2025年12月22日月曜日

準天頂衛星システム「みちびき5号機」/H3ロケット8号機打上げ

準天頂衛星システム「みちびき5号機」/H3ロケット8号機打上げ

鹿児島県霧島市からの眺望

2025年9月3日水曜日

「泣けない人(不思議な入金編)その4」

 

「泣けない人(不思議な入金編)その4」

守叔父さんからは、会社の所在地を聞き出すことができなかった。

通帳に記載された「給与 * カ) サトウシステム」を元に調べることにしよう。

宿に戻り、ネットで「サトウシステム」を検索した。

ここ数日間、守叔父さんは「システム」を省略して、「サトウさん」と言っていたため、「サトウ」だけでは、会社の所在地を突き止めることはできなかった。

「(仮名)株式会社 佐藤システム」と入力して検索すると、全国でも少数に絞り込む事ができた。

東京23区内には数件あり、最も近いものは守叔父さんの家の最寄り駅からから2駅離れた所にあった。

住所を元に、その会社の業種を調べると「運送業」であった。

守叔父さんは以前、運送業を経営していたことは知っている。

また、その会社を株式会社へ移行するにあたって、共同経営者と揉めたような話しも聞いていたが・・・。

共同経営者との関係がうまく修正できたと仮定した場合の話しであるが、無事に株式会社に移行して、会社から給料を受け取ることにしたのだろうか?

それとも、乗っ取られたうえで、社員として雇用されているのだろうか・・・?

 

 

「ダメダメ、
サトウサン、ワルイ。
アンタ、ダマサレル。
アブナイ。」
(ダメダメ、
サトウさん、悪い。
貴方、騙される。
危ない。)

 

 


と言う守叔父さんの言葉をどの様に理解すれば良いのだろうか・・・?

もちろん、給与を受け取っている会社を「危ない会社」と言うのは変である。

認知症の可能性の高い守叔父さんを雇用して、給与を払う会社も変である。

よっぽど奇特な経営者でなければ、仕事のできないであろう守叔父さんに対して給与を支払う事はないだろう。

「(仮名)株式会社 佐藤システム」を訪問し、会社の人にヒアリングをかけて、守叔父さんの状況を聞かせて貰う必要があると思うが・・・。

どうしよう・・・。

一人で悩むことではないだろう。

豊治叔父さんやめぐみ叔母さんへの報告をして、判断を委ねようと考えた。

(つづく)
 

 

 

2025年8月27日水曜日

「泣けない人(不思議な入金編)その3」

 

「泣けない人(不思議な入金編)その3」

銀行口座への入金は「カ)サトウシステム」からの給与以外には無くて、月毎の収支はマイナスで、数カ月後には口座残金が「ゼロ」になりそうな感じである。

別途、預貯金があれば良いのだが・・・。

月に一度、給与の半額位である十数万円のまとまった出金記録があった。

「騙された!」と言える位の金額ではあるが、定期的な出金であり、給与直後の月末のタイミングであることから、家賃や光熱費の支払いのための出金であると考えると妥当な金額だと思われる。

そのため、この通帳には「安西さん」に関係するお金の情報は無いと予想される。

一通り、見終えると、もう一度、通帳を見せて貰えないかもしれないので、念のために、
 

 

「写真撮って良い?」

 

 

と尋ねることにした。 守叔父さんは、

 

 

「ドウゾ。」

 


と快諾してくれたので、通帳を撮影する事にした。

撮影し終え通帳を返すと、守叔父さんはすぐさま通帳をキャビネットに戻し、キャビネットの鍵をしっかりと締めた。

鍵をキチンと締めるってことは、通帳だけでなく他にも大事なものが入っているのかもしれないな・・・。

キャビネットの開閉は短く、中身は良く見えなかったが、通帳以外の物も入っているようだった。

詐欺被害の有無をハッキリするには、今後、またこのキャビネットの中を見せてもらわなければならないと考えた。

見せてもらった通帳は、守叔父さん個人名義のものであったので、会社名義の物も別途あるかもしれない。

可能性は低いと思うが、「カ)サトウシステム」という会社そのものが守叔父さんの会社である、または、以前経営していた会社の可能性もあり、現状ではその可能性を否定できない。

まずは、守叔父さんに聞いてみることにした。

 

 

 

「サトウシステムって、何処にあるの?
ココから近いの?」

 


すると、守叔父さんは、

 

 

「ダメ、アンタダメ。
サトウサン ワルイ。
チカヅク、ダメ!」
(だめ、貴方ダメ、
サトウさん、悪い。
近づく、ダメ!)

 


と言った。

 

 

「何がダメなの?
叔父さんが、

どんな所で働いているのか
知りたいだけだよ。
教えてよ。」

 

 

と伝えるものの、

 

 

「ダメダメ、
サトウサン、ワルイ。
アンタ、ダマサレル。
アブナイ。」
(ダメダメ、
サトウさん、悪い。
貴方、騙される。
危ない。)

 


と言った。

給料を受け取っている会社に近づく事を拒否するのはなぜだろう・・・?

良からぬ事業をやっている会社なのだろうか・・・?

守叔父さんから聞き出せなくとも、社名だけは分かったので調べることができるだろう!

(つづく)

 

 

 

2025年8月6日水曜日

「泣けない人(不思議な入金編)その2」

 

「泣けない人(不思議な入金編)その2」
 


守叔父さんの家に帰り着いた。
 

「安西さんに騙されたのを調べる為に、
銀行の通帳を見せて。」


とお願いした。すると、守叔父さんは、

 

「ツウチョウ?」
(通帳?)



と先程と同じ様に少し戸惑いの表情で言った。それほど時間が経ってないのに、忘れてしまったのだろうか?

 

「銀行のお金を書いたやつ。
こんな形のやつ。」



と、先程と同じ様に、指で横長の長方形を描きながらと言い直すと、

 

「アア、ワカッタ」
(ああ、分かった)



と思い出してくれた様だった。

パソコンの置かれた事務机の横には、金属製の二段引き出しのキャビネットがあった。

その中に通帳があるようだ。

施錠されているようで、ポケットから鍵を取り出し開錠し、上段を引き出した。

一番手前に通帳が入っていた。守叔父さんは取り出して、

 

「コレ?」
(これ?)



と言った。

 

「そうそう、それ!
それを見せて!」



と伝えると、

 

「ハイ、ドウゾ。
アンザイヲツカマエテ!」
(はい、どうぞ。
安西を捕まえて!)



と言って、通帳を手渡してくれた。


自分のものではない通帳を見る事には少しだけ抵抗があったが、守叔父さんの事を理解するためにはやむを得なしと考えて目を通すことにした。

見ることのできるチャンスはこの一度だけかもしれないと覚悟して、少し緊張しつつも冷静にページをめくった。

一通りザッと目を通すと、見開き一面と次の見開き一面の半分の計3ページに記帳されたものだった。

1ページ目の最初の行の日付を見ると三か月前に繰り越されたばかりの新しい通帳であることがわかった。

繰り越された金額は、数十万円程であった。

月毎の定期的な入出金が数件と週一程度の不定期な出金が記録されていた。

「給与 * カ) サトウシステム」と言う入金があった。

「給与」と言う入金があるって事は、働いているってことだ!

金額は9月分、10月分、11月分共にまったく同額であり、首都圏のサラリーマンの平均月収程度の金額であった。

鹿児島と比較するならば、平均よりだいぶ高額な月収であった。

言葉が不自由な状態で、どの様な仕事をすればこの金額を稼げるのだろう?

通帳が切り替えられており、それ以前の収入の状況はその通帳だけでは分からなかった。

とりあえず、勤務先の社名が分かったので、職場を探す事もできるだろう。

サトウシステムとは、何処にある、どんな会社なのだろう・・・?

(つづく)

2025年7月23日水曜日

「泣けない人(不思議な入金編)その1」

「泣けない人(不思議な入金編)その1」

昨日、包括支援センターへ行った。

守叔父さんについて相談すると、相談員(社会福祉士)の方から「認知症」であろう事を示唆された。

認知症であるならば、色々な疑問や想像が膨らむ。

 

 





守叔父さんは、私の知らない「誰か」に助けられて生活しているのだろうか・・・?

もしも、「誰か」に世話を受けて生活が成り立っているならば、豊治叔父さんの言うところの「監視され、監禁されているかもしれない。」ではなく、「保護され、介護されているのかもしれない。」となり得る。

「誰」が助けてくれているのだろうか?

認知症で、仕事ができるのだろうか? もし、仕事ができているならば、どのような仕事をしているのだろう?

雇われているならば、どんな人が雇ってくれているのだろうか?

もしかして、雇用主が、守叔父さんを保護し、介護してくれているのだろうか?

現状、守叔父さんは維持費の高額な外国車を所持し、10万円超の賃貸マンションに住んでいるが、もし、仕事をしてないならば、それらの費用をどの様にして工面しているのであろう?

以前は、お金周りの良い時期があったようなので、預貯金が多少はあるのだろうか・・・?

京急川崎駅の直近のマンションに住んでいた事もあり、守叔父さん本人が購入して所有していたマンションの一室であったような・・・。

所有しているマンションから、なぜ、引っ越しをしたのだろう?

そのマンションを売却して、今の賃貸マンションに引っ越したのだろうか?

守叔父さん、本人の意思で引っ越ししたのだろうか?

そもそも、資産などやお金の管理を認知症で出来るのだろうか?

仕事にしても、日常生活においても、助けがなければ成り立たないような・・・?

 



 


などと、次々に疑問が出てきた。

一週間ほど前に守叔父さんへ電話連絡した際には、お金がないと言っていた。

そして、お金がないという理由で、私の訪問を拒否したくらいだった。

色々な疑問や想像が膨らんでいくが、銀行の通帳を見ることができれば、それらのいくつかの疑問は解決できるだろう。

守叔父さんは、通帳を見せてくれるのだろうか?

