、細い路地に入り込んだ。

ほどなく、より狭く一方通行の道に入り込んで行った。 

守叔父さんは、以前、「川崎駅」近くのマンションに住んでいたので、この辺りの道路には詳しいのだろうが、本当に狭い路地の先に「オッキナフネ(大っきな船)」があるのだろうか・・・?

いくつかの小さな交差点を過ぎた後に左折した。

そして、直進し続けると一時停止の道路標識のある「丁字路」に突き当たった。

一時停止で止まったのち、クルマを進めると目の前には左右に高架が広がっていた。

高架の上の看板には「京急川崎」と書かれており、「京急川崎駅」のプラットホームであることが分かった。

守叔父さんは、駅ホームの左右を見て、そして何かに気がつき指差して、

 

「キタ、キタ、フネ、フネ!」
(来た、来た、船、船!)



と言い出した。

駅のホームに「船」が来ることがあるのだろうか・・・? 

見逃すまいと、その指の指し示す方向を見るものの、下りの普通列車がホームに滑り込んできただけだった。

「船」を表す何らかの特別な塗装の列車というわけでもなく、赤く見慣れた京急の車両であった。

先頭車両が右から左に通り過ぎ、京急川崎駅のホームにその全ての車両が並んで停止した時、守叔父さんは、

 

「オッキナフネ!」
(大っきな船!)



と言いながら、笑顔で喜んでいたのだった。

この事により、守叔父さんの言った「オッキナフネ!」とは、「大きな(長い)電車」のことであることが分かった。

まさか、「電車」の事を「船」と言うとは予期できなかったし、「車両数が多くて長い列車」「大っきな」と表現する事にも驚いた。

そして、守叔父さんは、わざわざ手間をかけて、私に京急の電車を見せてくれたことになる。

守叔父さんは、50歳を超えた甥っ子である私が、単なる普通の電車を見ると喜ぶと考えたのだろうか・・・? と少し疑問を覚えた。

対して、守叔父さんの表情は、小さな子供が電車を見て喜んでいるような風に見えた。

電車が出発し、ホームから見えなくなると、守叔父さんは満足したようで、クルマをゆっくりと発進させた。

 





カーラジオから流れる音楽を聴きながら、守叔父さんの発した言葉を心の中で反すうしていた。

守叔父さんは、駅において「電車」「フネ」と言い、八景島の「シーパラダイスタワー」の事を「フネをピューっとやるやつ」と言った。

その両者に共通することは何だろう・・・? と考えると、「フネ」とは「乗り物」の事を全般的に指しているのではないかと推測した。

船やクルマなどが「進んでいること」「アルイテル」と言い、車両数を「コ(個)」で数えた事などから、「電車」「フネ」と言ってもおかしくない。

これらの事から、守叔父さんの使える言葉が少なくなっており、言葉に問題を抱えていることはより明らかになった。

また、守叔父さんは、私の事を喜ばそうと考えて行動していることは理解できるが、その思考は、ある意味子供っぽくて「幼稚」であり、かつ「単調」なものであることがわかりはじめたような気がした。

(つづく)