米国メグミ叔母さんの夫であるマイク叔父さんからのアイデアで、「騙されているなら調べてあげるよ。 調べるために通帳を見せて。」と言えば、守叔父さんから通帳を見せてもらえるのではないかとの事。

試してみる事にした。

 

「叔父さん、騙されたって言ってるけど、
解決してあげようか?」



と伝えてみた。

守叔父さんは、私の言葉に吊られたように、

 

「アンザイ、ワルイ、ダマサレタ!」
(安西、悪い、騙された!)



と言った。

 

「安西さんに騙されているかどうか調べるには、
銀行の通帳が必要だよ!」



と言うと、

 

「ツウチョウ?」
(通帳?)



と少し戸惑いの表情で言った。

 

「銀行のお金を書いたやつ。
こんな形のやつ。」



と、指で横長の長方形を描きながらと言い直すと、

 

「アア、ウチニアル。」
(ああ、家にある。)



と分かったようだった。

 

「家にあるなら、家に帰って見せてよ!」



と伝えると、

 

「ワカッタ!」
(分かった!)


と言って、家に戻ることになった。

(続く)
 

2025年7月9日水曜日

オニユリが咲くころ

今年も、オニユリがたくさん咲きました。

 

アゲハ蝶が蜜を吸いに飛んできました。

 

 

 

 

 

2025年7月2日水曜日

気づかぬステルス値上げ!

 


ポンプ式のボトル入りシャンプーがなくなりそうだったので、買い物に行った。

いつもは、詰め替え用のパウチ容器入りを買うのだが、今回は、ボトル入りの容器と詰め替え用のパウチ容器入りの抱き合わせのお徳用セットと書かれたものを購入することにした。

理由は二つ。

1、詰め替え用のパウチ容器入りを2個買うのと比べて、お徳用セットの方が内容量も多く、金額も安かったから。

2、長年使っている容器が水垢でうす汚れており、近いうちに新調しようと考えていたから。

いつもより少し安く購入できたと思い、満足して帰路についた。

自宅に戻ると、早速、古いボトルに残った少量のシャンプーを新しく買ったボトルに移し替えようとした。

すると、まさかの事に気がついた。

な、な、なんと、ポンプ式のボトル本体のサイズが一回り小さく変わっていたのだった!

ボトル、詰め替え用のパウチ共に、サイズが変更されており、それぞれ減量となっていた。

容量としては、約2割減となっていた。

新旧の容器を並べて比べなければ、その差には気づかない!!!!

店頭で見た時には、まったく気づかなかった。

安く買えたと思い満足した時間は、1時間もなかった。

逆に、「騙された!」と少々憤りを感じたほどだった。

気づかぬ自分が悪いのだろうか?

もちろん、当然ながら内容量は〇〇mlと記載されている。

さすがに、その数字が変わるとは思いもしなかった。

詰め替え用パウチの容量が変わるならともかく、本体容器の大きさが変わるとは
考えもしなかった。

このような形で消費者を欺くような手法には納得いかないな・・・。

「お徳用」との文言には気を付けよう!

仮に詰め替え用パウチ入りを2つ購入し、新ボトルを購入しなかったとすると詰め替え用パウチの減量に気づくことができただろうか?

恐らく気づかなかっただろう。

 



反省を込めて、ここで、少し計算してみようと思う。

サイコロのような形状の立方体(縦、横、高さが一緒。)の場合。

一辺が 10 センチメートル のとき、10 × 10 × 10 = 1000 ミリリットル

900 ミリリットル(1割減)ならば、約 9.654 × 9.654 × 9.654。

800 ミリリットル(2割減)ならば、約 9.28 × 9.28 × 9.28。

500 ミリリットル(半分)ならば、約 7.937 × 7.937 × 7.937。
 

 



 


ちなみに、右のシャンプーのイラストは、左のイラストの 92.8 %(2割減)の大きさです。

2025年6月25日水曜日

「泣けない人(うろ覚えの診察室編) その2」 

 


守叔父さんの認知機能の問診が終わった。

守叔父さんが正しく答えられたものはとても少なかった。

クルマをスイスイと軽快に運転する守叔父さんの姿からは、全く想像できないものであった。

隣席でその様子を見ていた私には、結果は容易に予想できたので、説明は不要ではないかとさえも感じていた。

医師は、手書きのカルテに問診結果を記入した後、私の方を振り向いて、

 

「今見て頂いた通りですね。
30点満点の5点です。
前頭側頭型認知症です。」



とハッキリとした断言口調で言った。

私は、患者本人のいる前でいきなり結果を聞かされたことに驚いた。

そして、医師は守叔父さんと正対して、丁寧にゆっくりと、

 

「豊田守さん、
あなたは認知症です。
前頭側頭型の認知症です。」



と告げた。

守叔父さんは、一瞬「何っ?」って顔をしたものの、すぐに笑顔に戻った。

認知症と診断され、その告知を受けた直後にもかかわらず、守叔父さんは笑顔であった。

正しく言葉を理解できる人が、「あなた、認知症です。」と言われたらショックを受け、動揺するだろう。

「ホントですか?」とか、「嘘だろう?」とか、まず疑うだろう。

しかし、守叔父さんの表情からは一切の動揺はみられず、疑うこともなかった。

医師から告知された言葉の意味を、守叔父さんが全く理解できなかったことは明らかであろう。

医師は私を見て、少しうなずき、続けて、

 

「豊田さん、クルマの運転はできませんよ。」



と言った。

守叔父さんはその医師の言葉は理解できた様子で、笑顔で、

 

「デキル、ウンテン。
ジョシュセキ ノル!」
(できる、運転。
助手席、乗る?)

「ダイジョウブ、デキル」
(大丈夫、出来る!)



と、平然と答えた。 

「実技」という手段で、運転できる事を証明しようと考えるとは、、、。

まさかの答えに、私は、苦笑いする他なかった。

そして、医師は守叔父さんに対して、

 

「私が言っている事を
豊田さん、あなたは理解できていない。
と言う事です。

理解できないから、
運転してはいけません。」



と言った。

あまりにも不躾な言葉が並んだけれども、守叔父さんの表情には憤りや怒りはなかった。

一見では、守叔父さんに対して語りかけているようであるが、その言葉による守叔父さんの反応を私に見せるための行為なのかもしれない。

医師の強い口調に対して、まったく怯(ひる)むことなく、守叔父さんは、幼い子供が、「僕、自転車に乗れるよ!」と言っているような口調で、

 

「ダイジョウブ、
デキル、ジョシュセキ 
ノル ワカル」
(大丈夫、
できる、助手席
乗る 分かる)



と繰り返して言いながら、平素な感じで笑っていた。

その残酷な告知を受けたのにもかかわらず、そのことが理解できずに笑顔でいられる守叔父さんを見て、私は涙が止まらなかった。

(終わり)


終わりに際して

「泣けない人(うろ覚えの診察室編) その1」
「泣けない人(うろ覚えの診察室編) その2」

これは現実的には病院内で起こった事ではありません。 

後日、断片的に別々の人々との会話が入り混じった記憶となります。

時間経過と共に、私の記憶が改ざんされて変質した結果としての私の記憶を元にして記したものとなります。

実際に私が経験した事柄ですので、創作したストーリーではありません。

長期にわたり、本ストーリーをお読み頂き、誠にありがとうございました。

次週からは、認知症と分かった後の話を時系列にとらわれずに、思い出すままに書いていこうと思います。

よろしくお願いいたします。

以上
 

2025年6月18日水曜日

「泣けない人(うろ覚えの診察室編) その1」 

私の覚えている記憶をもとに病院での出来事を記します。

残念ながらボイスレコーダーに残されたものとは異なるものです。

「泣けない人(病院編)」 その8 の部分から時間的に重複します。
 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「泣けない人(うろ覚えの診察室編) その1」 

病院の診察室で、守叔父さんの認知機能の問診中。

医師による質問に対して、守叔父さんが答えるという会話のキャッチボールが続いている。

医師の質問は難しいものではなかったが、守叔父さんの誤答が続いていた。

一問、一問と誤答が増えていくことにより、守叔父さんの認知機能の低いことがどんどん明らかになっていった。

問診の一つなのだろうが、おもむろに医師が、守叔父さんの目の前に人差し指を差し出した。

そして、

 

「右手の人差し指で、この指をタッチしてください。
次に、自分の鼻をタッチしてください。」



と医師が言った。

守叔父さんは、何?って顔をして、なかなか、行動に移さなかった。

医者とはいえ、他人の指に自分の指をタッチするのは、嫌なのだろうか・・・?

少し時間をあけた後、

 

「指にタッチしてください」



と再度医師は言った。

守叔父さんは、

 

「ワカラナイ」


と答えた。

単純な指示を守叔父さんが理解できなく、そのため、指示通りの行動ができなかったようだ。

私は、「単純な指示を理解できないことが判明した。」ことによって、とても大きな精神的なショックを受けたのだった。

続いて、医師は一枚の紙とペンを守叔父さんに渡して、

 

「この紙に、四角形を描いて、
その四角形の中に丸を描いてください。」



と言った。


 

「(ペンを手に取ると)
ナマエ?」



と言った後、漢字で「豊田守」と紙に書いた。

「丸」「四角形」という言葉も理解できない様子だった。

これまた、単純な指示を理解できないことが明らかとなった。

守叔父さんがごく単純なことが、たて続けにできないことが明らかになり、私は再度精神的なショックを受け、気が遠くなるように感じた。

ここ数日を共に行動していた守叔父さんは、この様な単純なことすらできない人になっていたと思うと、残念で、残念で、堪(たま)らなくなった。

これ以上、調べても意味ないのでは?とも感じたが、医師による問診は続いた。
 

「今から三つの言葉を言いますので、
覚えて下さい。後ほど、聞きますので、、、。


「◯◯」、「◯◯」、「◯◯」」

 



 

 

いくつかの問診が続いた後、

医師は、

 

「先ほど、覚えてもらった
三つの言葉は何ですか?」



と言った。

守叔父さんは何の事だろう?という顔をして、

 

「ミッツノコトバ?」
(三つの言葉?)



と語尾を上げて疑問形で答えた。 覚えていないようだ。

 

「三つの言葉は、何でしたか?」



と再度、医師が言ったが、守叔父さんの口からは言葉が出てこなかった。

医師は、答えられない事を確認すると、カルテに問診の結果を書き込み、

 

「問診は以上です。
お疲れさまでした。」



と言った。

 

(つづく)

2025年6月11日水曜日

梅雨時期ですね!

梅雨時期の楽しみの一つとして、「アジサイ」がありますね。

 

街角の「アジサイ」がチラホラ咲き出して嬉しく思います。

 

自宅の「アジサイ」も徐々に咲きはじめました。

 

もう少しすると色付くでしょう!

 

楽しみです!

 

ミニトマトも実り、熟すのを待っている状態!

 

早く赤く色付いて欲しいものです。

 

ブルーベリーも少しずつ果実がふくらんできました。

甘くなるのが待ち遠しいです。

 

2025年6月4日水曜日

人の記憶とは、「いい加減」なものである!!

ブログをご覧の皆様へ

皆様からたくさんの「いいね」を頂き、それを糧に今日までブログを書き続けてこれました。

感謝しております。

「泣けない人」と題したストーリーは、もうすぐ終わることになるはずなのですが・・・。

筆が止まってしまいました。

私は、二年前に本ストーリーの結末の文章を頭の中で練って、その内容をもとに「泣けない人」というタイトルを付けて執筆をはじめました。 

その時に練った文章は、病院での出来事をもって終わるものでした。

そして、今日現在、その文章を文字にして結末にしようとしました。

と言うか、結末の文章(病院での出来事)だけは当時の記憶を頼りに数か月前に書き終えていましたが・・・。

結末の部分だけを書き終えた時点では、タイトル通りの結末となり、無事に書き終えることができるだろうと思い「ホッと」していました。

ノンフィクションとして、正確に記すことを主眼に書き進めてきましたので、病院内での出来事を正確に記すために、改めてボイスレコーダーを聞き返すことにしました。

ボイスレコーダーに記録されていたものは、結末として書いた文章(私の記憶)と違っていました。

執筆を始めたのは、現実から二か月程経った時でしたが、その時にはすでに「記憶違い」がはじまっていたようです。

そのため、ノンフィクションとして文章にすると、「泣けない人」というタイトルとはならないことが判明しました。

つまり、自分の記憶が「いい加減」であるためにノンフィクションでは「泣けない人」と題したストーリーを完結させることができなくなってしまったという事です。

私自身の記憶通りに記したものをノンフィクションと言うならば、ノンフィクションかもしれませんが、ボイスレコーダーに残されたものとは違う事になります。

筆が止まったのは、そのどちらを優先すべきか葛藤したためです。

「泣けない人」というタイトルを優先するか、それとも、ボイスレコーダーの事実を優先するか・・・。

もう一週間、考えたいと思います。

よろしくお願いいたします。
 

2025年5月21日水曜日

「泣けない人(病院編)」 その16

 


16.上京八日目.16


守叔父さんが認知症であると診断され、そのショックのため、しばらく医師の声を上の空で聞いていたが、徐々に自分を取り戻していた。

今後の対応として、病院から地域包括支援センターへ連絡を入れてもらえるのかどうかと確認すると、個人情報保護の問題で、病院からの連絡はできないとのことであった。

私自身で、支援センターへ行き、病院での診断結果を説明しなければならないようだ。

診断結果を正しく説明するために、診断書があれば良いだろう。

医師は、

 

「診断書は必要なら作成しますけど、
(支援センターへの)相談には必要ないです。」

 


と言った。代わりに、相談時に伝える必要のある情報を整理し、

 

「認知力検査は30点満点で5点。
高度認知症。
CTで脳が萎縮していることを確認。
前頭側頭型の認知症。

と(包括支援センターに)伝えてください。」



と医師が言った。 続けて、

 

「言葉が難しくて、説明が難しいと思いますが、、、。」



との医師の言葉。 

私には聞き慣れない言葉は、なかなか覚えられない。 CT画像と同じように、カルテの写真があればな・・・。と思い、カルテを指差して、

 

「(カルテの)この部分の写真を撮って良いですか?」



と聞くと、

 

「ああ、良いですよ!
そうですね、
写真があれば、
(診断書が無くとも、)
説明ができますね!」



と快諾してくれたので、スマホで撮影することにした。

スマホを取り出した手は、震えていた。
手ブレを少なくするために、呼吸を整えて、ゆっくりとシャッターを切った。

無事にカルテの撮影ができると、包括支援センターでの説明が容易になると考え、心に少しの余裕ができた。

すると、ふと、昨日の事を思い出した。

昨日、一昨日は、守叔父さんの家の中を家探しして、いくつかの書類を見つけたのだった。
その中の書類について、

 

「叔父さんの家で、
税金関係の書類を見つけました。
税金の納付催促の通知が、
たくさん届いており、
多額の税金滞納があることがわかりました。」



と医師に伝えた。

医師は、

 

「税務署は嘘つかないから、
金銭トラブルがあるのは事実でしょう。
診た限りでは、(医師の判断として、)
本人には、(税金の)支払い責任能力が無い。
役所に相談した方が良いですね。
そうじゃなきゃ、借金を背負うことになる。」



と言った。

確かに、認知症という病気によって金銭的にプラスになる事よりマイナスになるリスクの方が高いだろう。

包括支援センターだけではなく、税務署などの役所にも相談が必要だな・・・。と、今後の対応が多岐に及ぶことを理解した。

医師としてのアドバイスは、出尽くしたようであり、守叔父さんに関わる一連の診察がすべて終わったことになった。

(つづく)
 

2025年5月14日水曜日

「泣けない人(病院編)」 その15

 


15.上京八日目.15


守叔父さんが診察室から出ていくと、医師はすぐに話し始めた。

 

「見ての通りですね。
(認知機能検査は、)
30点満点の5点ですね。
高度の認知障害ですね。
かなり認知症がひどいですね。

とてもじゃないけど運転なんか
怖くてさせられないですね。」



と言った。 30点満点の検査で得点はわずかの5点。 

脳のCT検査の結果が先に説明されており、脳の萎縮がひどい事が分かっていたものの、口頭による問診が始まる直前までは、これ程ひどい点数になるとは想像していなかった。

なぜなら、守叔父さんは、クルマをスムーズに操作し、目的地に移動することができる能力があり、クルマの運転は、簡単な事ではないと思っていたからだ。

しかしながら、問診の最中、守叔父さんの誤答が一つ、二つ、・・・。と徐々に積み重なることによって、どんどんと「認知症」の可能性が高くなり、また、その深刻度が高いことが判明していった。

医師の口から「認知症」という確定診断が出て、実際にその言葉を聞くと、体は言う事が利かなくなって、自然とむせび泣いていた。

私は心では冷静さを保とうと必死にもがいていたのだけれども・・・。

目頭からは涙が溢れて流れ落ち、くちびるの横を伝わりさらに下に流れてアゴから垂れ落ちそうになっていた。

慌ててポケットからタオルハンカチを出して涙を拭った。


医師は、

 

「おつらいでしょうけれどね・・・。」



と労(いた)わってくれた。 続けて、残念そうに、

 

「(医師としては、治療の方法が無く)
何もしてあげることができない。」



と言った。

そして、私が落ち着くために、少し時間をあけた後、

 

「年齢はぎりぎり65歳。
若年性認知症は65歳未満。
発症時は、若年と推測。」



と医師は事務的な口調で言った。

私は、今後の事を考えるために、

 

「(叔父は、)要介護状態という事ですね?」



と質問した。

医師は、

 

「いくら体が動いても、要介護ですね。
ご家族、ご親族で相談し、どうするか
考えなければ・・・。
一人でおいておける状態ではない。」



と言った。 そして、一般的な話しとして、認知症によって起こりうるトラブルについての話しを続けた。

医師の話では、

 

「認知症の場合、トラブルが発生しても、本人から状況を聞きだすことが厳しい。
相手方にも言い分があり、水掛け論になることが多い。

騙されたと本人が言っても、相手方は騙していた訳でなくて、色々と面倒を見てくれていた可能性があるかもしれない。

相手方が善意でやった事を 逆恨みされていたら、むしろ相手方の方が、迷惑して怒っている場合もあるかもしれない。

本人が言っている事自体を、本人が理解できていない可能性がある。

金銭トラブルの例として、買い物がうまくできなければ、万引きとなり犯罪を起こすことになる。

つまり、本人が悪い事をしていると思わなくても、犯罪を起こすこととなり、刑事訴訟の問題が起こる可能性も十分考えられる。

ただし、病院にて認知症と診断された後に発生した場合は、免責となる。」



との事。

つまり、介護がなければ、犯罪につながるトラブルが起こる可能性が高く、また、すでにトラブルが発生していることも考慮しなければならないということである。

介護に関しては、地域包括支援センターに頼らなければならないだろう。

(つづく)
 

2025年5月7日水曜日

「泣けない人(病院編)」 その14

 


14.上京八日目.14

守叔父さんの指差す先を、医師はまじまじと見ていた。 しかし、そこに異常を見出せないでいた。

まさか、「シミ」の相談を受けるとは思いもしていないだろうから・・・。

医師は、

 

「どこも悪そうに見えないけど?」



守叔父さんは、

 

「ココ、
ココ、
ココガ、
ナンカ、
ヘンナノガ、
イッパイ
オカシイノ。」
(ココ、
ココ、
ココが、
何か、
変なのが、
一杯、
おかしいの。)



と執拗に言った。

しかたなく医師はもう一度、守叔父さんの腕を見直した。 

まさか・・・という表情で、

 

「このシミの事?」



と医師が言うと、守叔父さんは、

 

「ソウ!」
(そう!)



と答えた。 医師は、少し呆れた表情をしつつも、丁寧に、

 

「歳とったからシミができてるの。
みんな歳をとると出来るの。
大丈夫。 心配ない。
誰でもあるよ。
歳とるとシミはできるから。
心配ない。
大丈夫よ。」



と言った。 守叔父さんは納得せずに、

 

「イヤ、ナンカ、
コウイウノヲ、
チャントシテ、
チュウシャ トカ、
ナンカシテ、
キレイニ 
ナリマスヨッテ、、、。」
(いや、なんか
こういうのを、
ちゃんとして、
注射とか、
何かして、
綺麗に
なりますよって、、、。)



と、「シミ」の治療法があるはずと伝えようとした。 

医師は、少し柔和な表情になり、笑い声を発しながら、

 

「それは、もう、今、歳なんだから。
もう、それは、無駄な抵抗はしなくていい、
男なんだから・・・。」



と言った。

 

「ソウナノ? 
デモ、オレ、ヒョットシタラ、
アンタ、サンジュッサイ トカ、
ニジュウハッサイ トカ、
ジッサイハ ロクジュウ ゴサイ。
コレ、アルト、、、。
ナイト、サンジュッサイ トカ、
ニジュウハッサイ トカ、
イワレル。」
(そうなの?
でも、俺、ひょっとしたら、
あんた、三十歳とか、
二十八歳とか、
実際は六十五歳。
コレ有ると、、、。
無いと、三十歳とか、
二十八歳とか、
言われる。)



と言った。

守叔父さんは、自分が周囲の人から若く見られたいという欲求を一生懸命に伝えようとしていたのだった。

医師は守叔父さんのジョーク話しと捉えたようで、ひと笑いした後、

 

「はい、大丈夫!」
 


と言って、診察を切り上げた。

医師の表情には、「シミ」より別の問題、大きな問題があるでしょう・・・。と
言いたそうな雰囲気が滲んでいたけれど、さすがに、言葉にはならなかった。

代わりに、

 

「お疲れさまでした。
診察が終わりました。
この後、甥御さんとの話しがありますので、
しばらく、待合室でお待ちください。」



と、少し冷ややかな事務的な口調で言った。

守叔父さんは、少し不服そうな顔をしていたけれど、医師の指示に従って、診察室から出ていった。

(つづく)
 

2025年4月30日水曜日

「泣けない人(病院編)」 その13

 


13.上京八日目.13


守叔父さんは、図形(四角形、丸、三角形)を描くことができたことに満足したようで、笑っていた。

その笑いに水を差すようなタイミングの医師の言葉であった。

 

「さっき、僕が言った言葉、覚えてる?
三つの言葉!って」



守叔父さんは、笑うのをやめて小さな声で、

 

「ミッツノコトバ?」
(三つの言葉?)



と疑問形の返事をした。

私は沈黙しながら医師と守叔父さんのやり取りを直近で聞いていたが、守叔父さんと同様に問診を受けていたような状態だった。 そのため、三つの言葉を頭の片隅に置いていた。

このタイミングなんだ!と感心しつつ、もう忘れても良いんだとの安心感から、鼻から深く息を吸い、そして、ゆっくりと口から息を吐いた。

守叔父さんは、数秒間、沈黙した。 その後、分からない事を誤魔化すような笑い声をあげた。

医師が、「三つの言葉を覚えて下さい。」と言った事を守叔父さんは理解できてない様子だったので、正答を期待していなかった。

期待通りというか、「梅」「犬」「自動車」のどれ一つの言葉も出てこなかった。

「クルマ」だけは答えられれば良いのにな・・・。と淡い期待もあったが、その言葉も出てこなかった。

数秒間の時間が過ぎ、守叔父さんが答えられないと判断したところで、問診のすべてが終わったようだ。

医師がゆっくりな丁寧な口調で、

 

「はい、お疲れさまでした。

お疲れですね。」



と言った。 

その医師の言葉には「大変な作業をさせてしまったため、疲れさせてしまった。ごめんなさいね。」という感情が含まれているように感じた。

守叔父さんは、医師からの問診が終わったことを理解したようで、自分の言いたいことを言える自分のターン(順番)が回ってきたと考えたようで、マイペースに語り出した。

 

「オレ チョット サッキ イロンナ  カイロ ニ イッテ
ソレカラ ゼンブ キレイニ ナッテ、、、。」
(俺、ちょっと さっき、色んな カイロに行って
それから 全部 綺麗に なって、、、。)



医師は、守叔父さんの話しを理解しようと耳を傾けて必死に聞いてくれた。

途中、よく分からない話しが続いたが、守叔父さんが、腕の当たりを押さえながら、

 

「コノヘンガ、チョット、
ヘンナ トコロガ アッテ」
(この辺が、ちょっと、
変なところが有って)



と言った。

そうだ、守叔父さんを病院へ連れてくるときに、「腕のシミを治して貰えるかもよ!」と伝えていたのを思い出した。

医師に、守叔父さんを病院へ連れてくる際に「シミ」の治療を理由にして本院に連れてきたと伝えるのを失念していたのだった。


医師は、

 

「そこは全然、診てないから、
診察してないから。」



と言うと、守叔父さんは、ワイシャツの手首のボタンを外して、シャツの袖をまくり上げて、腕の「シミ」を医師に見せはじめた。

 

「ココ ヘンナンデス。」
(ここ 変なんです。)



と言った。

医師は、少し困惑した表情で、

 

「なんか有るの?」



と言った。

私は、内心、皮膚科医でない医師に、「シミ」の相談をしても無駄なのだが・・・。 と考えたが、医師ならばなんらかの対処があるかもしれないと少しだけ期待しつつ、面倒な話しに巻き込んでしまったことを申し訳ないと思った。

(つづく)
 

2025年4月23日水曜日

「泣けない人(病院編)」 その12

 


12.上京八日目.12


医師の指示した言葉には、「書いて」との指示はないのだが・・・。

 

「ここに、二種類の紙があります。

小さい方の紙を取って半分に折り、
大きい方の紙の下に入れてください。」



と言われて、守叔父さんは、紙面に何かを書こうとしたのだった。

「大きい」「小さい」が理解できないのだろうか?

それとも、「半分」「折る」が分からないのだろうか?

それとも、「下」が分からないのだろう・・・?

医師の言葉は、簡単な指示の言葉ではあるが、色々な要素の含まれた文章であり、それぞれの言葉が正確に理解できなければ、指示通りの行動はできないという事だ。

医師は、できないと判断し、

 

「はい、良いですよ。」



と言うと、守叔父さんは、

 

「チョット、ムズカシイ。」
(ちょっと、難しい。)



と言った。

医師は、

 

「あっそう、ごめんね。
あと、ちょっと。」



と言って、問診を続けた。

今回の問診は口頭による指示ではなく、紙面に文章で、「時計を探してください。」と書かれたものであった。

守叔父さんは、その文章を音読した。

 

「エーーット、
ナニヲ サガシテクダサイ。 」
(えーーっと、
何を 探してください。)



「時計」を読めずに、「ナニ」と置き換えて音読したのだった。

探す対象の品名を読めないという事は、探しようがないが・・・。

「探して」という文字を読めたので、「探して」の意味が理解できれば、「何を探せば良いの?」などと逆に質問できるだろうが・・・。

「探して」という文字は読めても、その意味を理解できないという事だろう。

時計を探す仕草をせずに、すぐに、

 

「ワカンナイ。」
(分かんない。)



と守叔父さんは言った。 


「はい」と返事をした後、医師は続けて、机上の紙面を指差して、
 
 

「ここに、一言、文章を書いてください。
なんでも良いので、一言、一文、
ここに文章を書いて下さい。」



と言った。 今度こそ、サインペンを手に取って、その紙面に文字を書けばよいのだ!

しかし、守叔父さんは、

 

「ジブンノ・・・。」
(自分の・・・。)



と言って、自分の名前を書こうとした。

医師が再度、

 

「何でもいいので、文章、
意味は無くていいので、
一文、文章を書いてください。」



と言った。 しかし、守叔父さんの手は動かず、何も書かずに、

 

「ブンショウッテナニ?」
(文章って何?)


と小声で言った。 続けて、

 

「ワカラナイ」
(分からない)



と言って、そして、分からない事が恥ずかしいのか、笑い声をあげた。

医師が「はい」と返事し、次の問診へ、

 

「これを写して下さい。」



と言って、簡単な図形を見せた。

図形は、四角形の中に、丸、その丸の中に三角形が描かれているものであった。

守叔父さんは、何をすれば良いのかすぐに理解したようで、サインペンを手に取って、その図形を模写しはじめた。

ペン先の進みは遅く、小刻みにゆれてミミズが這ったような線であった。

それぞれの図形の大きさのバランスは、お手本とはだいぶ違うものとなったが、大きい順に四角形、丸、三角形が描かれていた。

図形を書き終わると、医師は、

 

「さっき、僕が言った言葉、覚えてる?
三つの言葉!って」


と言った。

「梅」「犬」「自動車」と答える質問であるが・・・。

さて、守叔父さんは答える事ができるのだろうか・・・?

(つづく)
 

2025年4月16日水曜日

「泣けない人(病院編)」 その11

 


11.上京八日目.11

 

「100から7を引くと、いくつですか?」



との医師の質問に対して、守叔父さんは、「93」と答えるところを、

 

「ヒャクカラ、、、。
ナナ、、、?」
(百から、、、。
七、、、?)



少し間があって、

 

「ボクハ、モウ、
ロクジュウロクサイ
デスケド。」
(僕は、もう、
66歳
ですけど。)

 


と、答えたのだった。

その答えに、私は唖然とした。

簡単な引き算ができないとは・・・。

おそらく、「引く(引き算)」という言葉が理解できないという事だろう。

「いくつですか?」の部分のみを理解し、年齢を聞かれたと判断したのだろう。そして、自分の年齢を答えたのだろうと考えると納得できた。 

そして、「100 - 7 = 」と数式(文字)を書いて問えば、「93」と答えることができるのだろうか・・・? などと疑問が湧いていたが・・・。


医師は、できないと判断し、次の問診へ進んだ。

 

「では、今度は見せる物の名前を言ってください。
良いですか?
はい、これ何?」



と言って、ホッチキスを目の前に出した。

守叔父さんは、

 

「ポチットスルヤツ」
(ポチッとするやつ)



とホッチキスを使う仕草をしながら、すぐに答えた。

医師が、

 

「名前は?」



と再度、質問した。 しかし、守叔父さんはなかなか答えず、少し間をかけて、

 

「ナマエ、、、?
イエデ ポチット」
(名前、、、?
家で、ポチッと)



守叔父さんの口からは連想ゲーム的な言葉が出てくるだけで、「ホッチキス」との名称は出てこなかった。

続いて、医師が、

 

「言葉で言うのをマネしてくださいね。」



と言った。 守叔父さんは、即座に、

 

「ハイ」



とシャキッとした返事をした。 

守叔父さんの返事に対して医師がうなずいた後に、

 

「みんなで、力を合わせて綱を引きます。」



と言った。 守叔父さんは、返事の「はい」とは異なり、たどたどしい言葉で、

 

「ミンナデ、 アワセテ 
ツナ ヲ ヒキマス。」
(みんなで、合わせて
綱を引きます。)



と言った。 惜しい、「力を」の部分が抜けた・・・。

短い言葉を反復することもできないという事だろう。


つづけて、医師は、

 

「ここに、二種類の紙があります。

小さい方の紙を取って半分に折り、
大きい方の紙の下に入れてください。」



と言った。

すると、なぜか、守叔父さんは紙を手に取らず、机上のサインペンを取り上げたのだった。

なぜ、サインペンを取ったのだろう・・・?

サインペンを手にした守叔父さんは、左手で紙を押さえて、書く準備をした後、医師の顔を覗き込み、

 

「ナニヲ カケバ イイノ?
ジブンノ トヨダ トカ?
カケバ イイノ?」
(何を書けば良いの?
自分の(名前) 豊田とか?
書けば良いの?)



と言ったのだった。

(つづく)
 

2025年4月2日水曜日

「泣けない人(病院編)」 その10

 


10.上京八日目.10

守叔父さんは、「病院」「都道府県」「区」が分からないことにより、「認知機能の問診」の誤答が連続した。 

こんな簡単な問いにすら答えられないとは・・・。

クルマの運転が上手にできて、いろいろなところに遊びに連れて行ってくれた守叔父さんの認知力が、私の想定よりも低いことが分かりつつあった。

続く医師の質問、

 

「今、ココ、何階ですか?」



と聞かれた。

守叔父さんは、イトーヨーカドーの立体駐車場などで、階数を間違うことなく行動していたので、正解するだろうと期待した。

守叔父さんは、

 

「イッカイダヨネ。」
(一階だよね。)



と、私の期待どおり、すぐに答えてくれた。

医師は続けて、

 

「あなたが今住んでいるのは、東京ですよね?」



との質問をした。守叔父さんは、「はい」と答えずに、

 

「ココジャナクテ・・・。
ムコウニ、イッタンデスヨ。
ココガ、コッチデショ。
チョットムコウノ・・・。」
(ここじゃなくて・・・。
向こうに、行ったんですよ。
ここが、こっちでしょ。
ちょっと向こうの・・・。)



と、身振り手振りを含めて何らかの答えを伝えようとしているものの、その言葉の意味を私は理解できなかったし、医師も理解できなかっただろうと思う。

守叔父さんは、「今」「住んでいる」「東京」のいずれかの言葉が分からないのだろう。

医師は、守叔父さんの話しが終わるのを待ってから、

 

「今から、三つの言葉を言うので、
覚えてください。」



と言った。 守叔父さんは、理解したように即座に、

 

「ハイ」



と返事した。 医師は、復唱を求める仕草をしながら、

 

「梅」


 

「ウメ」


 

「犬」


 

「イヌ」


 

「自動車」


 

「ジドウシャ」



と医師の言葉に続いて、守叔父さんが復唱した。

続けて、医師は、

 

「梅、犬、自動車、
はい、言ってみて。」



と三つの言葉を続けて言い直して、復唱を求めたが、守叔父さんは復唱せずに、

 

「ウメモ、イヌモ、イナイ。
タダ、ジドウシャダケ、ヒトツ。」
(梅も、犬も、いない。
ただ、自動車だけ、一つ。)



と答えた。 「覚えてください。」との指示を理解できないようだ。

その指示を理解せずに「ハイ」と返事していたことになる。 

三つの言葉の物を、守叔父さんが所有しているかどうかの質問だと勘違いしているのは明らかであった。

確かに、自宅に梅の木はないし、犬も飼っていない。 クルマは一台所有している。 
 
医師は、再度、

 

「この言葉を覚えてください。
あとで、聞きます。」



医師は、あとで聞きますと言った直後に、

 

「はい。 私、何て言いました?」



と言った。 守叔父さんは、今度も「覚えてください。」を理解できず、

 

「コノ、ミッツノウチノ
ヒトツダケ。」
(この、三つのうち
一つだけ。)



と、それらの物を所有しているかどうかにこだわった回答をした。

しかたなく、医師は、

 

「なんて言葉?」



と聞いた。 守叔父さんの答えは、「梅」「犬」「自動車」の三つの中からの一つではなく、

 

「クルマ ダヨネ。」
(車だよね。)



と答えたのだった。 「自動車」「車」は同じ意味であるが、言葉は違う・・・。 正答となるのだろうか・・・?


医師は、他の二つの言葉を答えられないと判断し、次の質問をした。

 

「100から7を引くと、いくつですか?」



守叔父さんの口からは、「エッ」と思う答えがかえってきた。

(つづく)
 

2025年3月26日水曜日

「泣けない人(病院編)」 その9

 


9.上京八日目.9


「認知機能の問診」が続いた。

医師は、

 

「今日は、何曜日?」



と聞いた。 守叔父さんは、

 

「キョウハ、ゲツヨウビ、ダ・ヨ・ネ。」
(今日は、月曜日、だ・よ・ね。)



と、私の顔を見て、確認するような素振りをしながら答えた。 

守叔父さんは、「私と月曜日に病院へ行く。」という約束をして、この場にいる。

曜日感覚には問題ないと思っていたので、正しい答えが戻ってきて良かった。 

はじめての正答となった。

医師は、うなずくと続けて、

 

「(今日は、)何月何日?」



と質問した。

守叔父さんは、

 

「エーット、
ジュウニガツノ・・・。
チョット、マッテ、
ワカンナカッタ。」
(えーっと、
12月の・・・。
ちょっと、待って、
分かんなかった。)



と言って、胸ポケットからスマホを取り出した。まさか、「認知機能の問診」でカンニングしようとするとは・・・!

たしかに、守叔父さん本人は、健康診断として来院しているため、「認知症の検査」とは認識していないのだが・・・。 

医師は、守叔父さんがスマホで日付を確認するのだろうと察して、

 

「いいですよ。どうぞ、調べて!」



と、スマホを使う事をうながした。 

「認知機能の問診」において、スマホ利用などのカンニングはどのように評価されるのだろう・・・?

スマホを使えるかどうかも判断材料の一つなのかもしれないな・・・、とも考えた。

守叔父さんは、少しバツが悪そうにヘラヘラ笑った後、スマホのカレンダーを見ながら、

 

「ジュウニガツノ
ムイカ。」
(12月の6日)



と答えた。

医師は、拍子木を叩いたような感じの声で、

 

「はい、正解です!」



と言った。 カンニングOKのサービスにより、二つ目の正答となった。

続けて、医師は、

 

「ここは、なんてところですか?」



と質問した。 「病院」と答えるところだが、守叔父さんの口からは、

 

「・・・。」



数秒待ったが、言葉が出てこなかった。 

医師は、少し簡単な質問へと変更して、

 

「(ここは、)どんなところですか?」



と、質問し直した。


「病気を治すところ」などと答えるところを、守叔父さんは、

 

「ワカンナイ」
(分かんない)



と言った後、私を指差し、

 

「コノヒトカラ、
キタ、
ナニ?」
(この人から
来た、
何?)



と言った。 守叔父さんは、私が連れてきた場所だからという理由で、私に質問の答えを言わせようとしたようだ。 

「私と月曜日に病院へ行く。」という約束をしたのに、「病院」という言葉が出てこなかったのであった。

医師は、答えられないと判断し、次の質問に進んだ。

 

「今、あなたの住んでいるところの都道府県は?」


 

「トドウフケン?」


 

「何区に住んでいるのですか?」


 

「ナニク?」



と、医師の質問に対して、その言葉の語尾を上げた質問形式で守叔父さんは答えた。

「都道府県」「区」という言葉も理解できないようだ。

守叔父さんに会った初日、宿の住所をLINEで伝えたら、颯爽と宿の玄関前に迎えに来てくれたのに・・・。

「都道府県」「区」を理解できない人が、伝えた住所をどのように理解して、迎えに来たのだろう・・・?

(つづく)
 

2025年3月19日水曜日

「泣けない人(病院編)」 その8

 


8.上京八日目.8


「豊田守さん、お待たせいたしました。どうぞ!」


と看護師さんの声が聞こえた。

その声を待合室で聞いたであろう守叔父さんは、すぐに診察室に入ってきた。

診察室に入ってきた守叔父さんは、ニコニコの笑顔だった。

看護師さんに声をかけられただけで、気を良くしたのだろうか・・・?

ただ単に、人当たりが良いだけなのだろうか?

医師と正対しても、守叔父さんの表情は笑顔のままだった。

私ならば白衣を着た人に初めて会う際は、少し緊張した表情になると思うが、守叔父さんは変わらずに、ニコニコしていた。

 

「こんにちは。
はい、豊田さん、どうぞ。」



と医師が挨拶をして、着席をうながした。 続けて、

 

「今日、体のことを色々、
調べさせてもらってますから、
最後に、質問しますので、
質問に答えていただけますか?
よろしいですか?」



と言った。 早速、認知機能の問診がはじまるようだ。

 

「豊田守さん、今年って何年ですか?」



最初の質問は、西暦または元号の年数の質問であった。 当然、「今年は、2021年です。」または、「令和3年です。」と答える質問であるが・・・。 守叔父さんは、

 

「ロクジュウゴ
デスケド。
コトシハ・・・。」
(65ですけど。
今年は・・・。)



と、自分の年齢を答えてしまった。 最初の質問から誤答してしまった。

数日後に誕生日を迎える叔父さんは、もうすぐ66歳になる事を伝えようとしたが、

医師がその言葉をさえぎって、

 

「年齢じゃなくて、
今年は何年ですか?
今年って、年号!」



と再度、質問した。

すると、守叔父さんは、小さな声で、

 

「ワカンナイ。」
(分かんない。)



と言った。 そして、分からない事が恥ずかしいからなのか、少し、ヘラヘラした表情で、声を出して笑った。

医師は、質問を続けて、

 

「今の季節は?」



と質問した。 今日は12月6日、当然、「冬」が答えである。

守叔父さんは、

 

「キセツ?」
(季節?)



と語尾を上げて、疑問の返事をした。 「季節」が理解できないようだ。


医師が、確認のため、

 

「分からない?」



と言うと、守叔父さんは、うなずき、そして、首を横に振って「ワカラナイ」と意思表示した。 

2問続けての誤答となった。

私は、「季節」という言葉も理解できないんだ・・・。と残念な気持ちになった。

私は、守叔父さんが冬場であるにもかかわらず、駐車時、クルマのサンシェードを使っている事が不思議で、疑問であった。

そして、守叔父さんは、「季節」という言葉だけが分からないのではなく、「季節感」そのものも理解できないために、冬場にクルマのサンシェードを使っているのかもしれないと考えると納得できた。

(つづく)
 

2025年3月12日水曜日

「泣けない人(病院編)」 その7

 


7.上京八日目.7


医師は少し間をおいてから、ゆっくり話を始めた。

 

「この後、認知機能を調べますが、
もし、認知症などとしたら
『前頭側頭型認知症』の中の、
『陰性質認知症』という
意味や言葉が先行して分からなくなる
タイプ(の認知症)なんですけれども。

治療法って何にも無いんですよ。

異常な行動をする時に抑える精神薬と
抑制する薬しかなく、
その薬を使うかどうかは賛否両論あり、
使わなくちゃだめだ、いや、
使っちゃだめだかいう事で、
(治療として)認められた薬は無い。

 行動を制限する薬しか無く。」



医師は、苦笑いしながら、続けて、

 

「困っちゃう病気の一つですね。」



と言った。 

治療法が無く、改善の余地の無いとされる病気を診断することは医師にとって、辛い事だろうと察した。

いつから病気になっていたのだろうかという疑問が出てきたので、

 

「現在のこの脳の物理的な状態から
推察して、2年、3年前には
すでに病気がスタートしていたと
考えられますか?」



と質問した。

 

「そうです。少なくとも突然1年、2年位で
急になる(病気)ものではないので、
潜伏時期が相当あったと思います。

と言っても、誰がいつ、それ(認知症)を
見つけるかは(難しい)、
本人が自覚していないのだから・・・。」



この病気は年単位の時間を掛けてゆっくりと徐々に進行するものだと分かった。 今後も急に悪化するものではないのだろう。

たしかに、自覚症状のない病気は、本人が気付きにくく、周囲の人間も見つけにくいだろう。 

守叔父さんは、自覚症状がない。 脳に障害があることを自覚せずに生活をして、クルマの運転もしている・・・。

自覚症状のない病気は怖いな・・・。 

そして、私は、この数日間、ある意味で「棺おけ」に半分足を突っ込んだ状態で、守叔父さんとのドライブを楽しんでいたのだろうか・・・?と考えて、少し背筋がゾッとした。 

その恐怖心は、放心状態から我を取り戻すきっかけになった。

頭を少し振って、肩を少し動かして、その恐怖感を振りほどくと、「今、すべきことは何? と自問自答した。」

問診票の裏に書いたメモの事を思い出し、医師が、そのメモを見てくれたかどうかを確認していない事に気がついた。

 

「問診票の裏面に、

気付いた事をメモしたのですが、、、。」



と伝えた。

医師はメモに気付いていなかった様子だった。問診票を裏返して、メモを確認し、黙読しながら、

 

「”表”、”裏”、”右”、”左”が
分からないのは前頭側頭型認知症の
特徴的な症状です。

数字の単位や桁が分からないのも
そう(特徴的)なのです。」



と言った。

私の気付いた事は、それぞれ「前頭側頭型認知症」の症状に合致する様だ。

地域包括支援センターにて、指摘された通りであった。

一通り、メモを読み終えると、医師は納得した様に、うなずくように頭を一度下げ、その後、私の顔見てから、

 

「では、ご本人に入っていただきましょう。」



と言った。

そして、医師は看護師さんに

 

「ご本人を診察室に通してください。」



と伝えた。


(つづく)


【「陰性質認知症」とは、はじめて耳にする言葉であったため、当日は聞き逃していました。 そのため、言葉の意味を医師に尋ねる事はありませんでした。
認知症には、陽性と陰性と言われる症状がある様です。】
 

2025年3月5日水曜日

「泣けない人(病院編)」 その6

 

 


6.上京八日目.6

モニターに映るCT画像をスマホで撮影させて貰った。

この画像があれば、豊治叔父さん、めぐみ叔母さんへの守叔父さんの状況報告の一助となり、うまく伝えることができるだろう。

言葉で伝えることの難しい部分を、写真が代弁してくれることを期待する。

撮影後、医師が血液検査の書類を見ながら、

 

 

「血液検査では、
血液の中のカルシウムやリンなどの
栄養のバランスが若干悪いという
数値が出ています。

栄養状態があまり良くない。」



と指摘した。

守叔父さんの食生活は、朝食「あんぱん」、昼「カップ麵」、夜「冷凍食品」が繰り返されているようなので、炭水化物中心の食事であり栄養が偏って不健康なのは当然だろう。 

健康診断において、何らかの異常があってもおかしくはないだろうとは予期していたが、血液検査に出る程、長期に渡って不健康な食事を摂っていたという事なのだろうか?

「認知症」を発症したことによって、日常生活が単調となり、ルーチン化された不健康な食生活となっていたのか、ただただ不健康な食事を続けたために「認知症」となったのか・・・?

続いて、尿検査。

尿検査は特に異常なしとの事で、腎臓機能は問題なさそうだ。 

糖尿病を発症していないので、その部分については一安心できた。

CT検査、脳波検査によって、守叔父さんの脳には異常がある事がハッキリと分かったが、ここ数日間、守叔父さんの運転によるドライブを楽しんでいたのも事実である。

脳に明らかな異常が認められるのに、なぜ、クルマの運転ができるのだろうかと疑問が生まれた。

 

「クルマの運転は、、、。」



と医師に伝えると、

 

「(運転できる事が)不思議ですけど、、、。

ただ、信号の意味とか、赤とか方向とか、
表示による字の意味、もしかすると(意味)を
間違えているかもしれないので、
非常に大きな事故を起こすかもしれない
危険が有ります。

運転免許をどうやって取り上げるかは
別の次元の話しになりますけど。

運転して良いかと聞かれたら、
僕はダメですと言います。。

そう言わざるを得ません。

誰が(運転)止めるのか、、、。」



と言った。 私が期待した答えではなかったので、再度、質問を繰り返した。

 

「なぜ、運転ができたのですかね?」

 

医師は、検査結果の書類に目を通しながら、


 

「結構、運動神経は良いみたいで、
バランス(感覚)は良いですね。

脳の障害による平衡障害はありますね。

(しかし、)見かけのバランス(感覚)は良いですね。」



と答えた。

 

私は、バランス感覚が良いという理由だけで運転ができるとは考えないが、医師が「(運転できることが)不思議ですけど・・・。」と言った以上、不可解な事なのだろうと考え、運転ができる理由をこれ以上に深掘りすることはやめることにした。 

運転できる理由が分かっても、分からなくても、どちらにしても、今後、守叔父さんにクルマの運転をさせる訳にはいかないことに違いはないし・・・。

そして、今後、将来の対処方法を模索する方向へ思考を切り替えた。

 

「原因が分かってホッとした
気持ちはありますが、
今後をどう考えれば良いのか・・・・。」



と伝えると、医師は、

 

「脳の異変であることは事実です。」



と再度、念押しをされた。

医師のその言葉から、「治療方法は無い。」との言外の意味を読み取ったので、半ば諦めの心境になりつつ、無駄だとも考えたが、勘違いもあるかもしれないし、現代医学の進歩を信じて、

 

「今後の対処といいますが、
お薬とか・・・。」



と聞いてみた。 

残念ながら、医師はハッキリと、

 

「いや、(脳の)委縮を治す薬はありません。」



と断言したのだった。

その重たい言葉に対しては、

 

「なるほど」



と相づちを打つしかなかった。 現代医学が進歩していても、脳の再生医療はまだできないという事だ。

残念、、、。

私は、少し放心状態になっていた。

(つづく)
 

2025年2月26日水曜日

「泣けない人(病院編)」 その5

 


5.上京八日目.5

脳波検査とは?

2025年2月現在、Googleで「認知症 脳波検査 特徴」を検索した結果、

「脳から出る微弱な電気をとらえることによって脳の働き具合をみる検査です。 認知症の診断においては、せん妄、てんかんとうつ病の除外、疾患特有の波の確認に用います。」

とのこと。

 





守叔父さんの脳波検査の結果の説明がはじまった。

医師から

 

「見ても分かりづらいと思いますが。」



との前置きがあった。

20本程のたくさんの波形が並んでいたこと。また、それぞれが複雑な波形のために、分かりづらいというより、正直、よく分からなかった。

 

「(CT画像より)側頭葉が
おかしいので、側頭葉からの
異常がでてると思うんですけど・・・。」



と波形を注視しながら医師は話しを続けた。

 

「アルファ波の出かたが少ないようです。
徐波(じょは)と呼ばれる寝ている時や、
ぼーっとしている時に多く発生する波が
多く見られます。」



と言った。全体的に脳の働きが弱まっているってことなのだろう。

 

「側頭葉からスパイク(信号)が
見られると思ったのですが、
見られませんね。
(脳の)萎縮が進行し過ぎているの
かもしれません。 
萎縮が進みすぎて、スパイクが
出る程の能力が無いのかもしれません。」



と認知症を判断するための「スパイク」すら発生しない程、脳の委縮が進んでいることを脳波から読み取ることができるようだ。

 

「CT画像から目に見える程、
明確に(脳が)萎縮しているのでね。」



と、尋常ではない脳の萎縮であると診断したようだ。

 

「なかなか見ない状況ですか?」



と私が聞くと、医師は、

 

「そうですね。
これ(CT画像)見たら、
この人、どんな人かな?
寝たきりの人かな?
意識ない人なのかな?

普通に歩いているって言ったら、
えっ!!
ってなるレベルです。」



と言った。「えっ!!」ってなるレベルなので、極めて稀(まれ)な状態なのだろう。
その稀(まれ)さの度合を確認すべく、

 

「他の脳神経外科の先生が(CT画像)見ても、
(異常が)すぐ分かるものですか?」



と私は質問した。すると、医師は、

 

「誰が(CT画像)見ても、瞬間におかしい、
絶対おかしいと気付くレベルでしょう。
言葉がおかしいというのも当然でしょうね。
左の側頭葉が無いわけですから。」



とCT画像から容易に(脳の萎縮が)判断できる状況であると念押しされた。

CT画像の状況を正しく、豊治叔父さんやめぐみ叔母さんへ伝えるには、
その画像を見せた方が良いだろうと考え、

 

「写真とか良いですか?
スマホで撮影して?」



と伝えると、「いいですよ。」とすぐに許可してくれた。

(つづく)
 

2025年2月19日水曜日

「泣けない人(病院編)」 その4

 


4.上京八日目.4

まず、そのCT画像は人が起立(直立)した状態で、水平に頭部をスライスした断面映像であると説明してくれた。

画像は上から下(頭部から足元)向きではなく、足元側から頭部を見上げたものであるため、モニターの映像は左右が反転しており、右側に左脳、左側に右脳が映っているとのこと。

頭頂部から足の方向へ見下ろす向きの画像ならば左右反転せずとも良いのにと、一瞬思ったが、胸部レントゲンと同じ様に、医者から患者を見た時の視線に合わせているのだろうと考えると、左右反転している事に納得できた。

また、映像の上側が正面(顔)で、下側が後頭部(背中側)のようだ。

頭頂部から下方に向けてパラパラ漫画のように連続的に画像を見ると、最初は小さな円(頭がい骨)から徐々に大きな円となった。

ピンポン玉程の大きさの二つの黒い丸いものが写っていた。 その位置、大きさから眼球であることが理解できた。

眼球の写り方や頭がい骨の写り方を理解することによって、CT画像から脳の形状を理解することできた。

骨は白く、脳は灰色、眼球など水分の多い部位は黒色に写るようだ。

もう一度、異常がハッキリわかるとされる画像に戻ると、

 

 

「ここが異常です。」

 

 

と異常のある部分の辺りを指差してくれた。

 

「ここがソクトウヨウ(側頭葉)です。
(正常ならば)ここがすべて灰色でなければなりません。
特に左側の側頭葉が穴だらけでハチの巣状態です。
ほとんど(脳が)無い状態です。」



と言った。先ほどの先生の言葉「〇〇が全然、無くなっちゃってて」は、「側頭葉(の脳)が全然、無くなっちゃってて」と言ったのであった。

モニタに近寄って、その部分をじっくりと見ると、たしかに、全体的に黒く塗りつぶされており、灰色に見える部分が少なかった。

医師は、念を押すように、側頭葉の付近を指差しながら、

 

「ここに黒い部分があっちゃいけないんです。
ここにグレー(灰色)が詰まってないといけないんです。」



と言った。 他の断面を見ると、灰色(脳)が詰まっているのに、側頭葉の部分だけが黒色が多かった。

普段、肉眼では見えない頭の内部をX線(CT検査)という「医学・科学の力」を用いて、覗き見ることができたことによって、異常を見つけることができたのであった。 

ここ数日間、モヤモヤしていたことの原因を突き止めることができたのであった。

そして、地域包括支援センターで教えて頂いた認知症の一つ「前頭側頭型認知症」「側頭(葉)」という言葉が一致し、私の心の中が共鳴した。

 

「あっ、やっぱりそうなんだ!」



と心の中でつぶやいた言葉が頭の中でハウリングした。

この後、先生の口から「前頭側頭型認知症」という言葉が出てくるのであろうと予想できたことによる心のうねりが共鳴したのだった。

医師は、少し重めの口調で、

 

「左側の側頭葉の異常な委縮。ですので、
側頭葉に異変する病気であることは事実です。
まず、脳に病気がありますよね。」



と言った。 

私は、少し語気を強めて言われた医師の「事実です」との断定する言葉によって胸がギュッとなり、数秒間だけ時間が止まったようになった。 

私の気持ちを察してか、医師も続ける言葉が口から出てこなかった。

その止まった時間から抗うために、少しだけ現実から目を背(そむ)けたくなってしまった。 そのため、

 

「精神的なものではないという事ですね?」



と一縷の望みをかけて言った。 

なぜなら、仮に「精神的なものです。」または、「精神的なものの可能性があります。」などの言葉が医師から返ってくれば、治療の可能性があると考えたからだ。

脳に見た目(CT画像)の異常があっても、精神的なものなら治せるかもしれないとの身勝手な持論にすがりつこうとしている自分がいたのだった。

しかし、医師の返事は、私が言葉を言い切らないうち、即座に戻ってきた。

 

「そうですね、

完全に器質的なものですね。

・・・・・・・。」



精神的なものでないと考えられる理由の説明が続いたが、私には理解できなかったし、聞く気力も失せてしまった。

つづけて、

 

「左の側頭葉なので、

たぶん、失語症という

言葉を失っていると思いますね。
言葉の意味が分からない。

(言葉の)使い方が分からない状態。
腫瘍などができているのかもしれませんが、

(CTには)写ってませんね。」


と医師は言った。

CT検査の説明が終わると、続いて、脳波検査の結果説明がはじまった。

(つづく)

 

2025年2月12日水曜日

「泣けない人(病院編)」 その3

 


3.上京八日目.3

守叔父さんが、トイレから戻り、私の横に座った。

 

「検査どうだった?」



と私が声を掛けた。守叔父さんは、

 

「ダイジョウブ」
(大丈夫)



と笑顔で返事した。 検査の内容を聞こうと、

 

「何したの?」



と聞いても、再度、

 

「ダイジョウブ」
(大丈夫)



との返答が繰り返されただけだったので、どんな検査があったのか聞き出せなかった。

 





しばらく待合室で待っていると、看護師さんから、「先に、ご家族の方からお入りください。」と声を掛けられ、先に私だけが診察室へ入ることになった。

まず最初に、医師から病院へ来ることになったきっかけを問われた。

私は、私と守叔父さんの関係や守叔父さんの兄、姉である豊治叔父さん、めぐみ叔母さんとの一連のやりとり経緯を伝えた。 また、守叔父さんが会社や金銭トラブルを抱えているかもしれない事などを伝えた。

問診票の内容と重複する話しもあったが、10分程の会話のやりとりが続いた。
一通りの話しが終わると、医師が机上のパソコンを操作しはじめた。 

PCモニターにはCT検査のものと思われる画像が映し出された。

画像の左上には、2021/12/06 09:15:50 トヨダ マモル M 誕生年/月/日 と記載されており、守叔父さんのものであることが分かった。

医師は、複数枚の画像をパラパラ漫画のように連続的に短時間で確認したのち、頭でうなずきながら、

 

「今、頭のCT(画像)出たんですね。」



と言った。わずか数秒画像を見ただけで病状の診断ができたようだった。

時間を掛けずとも、すぐに分かるほどの明らかな異常が見つかったのだろうか・・・?

そして、CT画像をもう一度繰り返してパラパラ見ながら早口で、

 

「これは、かなり〇〇がありますね。」



と言った。

聞きたくない言葉を私の心がフィルターしたのかもしれないが・・・、私は「〇〇」の部分の言葉が聞き取れなかった。 

冷静に考えると、医者の使う言葉は、「異常あり、異常なし」と表現することが一般的であろうし、日本語で「かなり正常がある」とも言わないので、「〇〇」に入る言葉は「異常」であろうと察した。

恐る恐る、私は、

 

「異常?」



と聞き返した。

医師は少しゆっくりとした口調で、

 

「異常がありますね。」



と明瞭に断言して答えてくれた。 私は予期していたとはいえ、

 

「そうなんですね。」



との相づちを返すことしかできなかった。

そして、頭の中で、「異常がありますね。」との言葉が繰り返されていた。

 

「〇〇が全然、無くなっちゃってて、
潰(つぶ)れちゃってるんですね。
委縮(いしゅく)して。」



と医師の病状の説明が続いた。

何が無くなっているのだろう・・・?

先生の早口が相まって、主語の「〇〇」が聞き取れなかった。

「委縮して。」との言葉が続いたことで、主語が「脳」に関する言葉であろうことは理解できた。

パラパラ漫画を見るような短時間で、それらのCT画像を見ただけでは、医学の知識の乏しい私にはさっぱり異常の所在が分からなかった。

 

「何処がおかしい(異常)のですか?」



と伝えると、

医師は、パラパラ見ていた画像の中から一枚の画像を選び、そのCT画像から分かることを説明しはじめてくれた。

(つづく)
 

2025年2月5日水曜日

「泣けない人(病院編)」 その2

 


2.上京八日目.2

問診票を書き終えた私は、問診票の裏面が白紙であったので、守叔父さんの情報をより詳しく医師に伝えるために、思いつくままにその白紙の面にメモすることにした。

 





以下、実際にメモした内容。


・気温9.5°Cを95「キュウジュウゴ」と読むことが有り「キュウテンゴ」とは言わない。

「フネ」は電車を意味するようだ。

・道順を伝える際に、言葉では「ミギ」「ミギ」「ミギ」と言いながら、指差しでは、右、左、右の順で指す時があった。「ヒダリ」とは言わない。

・指差しで、を指しながら、「ウエ」と言う。

・何かにつけて、「ワカラナイ」という言葉を使う。

・自宅のカーテンを昼夜問わずに開けない。

・自動車のガソリン給油が一度で100万かかると言うが、実際は1万円。

・月1回、プラセンタの注射を受けている?

・カイロプラクティックへ、週1回 または 2回通っている。

・仕事は、火 〜 金の午前中と言っているが、実際に勤めているのか不明。

・会話の中で、兄弟姉妹の名前がでてこない。

・スマホ等はうまく使え、Lineで連絡がとれる

・スマホの電池残量を「〇〇キロ」と何度も言い間違える。「〇〇パーセント」とは言わない。

・領収書の意味が分からない様子。

・クルマが前進する事を、「アルク」と表現する。

・富士山の形を指で描くが、「フジサン」とは言わない。

・元彼女との思い出話、同じ内容の話しを何度も繰り返す。

・自分が若くみえる事を他人や私に自慢する。

・カーラジオのチャンネルをしょっちゅう変更する。DJが話しをするのを聞きたくないようで、音楽のみを聞こうとするため。

・先日、地震が発生した際、震源地などの情報に興味なし。 地震発生時、一緒にテレビを見ていたが、地震情報が流れはじめると、内容を確認せずにチャンネルを変更した。
(注:2021年12月3日6時37分頃、地震発生。山梨東部震源M4.8 関東の広範囲で震度3以上を観測)

・朝は、3時や4時に起床し、その後、電気も付けず部屋に居る。

・就寝時刻は、午後5時半。

以上

 





メモを書き終えると、そのメモをスマホで撮影した後、問診票を受付に提出した。

そして、しばらく待った。

後ほど、医師より聞くことになるが、私が待合室で待っている間に、守叔父さんは、「頭部CT検査」「平衡感覚検査」「脳波検査」などを連続して受けていたようで、それぞれの検査の間に私のいる待合室に戻ることはなかった。

検査室へ行って1時間程経った頃、看護師さんと共に守叔父さんが待合室に戻ってきた。

検査が終わったようだ。

その時の表情は、笑顔であり、少しにやけたような感じであった。 看護師さんとうまくコミュニケーションができたのだろう。

さもすれば、看護師さんを相手に、ナンパするのではないか、と言うか検査を受けながらナンパしていたのではないかと思うほどの表情であった。

看護師さんは、私に対して、「無事に検査が終わりました。」と言い、続けて、守叔父さんに対して、「豊田さん、お疲れさまでした。こちらで、少しお待ちくださいね。」と丁寧に言った後、診察室へ消えて行った。

その言葉を聞いた守叔父さんは、少し残念そうな表情を浮かべていた。

そして、私の横に座るのかとおもいきや、

 

「おんせんいく」
(温泉行く)



と言って、トイレを探すように周囲を見ていた。

 

「トイレは、そこだよ!」



と指差すと、少し急ぎ気味に歩いて行った。

私はその時、「トイレを「オンセン(温泉)」と表現する。」と問診票の裏面のメモに書かなかったことに気がついた。 

一番最初に、守叔父さんが変だと気付いた事象をメモに書けなかったことを少しだけ悔やんでいた。

(つづく)
 

2025年1月22日水曜日

「泣けない人(病院編)」 その1

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 


ブログをご覧の皆様へ

時間経過の順番通りに、記述してまいりましたが、話の進捗状況が遅く、本ブログを書き始めてから二年経過となってしまいました。

長い時間が経ち、詳細に憶えていたはずの記憶も、だいぶおぼつかなくなってきてしまいました。

ボイスレコーダーを聞き直し、スパイカメラを見直しても、その状況を正しく把握して表現できにくくなってきました。

50代中盤半ばの私の記憶力もいい加減なものになってきたなと、少々残念な気持ちになりながら筆を進めている次第です。

短期間にまとめて、記述できなかったことを反省している今日この頃です。

話を進めるために、時間経過を一部端折って、先に病院での出来事の話を先に書かせていただくことにします。

土曜日の横浜大さん橋展望フロアから、月曜日(病院での検査日)の朝までの間の話を一旦飛ばします。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 



1.上京八日目.1

どうにかこうにか、病院へと到着した。

師走の午前中、本来なら肌寒い感覚のはずであるが、私はまったく寒さを感じていなかった。

途中、守叔父さんが病院へ行くのを躊躇し、何度となく立ち止まると歩いてくれなかったからだ。

守叔父さんの自宅から病院までは、普通に歩けば10分程度のところを、
倍以上の時間をかけて歩くことになったのだった。

守叔父さんは、交差点で立ち止まるたびに、

 

「ナンデ、イカナイト イケナイノ?」
(なんで、行かないといけないの?)



と繰り返して聞いてきたのだった。 私はその都度、優しくなだめたり、逆に語気を強めたりしながら、

 

「予約が入っているんだよ!」

「次の予約は、いつ入れられるか分からないんだよ!」

「健康のため、検査は大事だよ!」

「腕のシミを治したいんでしょ!」


 

なかなか、「うん」とうなづいてくれない時には、


 

「行くと(僕と)約束したでしょ!」

「僕との約束を破るの!」



などの強めの言葉も多用し、どうにかこうにか、病院玄関へ到着したのだった。

病院正面玄関をくぐると、守叔父さんは諦めの表情をして、「フゥッ」って感じのため息を一つ吐いた。

その行為で精神的に吹っ切れたのか、いつもと比べると神妙な面持ちではあるものの、柔和な表情に戻っていた。

 





受付担当者から「保険証をお願いします。」と言われても、守叔父さんは「何?」って感じで少し、眉をひそめて分からないという表情をしながら肩をすくめ、首を傾けた。


私は横から

 

「保険証だよ!、
お財布に入っているでしょう。
こんなやつ。」



と言いながら、指先で空中に小さな四角を描いた。

守叔父さんは、「アァ、アァ」と、うなずきながら言ったのち、財布を取り出して中に入ったカード類を差し出した。

私は、その中にある健康保険証を見つけると、「これっ、これ!」と指差した。

守叔父さんは、

 

「オッケー」



と陽気に答えた後、受付担当者に対して、

 

「ドウゾ!」
(どうぞ!)



と言って、愛想よく保険証を手渡した。

保険証を提出すると待ち時間なく、すぐに受付横の扉から看護師さんが出てきた。

そして、その看護師さんに「豊田守さん、検査しましょう。」と間髪入れずに声を掛けられた。

守叔父さんは、その看護師さんにエスコートされて廊下を検査室の方へ歩いていった。

看護師さんの対応は、「用意周到、待ってました! お任せください。」って感じであり、受け入れ態勢が万全に整っていたようだった。

事前に相談したことにより、切迫した私の状況を酌んでくれた対応となったのだろうと考え、その応対に感謝した。

守叔父さんを見送ると、私は受付担当者に声を掛けられた。

複数枚の問診票が手渡されて、待っている間にご記入くださいとのことであった。

ゆっくりと待合室にて記入することになった。

質問数の多い問診票ではあったけれど、記入には時間を要することはなく、すぐに少し手持ち無沙汰になっていた。

(つづく)

 

2025年1月15日水曜日

#7119

 

「#7119」という電話番号をご存知でしょうか?

詳しくは、総務省消防庁のHPをご覧ください。

https://www.fdma.go.jp/mission/enrichment/appropriate/appropriate007.html


今回は、「#7119」にまつわる私が実際に体験したことをお話します。

まず、「#7119」とは、救急安心センター事業の電話相談窓口の番号です。

救急車を呼ぶべきかどうかの判断に迷った際に、「119」へ電話する前に相談することができるとされています。

ただし、現状では全国一律のサービスではありません(2025年1月現在)。

徐々にサービス範囲が広がるのだろう。 そして、鹿児島県においても使える日が来るのだろうと考えています。

今回の経験により、残念ながら鹿児島県ではまだ利用できないことがわかりました。

 

 



 

 


80代の父が急な発熱で体温39度を超える状態となりました。

全国的に爆発的にインフルエンザの患者が増えているとの事で、父もインフルエンザに罹患したのだろうか? それとも、普通の風邪なのだろうか? そして、救急車を呼ぶべきなのだろうか?との判断に迷いました。父は心臓に持病があるため、素直に「119」で救急車を呼ぶべきだろうか・・・。

そのため、「#7119」がもし使えるならば、相談しようと考えた次第です。

アンドロイドスマホにて、「救急車 相談ダイヤル  鹿児島県」と検索したところ、

AIによる概要

鹿児島県で救急車に関する相談をする場合は、救急安心センター事業(#7119)または小児救急電話相談(#8000)を利用できます。

との情報が表示されました。


実際の画面。


知らぬうちに、鹿児島も「#7119」が使えるようになったのだと早合点してしまいました。

「#7119」へダイヤルしてみると、「現在、このサービスは提供されていません。」との音声ガイドが流れる状況でした。

そこで、少しパニックに陥りました。

「#7119」への電話相談件数が多くて、電話回線が不足して対応できない状況なのだろうか?などと考えてしまい、もう一度かけ直してみました。

前回同様、「現在、このサービスは提供されていません。」との音声ガイドが流れる状況でした。

スマホのAI情報に誤りがある可能性を考える余裕がなかったため、なぜ、電話が通じないのだろうかとプチパニックが続きました。

父も「寝れば大丈夫、救急車なんか呼ぶ必要ない!」と言うため、躊躇しましたが、最終的には「119」にて救急車を呼ぶことにし、救急隊の判断に委ねることにしました。

結果としては、緊急搬送となりました。

入院治療により、父の体調は安定しております。 無事、退院できることを祈念している現状です。

救急隊の皆様の敏速な対応に感謝しております。

今回の教訓、

「AIは便利だと思うが、信用してはならない!」

また、「#7119」が使えない地域では、「#7119」から「119」へ自動転送されるようにした方が良いのではないかとも考えました。

いかがでしょうか?